みるみるの会の金谷です。1月27日に島根県立石見美術館にて、鑑賞会のナビゲーター(ナビ)をしました。その様子をレポートします。
日時:平成30年1月27日 14:00~14:30
場所:島根県立石見美術館
作品名:「無題」 岩本拓郎 1975年 紙 銅板 ドライポイント
ナビゲーター:金谷直美 参加者:6名(内みるみる会員5名)
<はじめに>
石見美術館のコレクション展「あなたはどう見る?-よく見て話そう美術について-」で毎年のように、ナビゲーター(ナビ)をさせてもらっています。今年はどんな作品が展示されるのだろうと、いつもわくわくしながら展示室に足を踏み入れています。
今年は初めてみる作品も多く、「鑑賞会で、一体、どんな話になるのだろうか?」と思うものや「むむっ!なぜこんなところ(位置)に展示してあるんだ?」と思うものもあり、わくわくドキドキしながら、ナビをする作品を選びました。今回、私が選んだ作品(岩本拓郎さんの「無題」)は、「どんな話になるのだろうか?」と「なぜ、ここに?」の両方を兼ね備えた作品でした。展示場所も含めて、謎の多い作品だからこそ、対話をする中で何かみえてくるものがあるのではないか、そう思って「無題」のナビに挑戦しました。
<鑑賞会から>
「草むらみたいで、草の下に虫などが隠れていそう」という発言から、対話がスタートしました。対話を重ねながら「ざわざわ」「ごそごそ」など、植物や風、小さな生き物たちの音も聞こえてくるようで、まさに何かが蠢くような感じを受けました。
作品の二つの黒い丸に注目された方から、黒丸からオーラか何か力が出ていて、干渉しあっているようだという発言がありました。また、先ほど草むらにみえていたところは、黒丸が動いた軌跡のようだとも。はたまた、黒い丸は「無」だという発言も。そして、黒い丸は、入り口であり出口のようであり、奥でつながっていて永遠に循環しているようだとの発言もありました。植物や生き物、自然といった有機的なものから、無機的なものまでが複雑に絡み合いながらこの一つの作品の中に包含されている、そんな感じがしました。
作品をみながら新しい発見を伝えたり、お互いの話を聴いて考えたことを伝えあったりしているうちにあっという間に20分近く経っていました。この作品を初めてみた時には、どんな話になるのか不安でしたが、話が途切れることもなく、多様な見方や考え方をすることができました。大きな作品ではありませんが、懐の深い、とても力を感じる作品だということに気づかされました。
<ふり返りの会から>
鑑賞会後のみるみるの会メンバーとのふり返りでは、「ユニークな時間だった」との意見がありました。「鑑賞者がみんな、自発的にしゃがんで作品をみていた。しゃがんででも、じっくりみたくなるような作品だった」と。私もナビをしゃがんでしていたのですが、本当に皆さんがこの作品に引き付けられていく感じがとてもよく伝わってきました。美術館で作品にぐっと吸い寄せられるようにしゃがみ、夢中になって鑑賞している人たち・・・ユニークな一場面だと思います。このように近くから細かくみても、白と黒のグラデーションがとても美しい作品なのですが、ナビをしながらふと目をあげると少し離れて鑑賞を始めた方がおられました。物理的な視点を変えることで、新たな発見があるかもしれないと思い、少し離れて作品をみることを提案しました。ふり返りの会では、この作品は色や表現の仕方などから、引いて(離れて)みる面白さや美しさがあり、この提案はよかったという意見をもらいました。また、「みる」ということは「考えながらみること」であり、その「考えながらみている自分」を俯瞰してみて考えることが大事(メタ認知をメタ認知していく)ということが、ふり返りの会で度々に話題に上がります。今回、体を動かして(みる位置を移動して)鑑賞したことも、作品を俯瞰的にみることに少しは繋がったのではないかと思いました。
今回の鑑賞会で私は、作品を近くでみたり、少し離れてみたりすることの面白さを今まで以上に感じました。これから作品鑑賞だけではなく、物事を近くでみる「虫の目」と、ぐんと俯瞰してみる「鳥の目」の両方を意識していきたいと思いました。やわらかでたくましい翼をもって「虫の目・鳥の目」を駆使しながら、いろいろなひと、もの、ことに関わっていきたいです。そんなことまで考えることができた「無題」の鑑賞会でした。「無」ってたくさんのものを含んでいるのですね。
日時:平成30年1月27日 14:00~14:30
場所:島根県立石見美術館
作品名:「無題」 岩本拓郎 1975年 紙 銅板 ドライポイント
ナビゲーター:金谷直美 参加者:6名(内みるみる会員5名)
<はじめに>
石見美術館のコレクション展「あなたはどう見る?-よく見て話そう美術について-」で毎年のように、ナビゲーター(ナビ)をさせてもらっています。今年はどんな作品が展示されるのだろうと、いつもわくわくしながら展示室に足を踏み入れています。
今年は初めてみる作品も多く、「鑑賞会で、一体、どんな話になるのだろうか?」と思うものや「むむっ!なぜこんなところ(位置)に展示してあるんだ?」と思うものもあり、わくわくドキドキしながら、ナビをする作品を選びました。今回、私が選んだ作品(岩本拓郎さんの「無題」)は、「どんな話になるのだろうか?」と「なぜ、ここに?」の両方を兼ね備えた作品でした。展示場所も含めて、謎の多い作品だからこそ、対話をする中で何かみえてくるものがあるのではないか、そう思って「無題」のナビに挑戦しました。
<鑑賞会から>
「草むらみたいで、草の下に虫などが隠れていそう」という発言から、対話がスタートしました。対話を重ねながら「ざわざわ」「ごそごそ」など、植物や風、小さな生き物たちの音も聞こえてくるようで、まさに何かが蠢くような感じを受けました。
作品の二つの黒い丸に注目された方から、黒丸からオーラか何か力が出ていて、干渉しあっているようだという発言がありました。また、先ほど草むらにみえていたところは、黒丸が動いた軌跡のようだとも。はたまた、黒い丸は「無」だという発言も。そして、黒い丸は、入り口であり出口のようであり、奥でつながっていて永遠に循環しているようだとの発言もありました。植物や生き物、自然といった有機的なものから、無機的なものまでが複雑に絡み合いながらこの一つの作品の中に包含されている、そんな感じがしました。
作品をみながら新しい発見を伝えたり、お互いの話を聴いて考えたことを伝えあったりしているうちにあっという間に20分近く経っていました。この作品を初めてみた時には、どんな話になるのか不安でしたが、話が途切れることもなく、多様な見方や考え方をすることができました。大きな作品ではありませんが、懐の深い、とても力を感じる作品だということに気づかされました。
<ふり返りの会から>
鑑賞会後のみるみるの会メンバーとのふり返りでは、「ユニークな時間だった」との意見がありました。「鑑賞者がみんな、自発的にしゃがんで作品をみていた。しゃがんででも、じっくりみたくなるような作品だった」と。私もナビをしゃがんでしていたのですが、本当に皆さんがこの作品に引き付けられていく感じがとてもよく伝わってきました。美術館で作品にぐっと吸い寄せられるようにしゃがみ、夢中になって鑑賞している人たち・・・ユニークな一場面だと思います。このように近くから細かくみても、白と黒のグラデーションがとても美しい作品なのですが、ナビをしながらふと目をあげると少し離れて鑑賞を始めた方がおられました。物理的な視点を変えることで、新たな発見があるかもしれないと思い、少し離れて作品をみることを提案しました。ふり返りの会では、この作品は色や表現の仕方などから、引いて(離れて)みる面白さや美しさがあり、この提案はよかったという意見をもらいました。また、「みる」ということは「考えながらみること」であり、その「考えながらみている自分」を俯瞰してみて考えることが大事(メタ認知をメタ認知していく)ということが、ふり返りの会で度々に話題に上がります。今回、体を動かして(みる位置を移動して)鑑賞したことも、作品を俯瞰的にみることに少しは繋がったのではないかと思いました。
今回の鑑賞会で私は、作品を近くでみたり、少し離れてみたりすることの面白さを今まで以上に感じました。これから作品鑑賞だけではなく、物事を近くでみる「虫の目」と、ぐんと俯瞰してみる「鳥の目」の両方を意識していきたいと思いました。やわらかでたくましい翼をもって「虫の目・鳥の目」を駆使しながら、いろいろなひと、もの、ことに関わっていきたいです。そんなことまで考えることができた「無題」の鑑賞会でした。「無」ってたくさんのものを含んでいるのですね。
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