ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

平成29年度島根県立石見美術館「みるみると見てみる?」⑦レポートをお届けします!(2018年2月10日開催)

2018-03-25 12:15:36 | 対話型鑑賞
 さくらの便りが聞かれる季節となりました。少し足をのばして、美術館で新たな出会いをしてみませんか?
「みるみると見てみる?」の鑑賞会レポートをお届けします


日時:平成30年2月10日(土) 14:40~15:00
場所:(グラントワ内)島根県立石見美術館 A室
作品:「無題」岩本拓郎 1975(昭和50)年  紙・銅板(ドライポイント)
 ナビゲーター:房野伸枝 
参加者:15名(内 一般 6名 益田東高生5名 みるみる会員4名)

 
 島根県立石見美術館のあるグラントワは、劇場やギャラリーなどがある複合施設です。今回はギャラリーで地元の高校の美術部展が開催中でした。その高校の指導者の先生にお話ししたところ、生徒をみるみるの鑑賞会に参加させてくださいました。卒業後も美術の道に進もうという生徒たちが参加してくれるということで、鑑賞作品は抽象的で一見???な版画が2点ならんでいるものを選んでみました。
 モノクロのドライポイントですが、等間隔に直径1㎝から2㎝くらいの円が画面いっぱいに並べてあります。けれど、その円は描いたというよりは、何か押し付けたような跡でできた不定形な〇なのです。油の分離したような細かな点でできています。そのうえ、タイトルも「無題」。ナビをするにも、取り付く島もないような作品です。でも、「なんじゃこりゃ?」と見つめれば見つめるほどに疑問がわいてきて、「均等に見えるのに、よく見ると一つとして同じ丸はない」「カエルの卵のようにも見える。有機的」「これを他の人はどんな風に見るんだろう?」など、興味が尽きない魅力があります。参加する高校生の中には抽象的な作品を作っている生徒もいるので、何か通じるものを感じるかもしれない、という期待もありました。

 鑑賞会は止まることなく発表が続きました。
「グリッド線があり、右の作品はその交点を中心に〇が描かれているが、左の作品は線で囲まれた方眼の中に〇が描かれている。2つ並んでいるというということは左右が対になっているのか、何か意味があると考えてみたが、さっぱりわからない。」「遠くから見ると、何か見えてくるのか、と思って離れてみたが、それでもよくわからない。」「2つを重ねると何か見えてくるのか?」「細胞のように見える。」「油が浮いているように見える。」「指で押し付けて描いたように見える。」「線は機械的に均一なのに、大きさも濃淡も全く同じものがない。」「指紋かな、と思ったが、近くで見ると違うし、細胞分裂にも見える。」「点の周りが茶色になっているので、焦げているようにも見える。」「虫眼鏡で焦点を焦がしている?」「あぶり出し?」「アイロンでジュ~っと…。」などなど、なにかはっきりしたモチーフが見えないために、各自が発見した手掛かりを列挙することになりました。これで終わってはいけない、とここらでシフトチェンジしようと、「皆さん、よく観察してみてたくさんの発見をして、この作品の作り方についても考えてくださいました。では、作者はなぜこのように表現したのでしょう?」と投げかけてみました。すると、高校生が「細胞に見えるという意見があったが、細胞は分裂すると同じものができるが、その細胞でできた僕たちのように、一人ひとりは違っている。一見同じに見えても、よく見ると一つひとつ違う。まるで、この場の僕たちのよう」と一気にこの〇の意味について発言してくれました。「グリッド線は、きっちり縦横に整列させたかったためだろう。でも、〇が線上か、枠の中にあるという対のものである意味は何だろう?相対するものを表現したかったのでは?」「並べるために線を引いたのなら、下書きとして消せばいいのに、残してあるということは、この線に意味があるのでは?」「ただの〇が、だんだん人間に思えてきた」「一つひとつの枠の中にあるのと、交差点に配置してあるというのは、枠の中はパーソナリティを表現し、交差点にあるのは他へ移動でき、他と交わっていけるような意味があるのでは」と、縦横に等間隔にひかれた線の意味について思考が移っていき、「〇の一つ一つが別の人という見方もあるが、作品全体をひとりの人間とすると、人にはルールを守って規律に従う面、枠からはみ出した面、縮こまっている面、あふれさせて爆発しているような面、と様々な感情や人格があるともいえる」「濃淡の違いが物事や感情が変化することを表現しているのでは」と、最初なんだかわからなかった作品が、感情移入できるような、〇なのに人間に見えてくるという、作品に何らかの意味を見出すというダイナミズムを感じることができました。
 サインに気付いた高校生の発言からこれが1975年に制作されたものだということがわかり、日本の70年代が「オイルショック」「学生運動」「ベトナム戦争」など、激動の時代であったということも鑑賞者から情報を得ることができました。この時点で既に20分を過ぎており、それらの背景から作品を語ることはかないませんでしたが、鑑賞会がすんだ後も作品の前で話し合う姿が見られました。まだまだ話の尽きない作品だということでしょう。感想の中に下のような記述がありました。
〇絵が自分の心のように思いました。嫌な心も、モヤモヤも喜びも、点で表現されているような気になりました。
〇抽象作品の方が様々な解釈が生まれておもしろかったです。これからも、変化しながらこのイベントを続けてください。
〇絵が固まってあるときは、関連性をもってみるのだと知りました。何かいろんな面を色眼鏡で見てしまう堅い観念を内省させられました。本当に心を柔和にすることの大切さを気づく時となりました。
〇一つとして同じものはないということだと思うけど、枠の中と線の上に〇があるのは意味があるのだと思う。点々はどういうことなのかな?丸の色、濃淡も面白いと思った。(高校3年)
〇左の作品は、人には全員心の壁があってあまり人と関わることがないけれど、(右の交点の上に〇がある作品のように)人は生きるためにつながることが必要だという矛盾を表しているのかな、と思った。(高校3年)
〇こんなに夢中になって、本当にこの時間がおもしろかったですし、幸せを感じました。自分がしたいことがわかったような気がします。本当にありがとうございました。またしたいです。(高校1年)
〇皆様の深く掘り下げた意見、おもしろく聞きました。私は作者の出身地、年、他の事柄を知り、だからこんな絵ができるのだと思い鑑賞しています。そんなこともわかるリストがあるとなお一層楽しめると思うのですが…。

 最後の感想のように、作品の情報を得たい、教えてほしいという方もおられましたが、この作品についての情報も制作方法もほとんどわからず、それがゆえに様々な想像や感情を生むことになったのかもしれません。当初の予想をはるかに超える意見がたくさん聞かれ、その中には高校生の素直で鋭い読み取りもありました。抽象的な作品は難解だと思いがちですが、こんなにも豊かな感情を喚起させる作品があり、今後も様々なジャンルの作品をナビしたいと思える経験でした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 島根県立石見美術館「みるみ... | トップ | H30年度 みるみるの会活動予... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

対話型鑑賞」カテゴリの最新記事