ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

恐るべき進化!!光中実践第3回

2014-07-12 08:01:23 | 対話型鑑賞
光中の実践については画像を前々回にUPしました。
生徒のワークシートが届きましたので、その中から、「おおっ!!」と私が感動した記述をお届けします!!

☆ワークシートの最初のアンケートの回答結果です。(回答者数16名)
A)しっかり絵をみることができた               ④15名 ③1名 ②0名 ①0名
B)絵をみてしっかり考えることができた            ④14名 ③2名 ②0名
C)自分の意見を言うことができた               ④ 7名 ③6名 ②2名 ①1名
D)友達の意見をしっかり聴くことができた           ④15名 ③1名 ②0名 ①0名
E)友だちの意見を聴いて、自分の考えをより深めることができた ④13名 ③3名 ②0名 ①0名
F)このような鑑賞をまたやりたい               ④15名 ③1名 ②0名 ①0名 

☆今回の実践では、多くの生徒が発言をしましたが、発言回数や内容に満足していないのか、Cの問いに関する評価が低いです。もっと発言したいという欲求と、それに比べると発言できていない自分とのギャップがこの評価を生んだのでしょうか?授業時間内の限られた時間での発言はどの生徒も十分に満足できるほどには確保できないので評価を上げるのはなかなか困難です。しかし、別の角度から見た場合、1回発言したくらいでは満足できなくなっているとも取れます。前回も前々回も1度の発言で④の評価をしていた生徒がかなりいたからです。生徒の中に、十分に納得できる自分の考えを皆の前で発言できたかという、回数ではなく、内容に関しての評価も加味されてきているのかも知れません。その辺り、次回の発言に関するアンケートの質問内容を再考する必要があるかも知れないと感じています。

☆では、雪舟の「慧可断臂図」を生徒はどう読み取ったのか?一人の男子生徒の記述を紹介します。
 実践中に与えた情報は「水墨画」「雪舟」「掛け軸の絵」「下方の僧侶の腕は切れていて、その腕を持っている。」です。水墨画や雪舟は生徒の発言から出ました。そのことが正しいことを伝えています。「腕が切れている」ことも生徒が発見したので、「その腕が僧侶自身のものであること」を伝えました。

 この場所は始め、洞窟の中か森の中かなと思った。なぜなら、水墨画だからかもしれないが暗い場所のような印象を受けた。しかし木にしてはゴツゴツしているし、全体に広がっているようだったので洞窟の中だと思う。2人の人の関係について、初めは、白い服を着た人が集中してなにかをとなえているのを日本の和尚さんが自分の参考にしようと見ているものだと思った。しかし、よく見てみると和尚さんの持っている手が離れていることに気付いた。そして、僕は白い服の人が悪いことをしてしまったので自分の腕を切り落として和尚さんに預けて白い服の人がこれから死のうと思って心を整理するために集中しているものだと考えた。だが、あの手は和尚さんのものだということが分かってからはかなり悩みました。2人をみていると白い服の人はドカンと座って自分の世界に入り込んでいるようだったけれど、和尚さんはその人に遠慮しているように見えた。なので、和尚さんが弟子で白い服の人が師匠だと思った。だから、和尚さんは自分の腕を切り落とすという強い意志を白い服の人(師匠)に伝えて何かをお願いしているのだと考えた。その何かというのは、座禅だと思った。それは白い服の人の足の組み方や手の位置が座禅のようだったから。でも、何で洞窟の中で座禅なのかなという疑問が残ったが、それは仏教によってそれぞれ違うものなのかなと思った。

☆かなり作品の逸話に近い読み取りができていると思います。実践中に二人の関係について考える場面がありましたが、それまで活発に発言が出ていたにも関わらず、二人の関係性を問うと、沈黙が長く続きました。すごく真剣に考えていたと思います。自分の腕を切った僧侶と白い服の地位が上そうな男はどういう関係なのか?上記の男子生徒の記述にも戸惑った様子が伺えます。そして、作品をさらによくみて、白い服の人の座っている様子から自分なりの二人の関係性を導き出しています。「何をお願いしているのか」「座禅」との間にもう少し説明があるとより正確な読み取りになったと思うところが残念です。

☆この生徒の感想です。

 今日の授業では、最初にみて感じたことから細かくみんなで見ることによってどんどん考えが変化していってるのでおもしろかった。今回はこれまでよりも絵が難しかったのでより深く考えることができた。次は、絵のストーリーを考えるだけではなく、描いた人が何を思ってその絵を描いたかについても考えてみたいです。

☆この感想の中には重要なことがてんこ盛りです。「仲間とみること」の意味や「考えるためにより細かくみること」の大切さは対話型鑑賞に欠かせない事柄です。そして、彼の今回の最大の飛躍は「描いた人が何を思って描いたのか」についても考えたいと宣言していることです。ここに作品をみる上での重要な発達がみられます。今までは、描かれているものの中に自分が入り込み、ストーリーを考える「物語を語る人(ストーリーテラー)」だったところから、「描き手の存在を意識する」第三者的な立場で客観的に作品をみようとする姿勢が生まれています。ここに鑑賞者としての美的発達が1段階上がったと捉えることができます。わずか3回の実践ですが、彼の中には「作品をみること」に大きな変化が生まれていることを喜ばずにはいられません。素晴らしいです。次回の実践が楽しみです。
☆この彼は、今回、教室に一番乗りし、友だちと特等席(真ん中で作品が正面からみえる位置)をGETしています。その姿勢にも意欲がみられますし、この鑑賞の楽しさを十分に実感してくれていることの証明ではないかと感じているところです。他の生徒の記述も目に留まる部分がたくさんあるので、また、次回お伝えします。
コメント
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