河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

やっと始めました

2020-02-03 12:35:19 | 絵画

ここのところ、気にかかることが多すぎて絵を描くことが出来ませんでした。頭の中には次に描きたい構想があるのに、手が付けられなかったのです。しかし何かのTV番組でロンドンのホームレスの男性が野良犬と一緒に生きるようになって、「前向きに生きる気力」と得て、路上で恵んでもらった僅かなお金で画用紙のブロックとインクペンを買って絵を描き始めたという話。子供のころから絵を描くのが好きだったけど、両親を失って祖父のもとに身を寄せていた時、祖父に見せた絵を破り捨てられてから、心になかにあった欲求を抑えて生きてきたことは、路上生活によって解放されたが、野良犬との出会いがなければ野垂れ死にする未来しかなかったが、二人が寄り添うことで芽生えた生きる気力を得て、ペン画を描き始めたことで人生の大転換を得た話。風景を描いたペン画は最初はだれも見向きもしなかったが、ある日通りすがりの女性に、相棒の野良犬の絵を描いてくれないかと頼まれて描いた絵が「少ないけど・・・」と言って、20パウンドで売れた時から「目からうろこ」の人生が始まり、うわさを聞き付けた町の画商によって、個展を開いてもらい、その売り上げで・・・1460万円ぐらいだったか・・・破格の収入があって、家に住めるようになった。しかし今でも彼はその犬と一緒に週に2回は路上で絵を描き続けているという・・・。

私はその犬に涙が出た。人に寄り添い苦楽を共にする・・・やはり愛玩動物とされる犬や猫は人が作った動物で、お互いに情をかわすことが出来て信頼できる相手だと・・・思った。

この元ホームレスの彼の描く絵は「拘りから抜け出た描写」で、風景画にせよ自由な表現様式だ。そこが最も魅力的で、山下清の絵を思い出した。決してアカデミックな教育から得られたデッサン力や空間表現などではない。番組では現代アーティスト(?)とのコラボのデッサンも紹介していたが・・・・全く無意味で、彼の個性を台無しにしただけで、見たくもなかった。路上で女性に頼まれて初めて相棒の犬を描いたとされる犬の絵は随分彼の描き方から異質で・・・・ひょっとしてこの再現VTRの為に誰かが描いたのではと思わせるもの・・・立体感があってアカデミックな表現だった・・・で、彼がいくつか描いていいる犬の絵が次第に「売り絵的」つまり手抜きになりつつあるのが心配だ。

まあいい、人のことは。自分のことを考えなくてはと思って、頭の中にある構想は吐き出しておかねばと思った。家の中には描きくさしの作品がいくつもあって、過去にこのブログで「制作中」として紹介して、以降全く進展していなかった言い訳は又にするとして・・・取り合えず、30x40cmのマット紙の切れ端に「スーパームーン」という題の下描きデッサンを始めた。これはもっと大きいサイズに拡大し油彩で描くことにする。この点は予定でいいのだ。頭の中の構想が吐き出されることで「生きている実感」を得ることが出来る。

また猫の話になるけれど、去年の暮れから2匹死んだ。どちらも5歳半で、母親は別だが同じ時期に生まれて当時の朝ドラで「花子とアン」というのから登場人物の名前から「あにやん、かよ、花子、蓮子」とか付けたのに、さらに「がね、たね」とか脈絡もなく付けなくなるほど、二匹の母親から一気に子猫が生まれて、最もにぎやかだった年の子たちが今病気などで死に向かっている。今もその彼らの中の3匹が体調が悪い。具体的には食事量が減って痩せて来ている。我が家の一番の長生きは「勘助(山本)」くん17歳で、今年になって食が細くなってきて、好き嫌いのわがままを言うようになった。寒い中外に出て、草むらに座り込んでいる彼を見ると、そろそろかと思ってしまう。我が家の多頭飼の限度は25匹になっている。生まれれば絵かが死ぬ・・・数が拮抗している。友人が「そろそろ数を減らしたら・・・」と言うけれど、正直言って「ぞっとする」助言だ。命あるものの数を減らすなど・・・・あってはならない。

さて、今一度制作意欲に目覚めて、新境地が開けますように。