地震が起きるたびに人が亡くなるのが悲しい。多くの人たちに、自分は大丈夫だというバイアス(思い込み)が働いて、防災の準備が出来ないのだ。石川県は金沢大学が地震被害の傾向を測る目安を作っていて、それを私はシンポジュウムの小論に掲載させてもらったことがある。だから実に悔しく感じる。墓石が同じ方向に倒れるのは震源から震度5強の地震動が伝わっていく方向を示している論文だった。ガル数にして250ガルで、これを基準に私は屋内展示彫刻の免震滑り板の滑り荷重を決めて、お客さんが触ったぐらいでは動かず、お客さんが足腰を取られる荷重で動く程度にした。そしたら若い愛知から来た学芸課長が「こんな無駄をしやがって」と嫌味を言いに来た。それまで木の台の上に載っていたものを、中国に注文を出して作った(日本国内では2倍費用がかかる)石の台座を全ての展示中の重要彫刻にあつらえたら・・・確かに費用は掛かったが、石台座製作費、取り付け金物費、免震板費などと取り付け費を合計すれば結構な額になるが・・・それでも半永久的に使える台座になった。それに文句を付けようというのだから、ただ私がやっていることが憎いのだろう。そう言う彼は「現場」が無いから、頭の中で価値を決めるのだろう。こぅいうのを「官僚的」という。
今回も何故、倒壊家屋の下敷きになって多くの人が亡くなったか・・・明らかだ。在来工法で作られた屋根が重いウサギ小屋のせいだ。田舎でも土地が高いから?小さな土地に尺寸で家を作って、四畳半、六畳という小さな部屋を作ってしまう。ほとんどの人が一階に住むから広く使うために壁を減らして、多くを柱で二階を支える。つまり地震時に必要な「耐震壁」が見当たらない。家の中央や四隅には耐震壁が必要で、強い揺れを抑える強さが大事だった。それは神戸で多くのお年寄りが亡くなって、皆知っているだろうに!!!???くやしいね。
今私が建てている家が・・・次第に「在来工法でウサギ小屋」になってきた。建築業者に腹立ちまぎれに噴火している!!
くそ!!新築なのに材料が高いとか・・・確かに万博や今回の地震でまた建築材料価格が高騰するだろうよ。
何故、いまだに尺寸法なのか?なぜだ??この国の伝統だから?いや、そんなものどうでもいいはずだ、阿部が「年号法」を定めてみんな面倒くさくても「明治、大正、昭和、平成、令和・・・」ときたもんだ。こういうのを「日本会議」とかが「美しい日本」とかいうのだ・・・馬鹿じゃねえか・・・面倒なだけで合理性は欠如して、不利益が生じている。無駄は排除しなければ、日本の経済産業がおかしいだろうに。