波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「気持ちの共有」~アッピアが家族に求めていたと思うこと

2015-02-21 00:16:22 | アッピアとの思い出
☆アッピア夫です。2月24日に14年目の結婚記念日を迎えます。どう祝うかは、この週末に息子と相談したいと思いますが、この機会に、病気と向き合いながらアッピアとどう生活して来たのかを少し振り返ってみようと思います。

病気が発覚した直後のアッピアは、まるで反抗期で手がつけられない女子高生のようでした。すぐに対応しなければならない入院・手術のことや、その時はまだ生後半年だった息子のこともあり、親族で今後どうするかを話し合っていると、「何よ。まるで私をやっかいもののようにして!」と当たり散らしたかと思えば、突然ワーッと泣き出す・・・こちらもどう対応していいのか分かりませんでしたが、今考えると、突然降って湧いた過酷な運命を背負うには何の心の準備も出来ておらず、情緒不安定になるのも無理のないことでした。

最初の手術も無事に終わり「やっと気持ち的にも少し受け入れられて来たかな?」と思ったのもつかの間。手術後の治療に当たって別の医師の意見も訊きたいと、セカンドオピニオンの病院に向かう道すがら、見てはならない主治医から渡されたデータを覗き見したアッピアは、リンパ節に飛んでいる癌細胞の数の多さに動転。その日仕事でどうしても一緒に行けなかった私に、泣きながら電話をして来ました。「もう私は生きられない。ぜったいに無理。子供もまだ小さくこれからなのに・・・いったいどうすればいいの?」

それから、アッピアが子供を抱っこしながら、一方で過酷な運命を背負うと言う日々が始まる訳ですが、再発が避けられないことを悟った彼女は、ありとあらゆる方法で自分の気持ちの落とし所を探っていたように思います。それから1年後に再発転移するのですが、もうその時には私よりも彼女の方が落ち着いていて、「この人には勝てない」と思わされ、「この強さがあればきっと乗り越えられる」と確信させられました。

その後の揺れ動く気持ちや気持ちの変化などは本人もブログに書いていますが、家庭においては、様々な場面で「もしもこれが自分だったらどうする?」「私はこう思うけどあなたは?」と、常にこちらの考えを問いかけられました。私が自分の考えを言うと、「それは自分が病気じゃないからそう言えるんだよね。」「本当に自分が病気だったらどうするかを考えて!」・・・これは数学の微分積分よりも難しい・・・

難しい質問にこちらも真剣に考えざるを得ませんでしたが、なかなか彼女の納得する答えを出せなかったような気がします。今思うと、彼女が家族に一番望んでいたことは「気持ちの共有」だったのでしょうね。

まだ物心がつくかどうかの幼稚園生の息子に、「お母さんはもう長く生きられないからね。いつかいなくなるんだよ。」と話すことがあり、「それは幼い子供にとってはとても酷なことだから、絶対に言うな。」と話したことがありますが、彼女にしてみれば、家族であるからこそ相手が私であれ息子であれ、「自分の気持ちを聞いてもらいたい」「気持ちを共有したい」ということの表われだったのでしょうね。

アッピアが旅立ち、今冷静にその頃を振り返る中で思うのは、病気を抱える家族として大切なことは、『常に寄り添うこと』『話を聞いて共感すること』、そして最も大事なのは『気持ちを共有すること』なのではないかと思います。

『気持ちを共有する』・・・偉そうに書いていますが、実はそう簡単に出来るものではないことも身にしみて感じています。完全に出来なかったとしても、「相手の気持ちを理解しよう」とすることは誰でも出来るし、そう思うよう努力することが大切なのでしょうね。

2015年2月21日 アッピア夫


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コメント (2)
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