フランドル絵画について初めて知識を得たのはドイツの技法研究者マックス・ドルナー本の試訳が1970年頃世に出回った時である。この試訳は熊本大学ドイツ文学部教授による試訳によって、5冊のフォトコピー状態で東京造形大学学生であった時に先輩の青木敏郎氏が古典ゼミのメンバーに一冊500円で写すために貸し出したことで、A4コピー一枚が大学の図書館で40円の時代で、それこそ貧乏学生は手書きで写したものである。思い出すと笑える。がめつい青木氏の結局飲み代に消えたのであるから。
その試訳であるが、その後に日本の出版社から翻訳本が出てみて、試訳が優れものであったことが良く分かった。
現在、私の手元にはドルナー本、MAL MATERIAL 第15版 1980年(HANS GERT MULLERによる改定)ならびに英語版 THE MATERIALS OF THE ARTIST, EUGINE NEUHOUS 訳 1984年、邦訳 絵画技術体系 佐藤一郎訳(第14版)があり、これらを参照しながら解説する。
当時は黒江光彦氏が訳したグザヴィエ・ド・ラングレの書いた技法案内書が最新な技法について手に入る唯一の文献で、これらの中身を信じるほかなかった。しかしそれらは実技者にとって決して満足のいくものではないことが次第に分かっていく。それでもドルナー本はラングレよりより深く具体的に考察したところが信頼に値したが、実は彼は1870年~1939年に活躍した人で第二次大戦前の人で、ドルナー本は1934年に著作権が設定されているから、それこそナチスが台頭し、ユダヤ人の迫害が始まった頃である。彼に大きな影響を与えたと思える技法材料に関する著作はエルンスト・ベルガーという多言語学者がラテン語、ギリシャ語にまで及んで文献を網羅してドイツ語で出版した大著がある。しかし彼が若かりし頃のドイツでもアカデミックな教育が残っていて、ドルナー本も実技者が最も興味を抱き学びたい内容を明らかにしたいという視点で書かれていた。彼を記念する現在のミュンヘンのドルナー研究所はその継承である。そして後続がいる、ドルナーの弟子クルト・ヴェールテまたその弟子トーマス・ブラハートそしてその弟子が私である。(なに!!少し生意気だって?まあ良いではないか)
私がニュールンベルグのゲルマン民族博物館の修復アトリエで学び始めて、勧められたのはドルナー本よりヴェールテ本であった。それぞれ世代を超えて視点を合理的、科学的にして絵画技法について実技者に明確な指示を与えたのだ。
ブラハート氏の研究室には材料研究室があって、様々な絵画材料の原材料となるものが集められていた。私は一時帰国した際に集めたガンボージ黄や日本漆を寄贈した。
ドルナー本から脱却するには簡単ではなかったが、ベルギー王立文化財研究所がゲントの祭壇画《神秘の仔羊》を修復する際に絵具層の科学分析を行って報告した内容から、ドルナーが考察した描画手順や材料がどうも的外れであったことで、簡単には解決できなかったラピスラズリ青の使い方についての問題を除いて、どうも想定が間違った方向に理解されてきたということだ。
ヴェールテはドルナーのファン・アイクの技法についてはドルナー先生の意見に真っ向から異論は唱えていなかったから、その後も多くの人はドルナーの意見が世の流れに残っていた。
そしてこの国でも誤解があるままであるから、次回から私の意見を入れてフランドル絵画の技法について語りたい。