☆アッピア夫です。「死後生」という言葉を最近知りました。・・・ノンフィクション作家である柳田邦男氏の言葉ですが、最近放映された『がん哲学』をテーマにしたテレビ番組の中で語られていた概念です。これは、「死後も魂は生き続ける」や「輪廻転生」と言うようなことではなく、「人は死んでも、残された人の心の中で生き続ける」ということです。
柳田邦男氏は、私が「ノンフィクション」を読み漁っていた、まだ若かりし頃に好きになった作家の一人です。(少年の頃はSF小説にはまり、大人になると真逆のノンフィクションにはまると言うのも何とも不思議なものですが、その話は主旨からずれるのでまたの機会に・・・)彼はNHKの記者時代のまだ飛行機事故が頻発していた頃、その原因を徹底的に検証し、「人間は間違いを犯すものだ」という人間の本質を描き出した『マッハの恐怖』という本を書きました。それを読んで感銘を受けた私は、その後フリーとなった彼のノンフィクション作品を次から次へと読みました。
事実を科学的に検証することの重要性を説いた本をいくつも書き続けていた柳田邦男氏は、その後、心を病んでいた次男を自殺で亡くします。その脳死となった次男を臓器移植のドナーとする過程を描いた『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』という本で、それまで科学的に事実を検証することを説いて来た彼が、初めて科学的・医学的観点よりも、父親としての感情を優先することになります。その後、がん関連や、最期の医療に関する本、死生観などに関する本を書くことが多くなります。
そうした書物を書きながら息子の死というものを受け入れていく過程の中で、到達した概念が「死後生」なのかもしれません。ディズニーアニメのクリエイティブディレクターとして、低迷していたディズニーアニメを見事に立て直し、アナ雪の大ヒットに繋げた立役者であるジョン・ラセターいう方も同じことを言っています。
「人は死んでも、既に残された人の一部であり、何かしら重要な影響を与える存在になっているのではないだろうか。人は死んでもいなくなるのではない。いつも残された人の中に生きていると感じる。」「人は、亡くなっても愛する人に影響を与え続ける。その影響で、残された人はより良い人間になれるのではないだろうか。」「残された人の心の中に生き続けるということは、そういうことだと思うんだ。」
私はアッピアを亡くしてから、何かそれなりの決断が必要な時に、「アッピアだったらこう言う時にどう言うだろうか。どう考えるだろうか。」と、気がついたら頭の中で問いかけていることがあります。アッピアが生きていた頃は、意見が異なるとよく喧嘩になったものですが、今はアッピアの言いそうなことを素直に受け止めて、冷静に考えることが出来る。これが、まさに『死後生』ということなのかも知れませんね。
さあ、今日は誰もくれることのなくなったチョコを息子と二人で買ってきて、食べまくろう。お休みなさい。
2015年2月14日 アッピア夫
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柳田邦男氏は、私が「ノンフィクション」を読み漁っていた、まだ若かりし頃に好きになった作家の一人です。(少年の頃はSF小説にはまり、大人になると真逆のノンフィクションにはまると言うのも何とも不思議なものですが、その話は主旨からずれるのでまたの機会に・・・)彼はNHKの記者時代のまだ飛行機事故が頻発していた頃、その原因を徹底的に検証し、「人間は間違いを犯すものだ」という人間の本質を描き出した『マッハの恐怖』という本を書きました。それを読んで感銘を受けた私は、その後フリーとなった彼のノンフィクション作品を次から次へと読みました。
事実を科学的に検証することの重要性を説いた本をいくつも書き続けていた柳田邦男氏は、その後、心を病んでいた次男を自殺で亡くします。その脳死となった次男を臓器移植のドナーとする過程を描いた『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』という本で、それまで科学的に事実を検証することを説いて来た彼が、初めて科学的・医学的観点よりも、父親としての感情を優先することになります。その後、がん関連や、最期の医療に関する本、死生観などに関する本を書くことが多くなります。
そうした書物を書きながら息子の死というものを受け入れていく過程の中で、到達した概念が「死後生」なのかもしれません。ディズニーアニメのクリエイティブディレクターとして、低迷していたディズニーアニメを見事に立て直し、アナ雪の大ヒットに繋げた立役者であるジョン・ラセターいう方も同じことを言っています。
「人は死んでも、既に残された人の一部であり、何かしら重要な影響を与える存在になっているのではないだろうか。人は死んでもいなくなるのではない。いつも残された人の中に生きていると感じる。」「人は、亡くなっても愛する人に影響を与え続ける。その影響で、残された人はより良い人間になれるのではないだろうか。」「残された人の心の中に生き続けるということは、そういうことだと思うんだ。」
私はアッピアを亡くしてから、何かそれなりの決断が必要な時に、「アッピアだったらこう言う時にどう言うだろうか。どう考えるだろうか。」と、気がついたら頭の中で問いかけていることがあります。アッピアが生きていた頃は、意見が異なるとよく喧嘩になったものですが、今はアッピアの言いそうなことを素直に受け止めて、冷静に考えることが出来る。これが、まさに『死後生』ということなのかも知れませんね。
さあ、今日は誰もくれることのなくなったチョコを息子と二人で買ってきて、食べまくろう。お休みなさい。
2015年2月14日 アッピア夫
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