ホンダを辞める事を決め、荷物を運びこんだ寮でまた新聞でこれまでと違う仕事を探す
まず住めるところが無いと困るので住居有りを条件にさがした、
今度は東京の西外れ、大田区久が原と言う所の「東宝食品」と言う会社のルート配送の仕事に就いた。
会社は映画の「東宝株式会社」の子会社で劇場映画館のアイスクリームの製造している会社だった、
有楽町の小さなビルに営業部が有って工場は久が原だが何方が本社登録だったか覚えていない、
住まいは工場の近くでアイスクリームを積み込むと有楽町の事務所に行ってから配達をする、
当時は映画全盛時代で日比谷一帯は多くの映画館がひしめいていた、
有楽町駅の新橋寄り出口を出て晴海通りを日比谷公園側に少し行った最初の信号を渡りその道を進むと円形の塔がある映画館が日比谷劇場、007は此処に掛かった、
路地は斜めに右方向に曲がると大きなエントランスのある映画館が「有楽座」だ
此処には「マイフェアレディ」とか「キャバレー」とか珍しいソヴィエト映画の「戦場」や「カラマーゾフの兄弟」なんかが掛かった、
その先は東宝作品専用の「千代田劇場」、その先の道は「ゆき通り」向こう側は帝国ホテルある、
左に曲がると「みき座」とその上に「芸術座」がある、
みゆき通りを真っすぐ行くとガードをくぐり左に泰明小学校がある、
駅の南側は「日劇」の丸いドーム状の建物がある、「ウェスタンカーニバル」は日劇だった、
その上には「日劇ミュージックホール」と言うレヴユーの踊り子には「あき竹城」も居たそうだが当然そのころは知らない。
日劇の地下には食堂や酒場が有ったが更にその下には劇場の食堂があって自分達は東宝の人間なのでそこで時々昼飯を取ったがミュージックホールのダンサーが三角形のスパンコールと乳首にふさをぶら下げて飯を食っていたのに最初はかなり驚いた
何しろ22~23の健康な男である、脂粉の臭いと豊満な女性の肉体に囲まれては食い物の味も良くわからなかったが何度か行くとそれも慣れてしまうものである、
東宝は劇場だけではなくレストラン関係も多く経営していた、
東宝アイスクリームと言うブランドで「24種のアイスクリーム」と言うのがうたい文句で山手線の駅前に「東宝パーラー」と言うアイスクリームパーラーを経営してたがこれは東宝食品株式会社ではなく「東宝食堂」と言う会社が経営をしていた
有楽町界隈にイタリアンレストラン「リベラ」とか「インドネシア・ラヤ」と言ったドライ関係は「東宝殖産」と言う会社が経営をしていた
それまでの生活とは全く違った職場で水を得た魚が如く、勝手気ままないいかげんな人生の始まりである