生老病死と言う、ブッタが生きる事の苦悩の根源だと悟り人生の苦悩を無くすには産まれて老いて死ぬ事を受け入れる為に欲望から脱却する事の実が救われる道だと説いた、
産まれたら老いてやがては死んで行く事は誰しも当たり前の事として理解はしている、理解はしていてもいざ死にいどめば恐怖するだろう、それは恐らく動物の本能だ、動物と言うより「種の保存、その継続」は生物に課せられた一番重要なプログラムだ、したがって動物が有る程度の知能があれば「死」に関しては本能的に回避すべき重要なシステムになっている、痛いと言う神経が無ければちょっとした怪我で出血多量で死んでしまうのと同じだ、そうでないとその「種」は簡単に絶滅してしまう、なぜ種が継続と進化をプログラムされているかは生物学的に何らかの理由が有るのかもしれないが浅識な私は知らない。
老いる、病を罹患する事はその先にある「死」と言うプロセスに対する「恐怖」と言う忌避行為のセンサープログラムだろう、しかし老いると言う事は「種の継続」においては「個体の耐用期間」が消化された事による「代の交代」だし高等生物においては他の遺伝子と交わる事によって「進化」に必要なプログラムなのだろう、老いた動物は粛々と死んで行くらしいが人間はこの老化に関しても忌避しようと言う気持ちがあり、特にあらゆる欲望を自分の物に出来た者は更に「生命」すら自分の思うがままにしたいと思うらしい、
私は子供の頃母親を無くし20代の前半までに親兄弟、友人を多く見送ってきたせいか、はたまた裕福な生活に無縁だったせいかあまり「死」に関した恐怖が無い、無論現実に其処に臨めば恐怖にパニックになるかもしれないが、
私が時々体調を崩すとその度に女房が「絶対に私より先に死なないと約束したからね」と言う、彼女は決して裕福な家に育ったわけではないが産まれてから一度も一人の生活をした事が無いと言う、父親が大好きで20代の半ばに無くなったがその時は子供がお腹に居て死に際には会えなかったらしい、母親は15年位前に87歳で無くなった、13年前に兄が、そして4年前に姉が無くなり家族は私と子供達になったが子供達はそれぞれ家庭を持っているので我儘を言えるのは私だけだ、「私を一人にしないで」と言うのが私との約束になっている、
「生老病死」と言う事は本人の事と言うより、廻りに居る人に対しての恐怖の様な気がする、となると仏教の悟りはそう簡単に「死」を達観されては廻りに対して不誠実なんではないかと言う様な気がする、無論その為に「出家」をして家族と言う柵を避けているんだろうが「在家仏教」と言う教派や「娑婆即菩提」と言っても後に残った人の悲しみをどうするかの方が重要だ、とは言っても世代交代が無ければ世は進化しないし人間には「忘却」と言う能力もある、時間がたてば思い出に昇華出来るだろうがその時まで生き続ける事が出来ないのはどうやら男の方が多い様だ、
そう言えばネットニュースで「150歳まで寿命を延ばせる方法が後10年位で完成する、その次は30年程度肉体も若返る事も可能になる」と言う記事が出て居た、但し「80歳を超えると若返りは難しい」そうだ、私と女房の年齢はかなり微妙だが女房は「そんなに生きるなんて御免蒙る、呆けずに体が今より衰えずぽっくり行きたい」そうだが私としては若い時の女房が戻ってくれるならそれは大歓迎だがそんな事を言ったら又ひと悶着か
産まれたら老いてやがては死んで行く事は誰しも当たり前の事として理解はしている、理解はしていてもいざ死にいどめば恐怖するだろう、それは恐らく動物の本能だ、動物と言うより「種の保存、その継続」は生物に課せられた一番重要なプログラムだ、したがって動物が有る程度の知能があれば「死」に関しては本能的に回避すべき重要なシステムになっている、痛いと言う神経が無ければちょっとした怪我で出血多量で死んでしまうのと同じだ、そうでないとその「種」は簡単に絶滅してしまう、なぜ種が継続と進化をプログラムされているかは生物学的に何らかの理由が有るのかもしれないが浅識な私は知らない。
老いる、病を罹患する事はその先にある「死」と言うプロセスに対する「恐怖」と言う忌避行為のセンサープログラムだろう、しかし老いると言う事は「種の継続」においては「個体の耐用期間」が消化された事による「代の交代」だし高等生物においては他の遺伝子と交わる事によって「進化」に必要なプログラムなのだろう、老いた動物は粛々と死んで行くらしいが人間はこの老化に関しても忌避しようと言う気持ちがあり、特にあらゆる欲望を自分の物に出来た者は更に「生命」すら自分の思うがままにしたいと思うらしい、
私は子供の頃母親を無くし20代の前半までに親兄弟、友人を多く見送ってきたせいか、はたまた裕福な生活に無縁だったせいかあまり「死」に関した恐怖が無い、無論現実に其処に臨めば恐怖にパニックになるかもしれないが、
私が時々体調を崩すとその度に女房が「絶対に私より先に死なないと約束したからね」と言う、彼女は決して裕福な家に育ったわけではないが産まれてから一度も一人の生活をした事が無いと言う、父親が大好きで20代の半ばに無くなったがその時は子供がお腹に居て死に際には会えなかったらしい、母親は15年位前に87歳で無くなった、13年前に兄が、そして4年前に姉が無くなり家族は私と子供達になったが子供達はそれぞれ家庭を持っているので我儘を言えるのは私だけだ、「私を一人にしないで」と言うのが私との約束になっている、
「生老病死」と言う事は本人の事と言うより、廻りに居る人に対しての恐怖の様な気がする、となると仏教の悟りはそう簡単に「死」を達観されては廻りに対して不誠実なんではないかと言う様な気がする、無論その為に「出家」をして家族と言う柵を避けているんだろうが「在家仏教」と言う教派や「娑婆即菩提」と言っても後に残った人の悲しみをどうするかの方が重要だ、とは言っても世代交代が無ければ世は進化しないし人間には「忘却」と言う能力もある、時間がたてば思い出に昇華出来るだろうがその時まで生き続ける事が出来ないのはどうやら男の方が多い様だ、
そう言えばネットニュースで「150歳まで寿命を延ばせる方法が後10年位で完成する、その次は30年程度肉体も若返る事も可能になる」と言う記事が出て居た、但し「80歳を超えると若返りは難しい」そうだ、私と女房の年齢はかなり微妙だが女房は「そんなに生きるなんて御免蒙る、呆けずに体が今より衰えずぽっくり行きたい」そうだが私としては若い時の女房が戻ってくれるならそれは大歓迎だがそんな事を言ったら又ひと悶着か
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