梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

離婚の話、バツ幾つを自慢するおぞましさ

2012-08-18 11:29:40 | 雑記
最近、離婚率が上がり続けていると言う、確かに自分の廻りにも離婚暦の有る男女がうようよ居る、
昭和初期産まれの人間にはなんとも複雑で歓迎できない風潮だ、
我々の時代は離婚暦は1つの傷だった、女性は「出戻り女」と言われ田舎では顔を伏せて歩かなければ成らない、後ろ指を差されると言う存在だった、
男も「女房に逃げられた男」と言うレッテルはずっと付いて周り再婚にも離婚歴があると言う事は逃げられた理由があるとして敬遠される事が多い、無論離婚そのものは諸々の事情もあり結婚生活の維持は不幸を増幅するだけだと言うケースも当然ある、前述の様な不利益をも覚悟の上で離婚をしたわけだからむやみに批難される話ではない、そう言う意味では一度の離婚は番やむを得ないと言える、しかし、同じ人間が何度も結婚して何度も離婚すると言うのはやはり何か本人に問題が有ると考えるのが普通だろう、
嫌で仕方ない、憎しみしかないと言うのにヽ家庭に居ても仕方は無い、もはや家庭とは言えまい、
確かに一度何かが嫌に成るとあらゆるものが嫌に成る、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言う様なものである、何処までが我が儘で何処までは当然の要求なのかは個人差がある、性格も育ちも違う人間が同じ屋根の下で四六時中一緒に暮らすのである、当然軋轢は起きる、
我が儘と言う言葉は「自分が思う儘にしたい」と言う意味であるが二人居ればお互いに「自分の思う儘にしたい」と言う事が当然の様にぶつかり合う、相手が人でなく例えば家具の配置を我が思う儘にしようとしたら自分で好みに合うように動かさなければならない、しかし人間同士だと自分が思った事は相手が合わせるのが当然だと言う風に考えるが相手を我が思う儘にするにはそれなりに労力が必要なのだ。
今の結婚は大抵が恋愛結婚だがそちらの方が離婚率が高い、恋は盲目、ほれて通えば痘痕も笑窪である、相手を美化し自分も頑張って良く見せて恋愛を成就させても結婚すると「こんな人ではない筈だった」事が当然起きてきて「坊主憎けりゃ」になる、
「結婚する前は両目でしっかり見て、結婚したら片目は閉じる」と言う諺があるが大抵はこの反対である、
日本にはお見合いと言う方式が有った、親同士が決めるかこの見合いで相手を見定めて結婚をするのが大半だった、今で言う婚活みたいな物だが少し違うのは恋愛感情と結婚の順序が逆である、見合いで相手に恋をする事は稀であろう、見合いまでは見たことの無い相手と短期間で結婚をする、つまり結婚をしてから恋をするのだ、無論濃いには程遠い夫婦も居たろうが我々の親世代には見合結婚なのだが見ていると仲の良い恋人同士の様な夫婦も結構多い
やはり互いに相手との距離を見極めながら徐々に近寄って行く事がそう言う関係を築くのだろう、
恋愛を否定する気は毛頭無いが離婚暦を「恋多き」と言い換えて「バツイチ、バツ幾つ」と自慢げに話す連中には辟易するのだ、


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