河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

Iターンの美術

2017-10-11 00:29:59 | 絵画

地方創生大臣もいる国だが、ある地方出身者が故郷の町に厳しい思いをネットに載せていた。若い人が地方にあこがれを抱いてIターンで移住するケースが増えているが、多くの人が思いしなかった地方の問題にぶっつかっている。ほとんどの地方自治体ではIターン、Uターンを受け入れるための担当課を設け、様々なサービスが受け入れられるような体裁を整えているが・・・・。想定外の出来事が事故のように起きているのではなく、地方の現実が、都会から思う生活の常識と違っているのである。夢を抱くには調査が必要だ。 

この浜田市でも介護サービスの担当者不足から、補助金を出してシングルマザーを県外から募集した。シングルマザーにとってみれば生活が安定し子育てが出来ることが人生最大の目標になっていたところを援助するはずだった。市長の久保田氏もNHKの番組に出演して、やたら行政サービスを強調していた。しかしこの介護サービスを担当しながら子育てをすることが破綻した。なぜなら市の担当は彼女たちを夜中に呼び出して働かせたからである。シングルマザーの子育ての障害となる時間の拘束は耐えられなかっただろう。多くの人が辞めて行った。この町に来て、また去るという手間は彼らに思わぬ負担をかけてしまった。この行政サービスを思いついた者は反省したかどうか・・・。どこか上から目線で、これはどうだと言わんばかりの気がする。ネットで故郷の町の硬直化した現状が「年寄りのルール」だと批判した彼の言う通りのことがどこでも起きている。この「年寄りのルール」とは、既得権者が自分たちの利益を確保しながら、一向に他者の現実の問題に興味を示さないことだ。

地方都市のシャッター街はどこにもある。原因は街の機能のグローバル化で、高等教育を受けるためには都会へ出なければならないし、留まる若者に新しく魅力的な職業がないこと、十分に欲求を満たす物がないことなどで、コンビニ、スーパーや大型商業施設の出店を許してしまう。そして家族一人一人に一台の車が普及する。かつての繁華街のさび付いたシャッター通りを車が走り抜ける。止まりはしない。こうなる前に誰か、この流れを止めようとしただろうか?

この町は漁業で栄え、国から指定港として港整備の補助金を境港、新潟港、函館港など6港に重点的に受けていたにも拘わらず、水揚げ量が極端に減っている。ここで水揚げされる魚の大部分は加工用の魚ばかりで、市民が消費する魚は他県から持ち込まれるものが多い。だから東京のスーパーの魚と値段は変わらない。魚種も東京の方が多いのは築地が流通で機能していいて、この浜田では機能していないということだ。浜田に水揚げするより、隣の大田市の港に揚げた方が漁師が満ち込む魚の値段が高いらしい。つまりここ浜田では仲買に叩かれてあまり儲からないから、隣の港に持ち込むのだ。若者の就職先として「漁師の息子は漁師になる」という伝統はもはやない。ただそれしか出来ないと思う若者が従事するのだ。とても好きで」自分の人生を選んでいるとは思えない。市と漁協は補助金つまり税金だけ食ってしまった。

私はこの町にIターンでやって来て5年になる。つまり定年後の生活をここで初めて、魚を釣り、絵を描き、畑をいじり、猫と遊ぶ・・・というのが願望であった。自分の願望は自分次第であり、わがままであれば良いことだ。しかし生活となるといろんな所で想定外のことが起きる事に成る。ある日、東京から乗ってきたハイエースを買い替えようと島根トヨペットへ出かけて見積もりを取った。全く安くならない・・・おまけに店長いわく「貴方は一見さんだから手付を50万円払ってくれ」と言う。30年間トヨタに乗ってきたが、こんなことを言われたのは初めてだ。馬鹿野郎!!と山口まで行ってレジアスエースというのを買った。ごみ捨ての問題で町内とトラブル・・・「あんたは町内会費を払わないから、ここにゴミを捨てるな」と町内会長と近所のばあさんが言う。ゴミステーションの外に置くと最初から言っているのに。まあ排他的であることはいとまがないほどある。

だからこの町にある美術館には足を向けなかった。嫌な目に合うと思っていたからである。

石正(せきしょう)美術館というのと、浜田市世界こども美術館というのがあるが、石正とは石本正という日本画家のことで、日本画では三流で、あまり有名ではないが三隅町生まれで「おらが町の大先生」というので町が現存作家であるにも拘らず、美術館を建ててしまっていたところ、市町村合併で浜田市の美術館になってしまった。石本正は最近亡くなったが、それまで美術館で日本画教室などを開いて市民の美術教育に貢献していた。が、しかし現存作家の美術館を公金で建ててやること自体はタブーである。(美術館は本来評価を受けた作家の作品を調査研究しながら保存していく施設である。死なないうちに評価は定まらないとするのが常識。ちなみに鎌倉市は平山郁夫の生前贈与を断った。良識ある選択だった。人はまず金、次に名誉を欲しがる。)

こども美術館はなぜこの町にあるのかという理由が分からないが、当初この美術館の参与をやっていたブリヂストン美術館で学芸員をやっていた者が関わっていたことは知っているが、この浜田市と愛知県岡崎市にだけこども美術館がある。子供に特化して何があるのか?何故都会にはないのか? 逆に、美術館づくりのアイデアが何もなかったから、他がやっていないことを提案して、奇妙なものを、ふさわしくもないこの町に作らせたのだろう。おまけに建物も美術館の体を成していいない。教育委員会のお偉方が海外視察とか言ってあちこち遊興三昧して歩いて、つまりはまた美術館がどういうものか学ぶことなくガラス張りの展示室に坂道になった回廊展示室を作ったのだ。建築家は日本海の波をイメージしたのだそうな。坂になった展示室は海外にもあると威張っている。(おそらくニューヨーク近代美術館つまりグーゲンハイム美術館のことだと思うが)実際に観覧者がどの様な思いでいるのか調べもしなかったであろう。程度の低い建築家のエゴである。

グーゲンハイム美術館は逆円錐でぐるぐると巻貝の中を歩いて絵を鑑賞するように出来ている。おまけに建物の真ん中は吹き抜けで空調も効かない。らせんの展示室では身障者は排除される。健常者でも片足に重心が載って、体は斜めになっている。美術鑑賞の環境ではない。浜田のこども美術館も坂のある展示室をどのように身障者に利用させるのだろうか?問題は教育委員会の幹部が自分たちのやってきたことは素晴らしいと思っていることである。

かつて西洋美術館の在職中にモネ作品の貸し出し依頼が来たことがあった。この浜田市に引っ越す前からヒラマサ釣りに何度も来ていいて、一度だけ見学したことがあって、施設設備についてはチェックしていた。外光、照明、温湿度、展示室を見ていた。来館者はほとんど居なくて、ロビーに乳母車と若い母親が4人。こども美術館だから子供は週日は学校だ。土日に何かワークショップをやればよい方だ、子供用の展示には現代アートが置いてあった。触って壊すこともあり得るから・・・・それが基準かも知れない。子供を対象とした美術館運営に失望して他館に去った学芸員もいた。当然であろう。美術館の機能としてある美術作品の収集、保管、調査研究、教育普及などのメインの仕事が見えないのである。子供用ギャラリーとでも言うべきだろう。貸し出しの件は当然ながら断った。

実は、この町の美術文化について良きにつけ悪しきにつけ様々な話を聞いてきたので、浜田市が開催している「浜田市美術展」に出品して見ようかと、つい色気を出したのだ。ある人曰く「坂のある展示室で中学生の作品の間に展示されるよ」と。まさかと思ったが、そのまさかであった。

作品搬入のとき、ロビーに受付があって、そこで作品を渡すのであるが、受付の女性がひょいと作品をつかんで、台車に載せた。「ご苦労様でした」・・・・「あのう・・・受け取りというか、預かり証とかはないのですか?」と尋ねたら「えーー!!??」という顔をされた。作品票というのを名前や題名を書いて提出するのであるが、それのコピーならあげますという。参加料1500円を払ったが、その領収書もなかった。・・・・ということは後日の会計報告もないのだろう。数日後、賞をあげるから美術館に来てくださいとのはがきがあった。教育委員会賞だそうで、市長賞、市議会議長賞に継ぐ、三番目だった。

まあ授賞式当日、他の出品者の作品も見る事に成ったが、流石に坂の回廊ではなかったが、私の作品は中央の部屋の隅の壁の間際に掛けられていた。真ん中には「市長賞」だが、驚いたのなんの、市長賞は表現の精彩を失った「くず」のような作品で(後でわかったことだが、美術担任の教師が手を入れたらしい、当人は気に食わなかったが、賞の選考を行ったこの教師は教え子に賞を与えたのだ・・・自分がいじったからか?)・・・・浜田高校二年生の作品。この町の不幸は、これだ!! 

ある人曰く、去年も高校生で、どうも審査員の教え子らしいのだ。高校生で天才的な作品が欠ける者がこの日本にいるとは思えないことぐらい、誰にも分るだろう。しかしこの町では世間も判らない高校生に市長賞と、他の大人の作品を出し抜いたような賞を与えるとは・・・.現に大人に向かって「あんたには言われたくないわ!」と生意気を言う生徒もいるぐらいだから。この子たちが将来、美術方面に進学すると、否が応でも厳しい現実に叩きのめされるだろう。悪いのは生徒ではなく、訳の分からない大人だ。

どうもこの「浜田市美術展」の正体が見えてきたのだが、主催は浜田市、浜田市教育委員会、(公益財団法人)浜田市教育文化振興事業団浜田市世界こども美術館で、主管(管理の中心となるもの)浜田市美術展実行委員会だそうだ。問い合わせなどは市の教育委員会が受けている。浜田市の教育委員会に美術が分かる者がいるわけがないのだが、主催者は名前だけで、美術館の学芸員の関与が見えないのは、この美術館の性格からも自然な成り行きだろう。まともなコレクションが無くて、作品い実際触れる機会が少ないのだ。子供の為に現代アートを展示しても、子供の遊び道具になっているし、その程度の認識だから。結局、実行委員会という「ちょいと美術に関係してきた人」その人達が、優れた成果を残してきて、現在の美術展があるのではなく、資質のあるなしを問わず集めた人達によって審査員が構成され、展覧会の傾向(体質)が作られてきたのである。こども美術館の館長は元高校の美術教師であり、高校教師では岡山大学教育学部出身が島根県には多い。教育学部の出身者は小学校、中学校の教師をするのが常識だと思っていたら、ここ島根では歴史が違う。彼らが子供たちに「古いところの美術を学んでも何もならない」と教えているのだ。そして勿論美術館業務の経験者はいないから、ある意味では独自性が際立つ美術館になる。それでもかまわないが、博物館学で言うところの業務内容は学芸員として身に着けて置かねばならないし、館長がそれを知らないでは済むまい。

それで分かったことは、アジアのどこかの発展途上国の総理大臣が友達や同じ考え男持つ者に特別な計らいをするという体質はこの国の地方の名産品でもある。それで人と人の関係がつながっていて、これに入らない限り仲間ではないのだ。だから市長賞をもらった女の子は一生、この口利き先生に仕える事に成るのだ。早いうちに彼女は解放されるべきだ。

島根県の展覧会ではもっとすごいことが起きている。絵画だけの審査員で20人以上いる。なぜかというと、日展系、国画会系、東光会系など・・・団体展のつながりで、自分の会派の者が入選するように計らうために数が増えているのだ。足のケタグリ合いなど珍しくもない。こうした県民の美術展の趣旨を飛ばしてしまう傾向を排除したのが山口県美だ。山口では普通の県民のための展覧会は止めてしまって、現代アートの展覧会で県外の出品者も入れた公募展にしたのだ。私は現代アートは興味ないから、どうでもいいけど、苦肉の策で地方にある既得権を主張する「年寄りのルール」をかわしたのは仕方がない。

浜田に他県から来ている人たちはクールに過ごしている。私も5年になるからそろそろ、雑念を払って欲を捨てて自分自身が「年寄りのルール」にならないようにクールかな。