梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

映画音楽と役者(まとまりが付かない)

2012-04-07 16:19:20 | 雑記
アランドロンが心臓疾患で入院したと言う記事がネットの隅に流れた、一時は知らない人は居ない位のスターだったがもうかなり高齢になって居るんだろうな、
人気は絶大だったが結構「大根役者」と言う評価もあった、演技の下手な役者を「どうやっても当たらない」と言う洒落で「大根役者」と言ったらしいが演技はともかく撮れば売れると言う事からすると大根どころではない、
私はアランドロンの映画はあまり見ていない、記憶に強く残っているのは映画そのものより映画音楽だった、あの頃は映画音楽と言うジャンルが有って人気があった、映画の音楽その物をプレスした物をサウンドとラックと言うがそれ以上に各者各様にアレンジした物が出まわりそっちの方が人気があった、映画音楽専用の楽団も有り、またかなり有名な歌手やジャズ奏者が演奏するも多かった、
アランドロンが有名になった映画で太陽シリーズと言われる物が有った、和名が「太陽は独りぼっち」「太陽が一杯」「太陽は傷だらけ」の3本で音楽のテーマ音楽が一世を風靡した、作曲はニーノ・ロータだった。
洋画と言えばアメリカ以上にヨーロッパ映画が多く掛かり、イタリアとフランスから多くの作品が生まれた、この頃の映画は文学的な物も多く其れに見合った音楽が作られて映画を見なくても音楽を買う事が多かった、逆に音楽から見たくなると言う物も少なくなく、「ヘッドライト」や「シェルブールの雨傘」などは音楽に惹かれて見た映画だった、アランドロンに戻る、彼の映画を見たのは多分随分後で「世にも不思議な物語」と言うオムニバスの一本に出ていた物とチャールズブロンソンと共演した「さらば友よ」とベルモンドと共演した「ボルサリーノ」だけの様な気がする、若しかしたら「ボルサリーノ」は「・・2」の方だったかも知れない、
役者で言えばブロンソンの方が好きである、マンダムの宣伝で名前を覚えたのだが寡黙な独特の雰囲気の役者で「さらば友よ」の後だったと思うが「狼の挽歌」と言う殺し屋の役が哀愁があって好きだ、たしか「荒野の七人」にも出ていたが何処の国の役者なんだろうか、
ジャンポールベルモンドがも好きな役者だった、とぼけた役からシリアスの物まで何をやっても様になる鼻の大きな怪優だった、そういえば彼の映画の音楽は余り記憶に無いな
映画音楽と言えばアメリカの戦争映画で有名なミッチミラー合唱団、恋愛映画や明るい映画のヘンリーマンシーニも有名であるが私が一番好きなのはマイルスデイビスの「死刑台のエレベータ」になるな、元々ブルーノート時代のジャズが好きなのだがこの音楽からなのか逆なのか定かではないのだが

野田総理には何が見えているのだろうか

2012-04-06 13:06:11 | 雑記
野田政権が目指している事が全く解らない、今焦眉の問題となっているのは災害復興の原発問題と景気問題なのだが「政治生命を掛けて」と言い続けている増税は景気浮揚策とはベクトルが逆だ、
災害復旧に大きな足枷になっているのは福島原発事故である事は恐らく間違いないだろう、幾らマスコミが信用できないといってもこの二つは周知の事だと思う、
原発再開の許可を出すかどうか、この基準が二転三転と言うより「再開の為に」基準が段々変わってゆくように見える、
運転再開の条件として「安全基準」を策定し、其れに従って安全策をとり満たなければ運転は認めないと言うことの為に「基準」を作っている筈だが其れが「運転再開が難しそうだから」基準を変えると言うのでは本末転倒だろう、
基準に満たない車は車検を通さない筈なのにブレーキの効きが悪い、ハンドルが廻らなくなる、エンジンが止まらない、と言う車に検査基準の方を「急に止まらなければならない事はそれ程おきないから大丈夫」と言う訳だ、こんな車が公道を走ったら危なくてたまらない。
最初は「国家予算の見直せば増税は無しで、赤字国債も押さえられる」と言って当選してから僅か2年余だが「福祉と補償問題を解決するのには増税をするしかない」となった、
しかし「予算の見直し」がどれだけ出来たか、全く出来ていないと言えるだろう、選挙の時に言っていた公務員給与の削減も本来メスを入れるべき官僚には殆ど入らず、一般社会と格差がそれ程ないだろう一般公務員にしか出来ていない、
事業仕分けで派手に見せた天下りの問題や特殊法人問題も全くと言っていいほど変っていない、
税の直間比率は世界的に見てもかけ離れているようだが他国はその分の福祉関係も関連して居る、傾斜税率も世界的には随分高額所得者に有利になっている、いずれ見直しの時期は来るが本当に平均的或いは一番多数を占める所得レベルの人達に合う見直しが検討されているのかは頗る疑問である、
現在野田総理が強引に進めている方針は庶民の考える事の方向と真逆に向いているような風に見えてならない、
自民党議員から「いずれ誰かが増税の恨みを買わなければ成らないなら野田総理に其れをしょって貰えば良い、その後解散総選挙になれば間違いなく民主党は滑り落ちる」と言う話が漏れてきている、
増税を強行すればこの悪評は間違いない筈だが、そのリスクを背負って国民の怨嗟を受けてまで何故あんなに強行するのだろう、原発再開の「必ずしも地元のコンセンサスが条件ではない」とまで言い放つ程の意欲は何処から出ているのだろうか?
横車を押すと言う言葉があるが与党内の反発まで無視して強行突破は正しく大八車を真横に押して通すと言う感じがする

自治会経費と国家予算の類似性(?)

2012-04-05 09:38:07 | 雑記
先月から区営のアパートに引越した、古い建物で4階建でエレベーターは無い、それなりに痛んでいるが入る前にかなり手を入れているのだが「なんでこんな間取りや構造になっているんだ?」と言う代物だ、しかしお陰で家賃は想像以上に安い、その上去年と一昨年の個人所得が略ゼロだったお陰で特別減免措置と言う奴が受けられて更に安くなった、近隣の青空駐車場より安いのである、
本当に助かるが此れは公的機関から「とっても貧乏である」と言うお墨付きを頂いたわけだから自分としてはやはり忸怩たる物がある、と気取っている場合ではないな、未だ此れからもう一度「お金持ちである」と言うお墨付きを貰える生活になりたいが此れを発行するのは税務署なんでそれも少々避けたい気持ちもある。
団地の自治会役員は輪番制である、此処に移ったのが3月だったので月末に自治会総会が行われて出席をしてきた、この団地は都合3棟が有って5階建てが1棟、4階建てが2棟でそのうち1棟は1階部分が保育園である、横に各々5世帯有るので都合60世帯有るのだが話から判断すると平均年齢は70代後半だと言う、つまり64歳の自分は若手と言う事になる、
自治会報告として「区から経費節減の為に毎年区で行っていた配水管の清掃を自治会に移行する事になった、ついては毎月各戸から徴収していた280円の共益費を区ではなく自治会に移行するがそのかわり清掃と徴収は自治会に一任する」と言う事が議題に上がった、
連絡員の話では「自治会単位で民間に掃除を依頼すると今の共益費ではとても賄えないので回数を減らすか、他の自治会行事を減らすか、掛かる経費を追加で徴収するかの選択をしたい」と言う。
出席者の殆どが仕事らしい仕事を持っていない、「共益費が増えるのは辛い」と言う意見が殆どで結果自治会行事を減らすと言う事になった、自治会として年に2度行っている懇親会を1度にして町会に出している「お祭りの寄付」を半額にする、それで年間5万程度の経費がでる、
それでは毎年依頼する事は無理なので業者依頼は何年かに一度にして年に一度程度は住民で出来るだけの清掃を使用と言う事で決着が付いた、
この団地の自治会予算のあらましは丁度今の国家予算に於ける「税と補償の一体改革」のマイクロ版である、住民の総意は今の国民の総意に近いだろう、まず削れる所を削り、出来るだけ汗を流してそれでもどうしようもなければ仕方ないが僅かと言えども支出できる余裕は無いのが一般庶民だ、
野田政府は自治会の意見を全く聞かず共益費を上げると言う、しかも自治会で使う金より自治会の使う金に廻る部分がかなりあると言っているのに全く聞く気が無い、(この自治会は使っては居ない)
「あくまで一体改革だから後でやる」とは言っているが先ず先に「削る所を削って自治会の経費も抑え」その上で「これ以上削ると必要経費が出ない」と言う事を住民にに明確に示した上でなければ納得は行かない、
しかも「同じ町内にいるのだから共益費は同じだ」と言われても団地外の大邸宅の世帯にとっては280円が1000円になっても痛くも痒くもないだろうが仕事も無い80代に近い世帯にとっては280円が500円になっても生活に響くのだ、
既に野田政権は相撲で言う「しに体」である、税収を上げる前に庶民が納得行く支出削減を実行しない限り法案が通る前に解散総選挙を望むばかりだ。

漫画の話・貸本から「ガロ」と「コム」

2012-04-04 17:44:48 | 雑記
「ずうずうしい奴」と言う小説があったが此れと菊田一男の「がめつい奴」を混同していた、「ずうずうしい奴」は柴田練三郎だったが題名が似ていたのと時期的なものも有るが何より死んだ母親が読んでいたせいだろう、その頃新聞は取らず「週間読売」を買っていたと思って居たのだが次いで面白いと読んでいたのが「悪名」だったので「週刊朝日」の間違いだったようだ、
多分その頃週刊誌は50円前後だったのではないか、獅子文六の「娘と私」も同じ様に週刊誌の連載だったと思うが「ずうずうしい奴」がそうだったか定かではない、
「ずうずうしい奴」は後で週間漫画雑誌で横山まさみちと言う漫画家が連載していた、横山まさみち(字が思い出せない)と言う漫画家は昭和40年代に多くあった貸し本屋専門の雑誌に青春物の「ああ、青春」と言う漫画を書いた、今では全く考えられないような純情な男女の淡い恋物語でそれなりに好きだったのだがそれから10年程度でこの路線が消えていったら突然「ずうずうしい奴」の漫画版に現われるとえろ気たっぷりの作風になっていて驚いたものだった、
貸し本屋は昭和35年位から街で見られるようになり専門の漫画家が月刊誌とは違う癖のある作品を書いていた、漫画週刊誌が始まったのもこの頃だったと思うが青年雑誌と言うジャンルは芸能雑誌の「平凡」と「明星」がある程度で漫画はそれ程乗っていなかった、
週間の漫画雑誌と言えば完全なエロ漫画と言う感じの物でストーリーも雑そのものだったので中学校後半からではちょっと敬遠する内容だった、其処を埋めるように「貸本専門漫画」があって此れは普通の本屋では売っておらず「貸本点」専門の販路が有ったらしい。
分厚いB5版で紙質も褒められたものではなく、白黒2色である、発行は不定期で何時出てくるかも解らないので其れも毎日「貸本屋」にあしげく通う事にもなる
ジャンルがかなりはっきりしていて戦争物の「丸」、ギャング物の「影」「街」剣豪者の「剣」と言ったものでどう言うわけか名前は漢字一文字だった、このギャング物に「さいとうたかお」が、剣豪者に「子連れ狼」で有名になった「小島剛夕」が居た、彼はどちらかと言うと「八百屋お七」や「野崎参り」など女性を主人公にした名作のカバーの様なものを書いていた。
その後月間の「COM」と「ガロ」が出て来る、この頃から漫画と言ってもかなり作品性の高い物が出て来て好きだったが何時の間にかこれも無くなってしまった、この頃の作品に「アタゴオル」と言うのが有って「ヒデヨシ」と言う猫が面白かったのだが調べたらこの本ではなかったようだ、
やはり一番人気があったのは「永島慎二」で時代はヒッピーと言うロングヘアとサイケデリックなシャツにパンタロン、長い袖無しの物を引っ掛けて丸いメガネを掛けて歌舞伎町で深夜までごろごろしていた時期、かれは此処に屯していたらしい、あの頃から漫画は青年漫画と言うジャンルを得たのだが今あのジャンルと言える物が有るのだろうか、漫画と馬鹿にする無かれ、何しろ今映画やテレビでヒットするドラマの殆どは漫画が原作なのだ、
小説の面白さと又違った面白さが漫画にはある、淘汰の激しい漫画市場は独りよがりではない冒険と「知識人・文化人」と言う評価では計りきれない作品が多くある、
中には暴力的ヒーローのジャンルも有る、自分は苦手ではあるがそれは其れなのかも知れないが自分には若干苦手である

必修科目にヒップホップとは

2012-04-03 08:56:53 | 雑記
教育の必修科目に「ダンス」が入ったと言う、それも「ヒップホップ系」も有るそうだが賛成意見はどうも業界系の様だ、「一部反対意見も」と言う記事だがどの程度の「一部」なのだろうか?
「ヒップホップの成り立ちが反社会的なところが有り一部の反対があったが」と言った趣旨のコメントが付いている、しかし必修科目にする必要が私には理解出来ない、ゆとり教育から変化して教育時間が不足する中でなぜ「ヒップホップ」を押し込む必要が有るのだろうか、発祥地のアメリカでも此れが必修授業になっているのだろうか、成っていても日本の文化とは全く違う文化と若者の趣味に迎合する必要が果たして有るのだろうか、人にはえて不得手がある、特に日本人の性格はラテン系とは違う土壌に育っている、
若者達の好みは常に「流行」に沿っている事を理解すべきだ
日本文化は海外から高く評価されているが評価している外国人が口をそろえて必ず言われるのは「こんな素晴らしい文化が有るのに日本人の多くは全く知らない、学校で何故教えないのか?」と言う事である、若者の文化は当然新しいものに向う、しかし其れは非常に短期間で変化し数年で廃れてしまう、そしてそれは「大人になったから」と言う理由で切り捨てられているが基本的に「目新しい物」の殆どは常に一瞬の輝きでしかない事は多くの大人たちも知っている
と同時に「日本古来の文化をもう少し真剣に知っておけば良かった」と言う感情も持っている、
アメリカの黒人社会の底辺から生まれた「ヒップホップ」に行くなら地域毎にある文化を必修科目にするべきではないだろうか、確かに各地の伝統文化として地域活動的に行われているが統計立てて教える事は余り無い、土佐のよさこい踊りはソーラン節と一緒になって「よさこいソーラン」と言うイベントに生まれ変わった、しかし下敷きになった伝統文化がある、これをしっかりと教えてゆく事の方がずっと有意義だろう、