梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

集中豪雨-2

2010-08-10 09:32:34 | 日記
倒れた杉の根元には幅が1mに満たない小沢が流れていた、雨が暫く降らなければ流れが殆ど無くなってしまう様な沢だが此処が例の集中豪雨の時に凄い事に成ったらしい、溢れた水は我が家の床下を洗い流し庭から家の前の段々畑をまるで滝の様に流れ落ちたと言う、この時に件の杉の根元の土大半を洗い流してしまっていた様だ、明くる日家を見に行ったら杉の木が家に倒れ掛かり我が家は5~6度程傾いた状態で辛うじて建っている、杉の根を見たら本当に綺麗に土がついていない状況で浮き上がっていた。近所の人達が集まって来て先ず家の東側に突かえ棒を入れてこれ以上傾かない様にする、次にロープと滑車を持って木に登って行って先端から少しづつカットしてロープを使って降ろしてゆく、何本かに切り分けて杉の木を取り払うと今度はロープと人力で傾いた家を真っ直ぐに直した、その次は壊れた屋根と壁の修理だったが、此処まで書いて思い出した、我が家の屋根がトタンになったのはこのときだった、掘っ立て小屋の定番は杉皮葺きだったがこの頃では手に入らない、杉皮の上からトタン板を打ち付けて防錆の為にペンキを塗るのだがこの地方ではコールタールが主流だった、価格のせいか耐久性のせいかは分からないが、殆どのトタン屋根はコールタールだった、固まるまでに庇から垂れて来てしまうので雨樋を外しておかないと詰まってしまう、おまけに真っ黒なので真夏は夜になっても気温が下がらす往生した、しかし切り分けた杉の木は子供の手では半分すこしまでしか抱けない位あったので後で売れたらしいがそんな事ではとても追いつかない被害だったように思えるが、考えてみると村人総出で引き起こしてしまい屋根の工事も村の大工さんと父が済ませたのでそれ程でもなかったのかも知れない。それ以上の手当てもせずこの状態で自分が中学を卒業し町に引っ越すまでの6年間を過ごした、父の手作りだったらしいが大した物である。その杉の木は小学校低学年の頃は先端から少し降りたところに縄と板で腰掛けられる程度の台を作り登って遊んでいただ記憶が有る、ツリーハウスと言うにはお粗末だがお気に入りの場所だったが大人になったら高所恐怖症になってしまったのはどういうわけだろう、鋸山の崖覗きは怖くてとても出来ないが機会があったらパラグライダーをやって見たいと話して妻に「訳が分からない」と言われているが自分でも良く分からない


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