梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

契約を守らないなら解約をしたい、出来ないなら税金は供託したい

2012-01-12 08:36:47 | 雑記
民事では契約条項を守らない場合には解約が出来る、それでも解約を拒否する場合の対抗策として供託法と言う物が有る。
現政府のマニフェストが有権者に対する契約だとしたら契約事項を全く実行しないこの契約書は無効である、従って我々有権者は現政府との契約解除を申請したい、
憲法では納税は国民の義務であると言う、しかし其れは治めた税金が公平に納税者が納得出来る方法でなければ憲法14条に言う「社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と言う条文に抵触していると納税者が受け取っていたらこのマニフェストと言う契約書で「社会的弱者救済の為に税金の無駄遣いを徹底的に洗い出して」と具体的に上げていた条項に関し税徴収と配分を手にしている政府として交わした物であるから今回の増税は「現政府は4年間の消費税増税は行わない」と言う条文と併せて完全な契約違反である、
民間で言えば「会費を治めればこう言う特典があります、会費は向こう4年間上げません」と言う契約書を作成し、実際に始まったら「特典は全てありません、会の運営が滞りそうだからすぐ会費を上げます」と言う事だ、
一般社会では此れは裁判沙汰にもならない、公正取引委員会に訴えれば即日改善命令が出て従わなければ詐欺で逮捕されかねない物だ、
しかも、途中解約が出来ない商習慣となっていると言う、強制的に徴収が出来て罰則重課税と言う違約金条項まである、此れはもう一方の「納税義務」の条項だからそのものは致し方ないがこのままでは官僚とその組織になった政府は少なくとも選挙のある間は国民総意を無視して施策出きるという事だ、
何とか国民側から対抗する方法は無いのだろうか、税金や年金の国庫金を供託したい位の物だ、
支払う義務をなさないと言うのではなく「納得出来ないから契約書の履行があるまで供託する」と言うのが出来れば供託金として裁判所に預けて置きたい、三権分立が厳密に行われているなら法的には可能な筈だが問題は納税者の半数以上を占める給与所得者だろう、彼らは給与を受け取る前に先に徴収される、所謂天引きだ、此れでは幾ら不満があっても未払いすら出来ない、
消費税もそうである、「納得出来ないから税金分は別の所に預ける」と言った所で売る側はその事に賛同できるわけも無い、
給料は別の会社が一括して計算公的な徴収を行い納税も此処で行うとすれば其れが納税者側に立ってくれるという条件だが多少の圧力団体のなるのだが、民主党の支持団体が労働組合なんだから其れも難しいか、
民意が最終的に政治に圧力を掛けられる組織、法律を作らないと日本の永い歴史は終局を迎えてしまいそうな気がしてきた。

マニフェストは政党と有権者の契約事項だ

2012-01-11 10:31:10 | 雑記
東京新聞の記事を読んでいて本当に嫌に成って来た、与党になる時に「4年間は消費税は触らない」、議員定数の削減、特殊法人の削減、徹底的に無駄を排除する事で「増税無しで充分に国家運営は出来る、」と明言し、国民と契約をした筈だ、「マニフェスト」と言うものは有権者と政党との契約だろう。
しかし野田政権は「増税は政治生命を賭して成立しなければならない」と言う、税収が不足している上に未曾有の災害でこれ以上の赤字財政はギリシャの二の舞になりかねないのは充分にわかる、しかし「未曾有の災害」は「無駄の排除」が進まない事の免罪符にはならない、それどころかこの国家存亡が掛かるほどの自体にこそ其れこそ「徹底的な無駄の排除」、国民全員が等しく汗と血を流して乗り越さなければならない事態だろう、
災害前に民主党が高らかに掲げていた様に世界でも突出した議員と公務員数、その公務員の所得の高さも世界では突出している、次々生まれた特殊法人も彼らの言う「民間では出来ない利益を求めない法人で高いスキルが必要」な物の中に現場経験の殆ど無い高級官僚が高給を取り続ける事の理由にはならない、第一殆ど丸投げなのだ。
一旦法制化すれば国民は拒否が出来ない、税金の無駄遣い、納得の出来ない支出があっても納税を拒否すれば重い違反金を課せられて法の力で強制的な差し押さえを受け、更に「国民の義務を果たしていないから」と言う烙印を押されて経済活動が出来なくなる、
この強大な権力を国民主権で経営する為の議員であり選挙である筈なのだが此れだけ世論が「増税の前にする事が有る筈だ」「マニフェストはどうした」と言う意見は全く無視して進めてしまう、
この国の官僚制度は既に時代に合わなくなっている、と言うより元々の「公務員」すなわち「公務」と言う理念を全く失っている、実情は「公務員は失業が無く幾ら不景気でも所得が保証される庶民より上級の人間」だと言う意識で居る人達が殆どだろう、
「権利は有るが責任は全く無い」と言う事も民間では考えられない職業だ、確かに国家の名前で発布した法に瑕疵があったからその省庁が責任を取るとか時の官僚に責を負わせる事は現実的ではない、しかし元々我が国の政務を担当して来た幕府等はその気概で進めて来て居る、無論どうしようもない国主も居てもその時の官僚に当たる人間が生命財産をとして改革をしてきた例は枚挙にいとまない、
しかし現在の高級官僚といわれる輩はこれに比するべくも無い、法制化されてしまえば消費税を拒否する事は出来なくなる、無駄の排除を棚上げしての増税は何としても制止しなければならない

カスバの女

2012-01-10 18:08:45 | 雑記
一緒に仕事をやっている人がスペイン大使館とつながりが有ってスペイン語の教室を開設すると言う、先日その話が出た時にも話したのだがこの国には妙に憧れが有る。
取りあえず今回話題になったのは料理の話でスペイン料理では鰻をごく普通の食材として広く利用していると言う、スパゲティの様な料理もあったりフライで食べたりもするらしい、
「パイにいれたりしますよ」と言う、此れは本当の鰻パイと言う訳だ。日本では一般的に蒲焼と白焼名古屋のひつまぶし、静岡駅で始まって最近一般的になってきたうな玉丼位しか思いつかない商材だがスペインでは学名のアンギュラス(発音は違うかも知れない)で普通に売っているらしいが日本でも何処かで食べられるんだろうか?
スペインと言えばスペイン動乱の頃を題材にした小説や映画でしか知識が無い、フラメンコと闘牛で情熱的な国と言った印象が強いが日本との関係も結構歴史があるらしい、
19世紀まではその「無敵艦隊」でヨーロッパの強国だったのだが現在では経済的にかなり苦しんでいると聞くが何とか良い方向に行ってもらいたい物だ
イタリア映画の「ひまわり」が印象に強く残っている、本当の舞台はジブラルタル海峡の向かい側北アフリカなのだがどうしてもスペインの印象が残る映画も多い、此れは自分だけかも知れないが
モロッコとアルジェリアを舞台にした映画は結構有る、「望郷」「モロッコ」「外人部隊」等幾つも有るが思いが全て地中海の対岸に向いていてパリへの思いでもその対岸はやはりスペインの風景では無いかと思う、
日本の歌で「カスバの女」と言うのが有るが舞台がモロッコで主人公はフランス人か、ムーランルージュの踊り子の末である、なぜか日本で作詞作曲されて日本人が歌っているのだが人気のある歌である。
EUの中でギリシャに次いでイタリアと共に破綻が噂される国であるが古い歴史の有る国なので何とか立ち直って貰いたい物だ、

従軍慰安婦問題と中国人

2012-01-09 14:02:08 | 雑記
此処数年従軍慰安婦の問題が大きくなっている、国内では余り大きくはなって居ないが其れが韓国側の神経を逆撫でするのだろう。そして昨日在韓日本大使館に火炎瓶を投げつけたと言う事件が起きた、韓国人ではなく中国人だと言う。
確かにこの問題は人道にもとると言えると思う、こう言う事を言えば更に逆撫でする可能性もあるが「国が強制的に、日本人以外の女性を特定し行ったとすれば正しく言語道断で時の政府では無いと言う理由は通用しない、正式に国家として謝罪する事は絶対に必要だろう、
しかし、「謝罪」より先に「補償」を言い立てる事が少し意図的な感じが否めないのは確かだろう、
戦争によって被った被害を全て補償すると言う事は永い歴史でも余り無い、特に近代戦争になってから敗戦国が一時的に占領下に置かれても経済的に「賠償責任」と言う方向になった事は無い筈である、この問題を無制限に拡大すれば日本は東南アジアからアメリカまで全て賠償の責を負う事になる、しかし当時実質植民地支配をしていた韓国国民女性を強制的に慰安婦と言う非人間的扱いをしたとしたら此れは戦争そのものとは切り離して謝罪しその精神的苦痛に慰謝料を払うは当然だとは思う。
しかし今回の靖国神社放火と在韓大使館火炎瓶事件の犯人に関しては非常に違和感を覚える、
先ず、中国国籍であると言う事、そして「自分の祖母が従軍慰安婦だった」と言って居る事だ、
彼は中国人でありながら韓国人の祖母を持っていると言うのか、それとも中国人の祖母が慰安婦として徴用されたと言うのだろうか?現地で徴用されたら「従軍」と言う表現にはならない、
無論、戦争と言う異常状況で軍が犯したその手の犯罪が無いと言う事はあり得ないだろう、その事が現地の人民との軋轢を大きくする事を防ぐための「従軍慰安婦」だった筈だから現地の女性がもし不法な形で被害に有ったなら「慰安婦」では無く日本軍の犯した軍律違反と言う事になる、
其れはそれで大きな問題だが此の犯人が言い立てる大義名分とは異なる話だろう、
そして此れが私として一番違和感が有るのが「祖母が従軍慰安婦だった」と言う事が何処から彼に伝わったのだろうかと言う事である、
仮にそうだったとしても彼女達にとってそれは忘れたい事実では無かったのだろうか、「私は若い頃日本軍に命令されて多くの男の相手を務めた」と言う様な事を子供や孫に自ら話すのだろうか?仮に何らかの事情で子供が知ったとして、その子供が生まれた子供達に「お前達のおばあちゃんは若い頃こんな事をさせられていた」と話すと言うのはどうも違和感が有る、
国家を上げて反日気運をあおっていると言う報道もある、その結果今韓国で盛り上がって来た物に便乗しただけなのではないのかと思う、多くの中国人と仕事で交際が有るが彼らと報道の中国人とどうもかなりの乖離が感じられる

子供の頃

2012-01-08 10:43:24 | 雑記
珈琲を淹れながらラジオを聴いていたらゲストの女性が小学校の頃の思い出を話していた、宝塚のスターらしいが興味が無いのでどういう人だか解らない、小学校の3年まで群馬に住んでいたが父親の都合で大阪に引っ越したと言う話を聞きながら自分のその頃を思い起こしてみたのだが彼女の様に大きな変化が無かったせいかどうもその頃の思い出と言うのがはっきりと思い出せない、
所謂「記憶が無くなった」のではなくずっと記憶は継続しているのだが妙に具体性が無いのだ、
母親は中学1年の終わり頃、2月に亡くなったのだがその前に乳癌で入院していた、恐らく半年位だったと思うがその頃も含めて時間系列があやふやだ、父親が出稼ぎで山に行って水窪と言う山奥で足を骨折して入院、自宅療養をしていた時期が有るが何年生の頃だったか?思い出の中を整理すると小学校に行っていたのか居ないのか?1年生の時、昭和29年の筈だが農村では珍しい欠食児童だったのでその事は覚えている、母親が村の娘達に和裁を教えて居て冬場になると何人も家に来て居たのだがその写真を見ると未だ全員が和服だったところにボタンが二つだけの学生服を来た自分が写っているが学生服を着ていたのでもう小学校には行っていたのだろう、
此れが私の一番古い写真であるが次は1年生の集合写真、何年生かわからないが遠足の写真、全てモノクロだが写真を見ても一向にその頃の記憶は浮かんで来ない、
無関係に思い出すのは山全部を使ったかくれんぼや冬の田圃でやって居たちゃんばら、凧揚げ、メンコ、等なんだが個々別々に思い出すのだが一緒に居た筈の友人の顔すら思い出さない、
一つずつに懐かし思いは有るのだが全く具体的ではないのだ。
中学校は親父と二人で生活をしていたのでやはり遊んだと言う記憶は少ない、兄妹は兄が3名と姉が2名、自分は末っ子である、一番近い姉まで5歳離れていて中学を降りて直ぐ故郷を離れたので小学校高学年から兄妹と暮らして居ない、そして上京して翌々年に父親が死んで家と共に故郷も無くなった、家族と言う繋がりが大人の感覚で理解できないまま年を経てしまい感情の一部を身につけられずにそろそろ晩年になる、家族と酒を飲んだのは一番下の兄だけでその兄も5年ほど前に他界してしまった、上京した年に生まれた姪も48歳にもなる、悪友達も皆65歳を過ぎて中には70歳になる奴もいる、そろそろ顔を見ておかないと黒枠の葉書が来かねないと縁起でもない事を年賀状を眺めながら考える歳になった、
「正月は冥土の旅の一里塚、目出度くも有れば目出度くもなし」一茶だったか一休だったか、