河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

想いを描く

2023-05-14 11:15:22 | 絵画

いい加減に生きるのは自分の時間がもったいないから本音で生きる。正直でありたいが他人との軋轢は心に傷がつく。だからか、多くの人は妥協して自分を殺して生きる。それが当たり前と考える者は同じ生き方を他人に求める。

幼稚園の時から制服を着せ同じ扱いをする。言うことを聞かなければ「たたく」「ののしる」のが今日なお行われている。少しぐらいの体罰は必要だと考える者まで居て、大学生になっても暴力を受ける。

今ではSNSとやらで「口暴力」を日常化させている者もいる。

何故そんなに感情的になってしまうのか。それは理屈でモノが考えられなくて、まず情緒に左右されるからだ。しかもこれはこの国の国民性であって、世界中がこんなではない。・・・・などと言うと「出羽守(でわのかみ)」と言われるらしい。世界中がこうではないと言われると「気分」を害するのだろう。私がこれに対して「井の中の蛙」「ガラパゴス」と言えばケンカになるから無視するが・・・。こうして私は世間から「はみ出し」てきたのだろう。

しかしもう少し日本人は海外の人たちの考え方や行動の仕方に注意して欲しいのだが。そうすることで自分を感じるだろう、長い歴史の中で日本人が最も不得意としてきたのは「変化」であって、ずっと同じで難しいことは考えなくて済むようにしてきた。だから「本音」では生きていけなくて「建前」が先に来るようになってしまったのではないか。役人の世界では「前例主義」と言うのがあって、新しくモノを考えないのだ。

そして見過ごされてきた「人権」や「個人性」が未だに歪んだ日本の社会を作っている。

がっかりする私。悪い意味ではなくて「はみ出し者」「唯我独尊」と呼ばれているのを素直に喜べないのは、私ひとりそう言われても仕方ないから、みんな個人性を主張し、唯我独尊で多様性の社会を実現できれば、個人個人が幸せになれるのにと・・・・一人思う。

こんなことをいつも思う自分が描く絵は、普通にそこいらに在るものではなく、つまり目の前にあるものを美しく描いて見せるのでは満足できなくて「想い」を描けるように努力している。

想ったことが描けるなんて「才能」が要る。このところずっと絵が描けなかった。浜田に来て訴訟をやったり病気をやったりで心の中がむちゃくちゃになった。落ち着きのない自分にまたイラつく。

すこし諦めてやっと見えてきた自分の流儀。無理を通そうとして、なれない高尚な技法や表現を望み過ぎたのだ。だから今、もっとも自分らしいレベルの表現を感じ始めた。

こういうのを絵を描く世界では「素直に描く」という。他人の事ではなく「唯我独尊」で自分を大切にすると「素直」になれるのだ。

その時の作品がみすぼらしくても自分だからね。