梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

月見草

2010-07-25 17:09:21 | 日記
母は伊勢崎の生まれだったらしい、らしいと言うのは私自身は一度もそこを訪れた事が無かったからだ、母は11歳のときに病死したので姿形のイメージとしてはあまり記憶には無い、その替わり母が話していたふるさとの思い出がずっと多く残っていて、まるで自分の記憶の様な感じすらする、伊勢崎のどの辺りかは全く解らない、近くに利根川が流れていたらしい事と榛名山の山容が良く見える所だった様だ、夏の夕方陽が落ちかかってくると榛名山の山麓に農家の蔵が白く輝いて見える、夕陽が沈む頃利根川の川原に群生している月見草が花を開き始める、「耳を済ませて居るとつぼみがゆっくりと捩れを解いて行く音がずっずっとして、やがてポッと言う音をたてて黄色い花が開くんだ、その瞬間が好きでね、友達とよく川原に行っていた」と話していた、母が元気な頃、我が家から県道にに続く坂道の途中に母は毎年月見草を植えていて、夕方になると一緒にその音を聞きに行った記憶が有るのだがどうもその音が聞けたかどうかが定かではない「月見草には待宵草、宵待ち草と幾つかの呼び方が有るけど私はやはり月見草と言うのが好きだね」とも言っていた、20代を過ぎて車で伊勢崎に行く事があったが母の住所も知らないし兄弟も知らないというので探す事もなかった、その後高速道路で高崎を過ぎると確かに榛名山の山麓に家が点在して居るのが見えた、(ああ、あれを言っていたのか)と眺めて通り過ぎた、若し母の故郷が分るなら行って見たい気もする、行っても誰と会うというのではなく、母の若い頃生きていたと言う所を見てみたいと思う、最近月見草は東京ではあまり見ない、多摩川の河川敷に(何となく川原ではなく河川敷と言った方が似合う)時々見るがそれは妙に背が低く花も矮小で昔の月見草とは違うイメージがある、河川敷は大きなセイタカアワダチソウにどんどん占拠されて月見草を見る事もますますなくなってきた、20年位前にはそれでも狛江付近の川崎側には見る事もあったのだが今は殆ど無いだろう様だ


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