きょうの昼は何を食べようと考えていたら、ふと父と食べたあんかけそばのことを思い出した。30年前のこと。
ぼくの親は木工業を営んでいて、年に何度か名古屋の貯木場に材木の買い付けに出かけた。
大学時代の長期休みは自転車の旅とJAZZ合宿を除いては、ずっと家の手伝いに信州に戻って家業を手伝った。
小学生の頃から送り状の印刷を手伝っていたし、高校生の頃からは出荷の荷造りは自分の仕事となっていたから、家業の手伝いは当たり前のことだった。
自動車免許を取得すると、材木買い付けのための運転手も当然の流れ。
広い貯木場には直径1~2m長さが5m以上のスプルースの原木が一面に浮かんでいる。
ぼくらはその材木の上に飛び乗って、丸太乗りのように二人で丸太を揺すりながら勢いをつけて、1回転させる。丸太が1回転する間に木の目を見て良し悪しを判断するという作業を続ける。危険な作業である。
数本の買い付けで500万円以上になるので、とても真剣な作業となる。その当時の物価からするとかなりの金額だと思う。
当然ながら気に入った何本かを選ぶのにかなりの時間を要す。
大学3年の頃だったが、仕事が終わって二人で食事をしようと父が言った。
材木問屋の並ぶ地味な町の中の中華料理屋に入った。
父はしばらくメニューを見てから、ラーメンを注文し、ぼくはあんかけそばを注文した。
父が「それはどんなものか?甘いのか?」と訊いた。餡がかかっていると思ったらしい。
「おまえはおしゃれなものを知っとるなあ。父さんはメニュー見てもラーメンしかわからんなあ」と父が言った。
ぼくはどういうものかを説明したけれど、説明しながら申し訳ない気持ちになった。
一時期は少し栄えた家業ではあったが、そのために事業を広げ土地を買い、仕事と支払いに追われていたのであろう。
食に贅をすることもなく仕事に打ち込み、家族のために尽くしてくれた父の生き方が心に染みた。
きょうの写真は数日前の旧山手通りにて深夜3時に道路工事をする人です。
ぼくの親は木工業を営んでいて、年に何度か名古屋の貯木場に材木の買い付けに出かけた。
大学時代の長期休みは自転車の旅とJAZZ合宿を除いては、ずっと家の手伝いに信州に戻って家業を手伝った。
小学生の頃から送り状の印刷を手伝っていたし、高校生の頃からは出荷の荷造りは自分の仕事となっていたから、家業の手伝いは当たり前のことだった。
自動車免許を取得すると、材木買い付けのための運転手も当然の流れ。
広い貯木場には直径1~2m長さが5m以上のスプルースの原木が一面に浮かんでいる。
ぼくらはその材木の上に飛び乗って、丸太乗りのように二人で丸太を揺すりながら勢いをつけて、1回転させる。丸太が1回転する間に木の目を見て良し悪しを判断するという作業を続ける。危険な作業である。
数本の買い付けで500万円以上になるので、とても真剣な作業となる。その当時の物価からするとかなりの金額だと思う。
当然ながら気に入った何本かを選ぶのにかなりの時間を要す。
大学3年の頃だったが、仕事が終わって二人で食事をしようと父が言った。
材木問屋の並ぶ地味な町の中の中華料理屋に入った。
父はしばらくメニューを見てから、ラーメンを注文し、ぼくはあんかけそばを注文した。
父が「それはどんなものか?甘いのか?」と訊いた。餡がかかっていると思ったらしい。
「おまえはおしゃれなものを知っとるなあ。父さんはメニュー見てもラーメンしかわからんなあ」と父が言った。
ぼくはどういうものかを説明したけれど、説明しながら申し訳ない気持ちになった。
一時期は少し栄えた家業ではあったが、そのために事業を広げ土地を買い、仕事と支払いに追われていたのであろう。
食に贅をすることもなく仕事に打ち込み、家族のために尽くしてくれた父の生き方が心に染みた。
きょうの写真は数日前の旧山手通りにて深夜3時に道路工事をする人です。
木の匂いがする作業場には木屑が転がっていて、そこでよく遊びました。
小さな物語を作って遊ぶのが楽しかったです。
その人と、よく夏になると近所にカキ氷を食べに行ったのですが、カキ氷の氷の山をごつごつした手でグシャって潰すのですよ(笑
なんとなく、時に触れては思い出すシーンです。
あんかけ焼きそば大好きです♪
夜中の道路工事・・・
お疲れ様です。
夜の工事する人って大変ですよね。体に気をつけてがんばってほしいです。
私の父も、なんだか楽しみがあるのか、と思うほどがむしゃらに仕事していましたので、時代に取り残されていくような気がしている時があったようです。
「もう娘たちの時代だよ」って酔っ払うと知人に言っていたみたい。本当にそんなこと言いながら逝ってしまいました。
ごめんなさい、なんかとてもしめっぽくなってしまいました。
TBありがと。ぼくの父もだいぶ前にいっちゃいました。
3週間後が13回忌です。
ちょっと前にも書いたんですが、桜が散るころです。
亡くなっているからこそ存在感が大きいです。