石見美術館のみるみるとみてはなそう!!展での実践風景です
みるみる会員の金谷が2月16日(土)14:00~ 石見美術館で対話型鑑賞の実践を行いました。
一般参加者が30余名。浜田から中学生も参加し、昨年からの対話型鑑賞活動で最多の参加者を記録しました。
以下は、金谷のレポートです。
みるみる会員の金谷です。以前のブログで予告?されていました、2月16日益田市のグラントワにある石見美術館での「みるみるとじっくりみてみる?」の実践の様子をお伝えします。
鑑賞した作品は、「あなたはどう見る?~よく見て話そう、美術について」の展示会場の奥にある2点の写真です。向かって右の作品は、青空をバックに水辺に並んだ男の子たち。左は4人の少年たちがジュースを片手に向かい合っているのですが、その背景では何かが炎をあげて燃えているというものです。
この日は浜田市の2つの中学校の美術部員や一般の来館者の方と一緒に、右の作品から1点ずつ語り合い、その後2作品の共通することや相違点について語り合いました。語り合う中で、同じ作品に対して相反するとらえ方や、感じ方が出てきたのがたいへん興味深かったです。
同じ空間で同じものをみていても、感じ方はひとそれぞれ違っています。だからこそ、自分の内側にわきあがった思いを言葉にして、伝えることが大切です。また、それを聞くことによって、その人の思いや感じ方を受け取る。そのような、みる・きく・はなすのグルーブの中で、一人ひとりが「ART」を体験していくのだと思います。
たいへんうれしいことに、この日はおよそ30人というたくさんの方が鑑賞に参加してくださいました。しかし「発言したかったけど、人が多くてちょっとできなかった」という声もお聞きしました。今後、人数によってはグループ分けをするなどの工夫をして、皆さんとより濃い鑑賞の時間を共有していきたいと思います。
長くなってしまいましたが、最後に…私はファシリテーターをする時、めちゃめちゃ緊張します。でも、めっちゃ楽しいです!ファシリテーターに興味がある方、チャレンジしてみませんか?「ART」との新しい出会いが待っていますよ!!
金谷のレポートにもあるように、「ARTとは、ART作品と鑑賞者の間に立ち上がる不思議な関係」と言われます。かのピカソも、作品は鑑賞者がいて初めて芸術になると言っています。芸術作品は初めから芸術作品として存在するのではなく、見る人がいて、より多くの人が観る価値を感じ続けるからこそ芸術作品になるのだと思います。
また、この対話型鑑賞を実に様々な方たちと、それは一般成人であったり、中学生だったり、小学生、幼稚園児だったりするのですが、その年齢で思ったり、感じたりすることのできる最大を受容する懐の深さを作品は持っています。その懐の深さが作品の芸術作品としての価値なのではないかと思う今日この頃です。
人間は、有史以前より表現することを、暮らしの営みの中で連綿と続けてきました。最初は祭祀だったかもしれません。宗教的な教えを説くためのツールだった時もあるでしょう。でも、時を越え、現在に至るまで、長い年月の中で淘汰され、残ってきたもの(作品)には、残されるに値する何かがあったのだと、この鑑賞活動を実践するにつけ、強く感じざるを得ません。残るべくして残ってきたのだと、その作品の素晴らしさに改めて頭の下がる思いがします。そしてその作品が素晴らしければ素晴らしいほど、作品の本質に、幼稚園の園児でさえも迫ることができるその凄さに、この鑑賞活動の意義深さを、実践するたびに感じている今日この頃であり、志を同じくした、会員の金谷もその魅力にはまってしまった一人でしょう・・・。
引き続き、第2弾として、小学校6年生の実践アンケートの結果をUPしたいと思います。
みるみる会員の金谷が2月16日(土)14:00~ 石見美術館で対話型鑑賞の実践を行いました。
一般参加者が30余名。浜田から中学生も参加し、昨年からの対話型鑑賞活動で最多の参加者を記録しました。
以下は、金谷のレポートです。
みるみる会員の金谷です。以前のブログで予告?されていました、2月16日益田市のグラントワにある石見美術館での「みるみるとじっくりみてみる?」の実践の様子をお伝えします。
鑑賞した作品は、「あなたはどう見る?~よく見て話そう、美術について」の展示会場の奥にある2点の写真です。向かって右の作品は、青空をバックに水辺に並んだ男の子たち。左は4人の少年たちがジュースを片手に向かい合っているのですが、その背景では何かが炎をあげて燃えているというものです。
この日は浜田市の2つの中学校の美術部員や一般の来館者の方と一緒に、右の作品から1点ずつ語り合い、その後2作品の共通することや相違点について語り合いました。語り合う中で、同じ作品に対して相反するとらえ方や、感じ方が出てきたのがたいへん興味深かったです。
同じ空間で同じものをみていても、感じ方はひとそれぞれ違っています。だからこそ、自分の内側にわきあがった思いを言葉にして、伝えることが大切です。また、それを聞くことによって、その人の思いや感じ方を受け取る。そのような、みる・きく・はなすのグルーブの中で、一人ひとりが「ART」を体験していくのだと思います。
たいへんうれしいことに、この日はおよそ30人というたくさんの方が鑑賞に参加してくださいました。しかし「発言したかったけど、人が多くてちょっとできなかった」という声もお聞きしました。今後、人数によってはグループ分けをするなどの工夫をして、皆さんとより濃い鑑賞の時間を共有していきたいと思います。
長くなってしまいましたが、最後に…私はファシリテーターをする時、めちゃめちゃ緊張します。でも、めっちゃ楽しいです!ファシリテーターに興味がある方、チャレンジしてみませんか?「ART」との新しい出会いが待っていますよ!!
金谷のレポートにもあるように、「ARTとは、ART作品と鑑賞者の間に立ち上がる不思議な関係」と言われます。かのピカソも、作品は鑑賞者がいて初めて芸術になると言っています。芸術作品は初めから芸術作品として存在するのではなく、見る人がいて、より多くの人が観る価値を感じ続けるからこそ芸術作品になるのだと思います。
また、この対話型鑑賞を実に様々な方たちと、それは一般成人であったり、中学生だったり、小学生、幼稚園児だったりするのですが、その年齢で思ったり、感じたりすることのできる最大を受容する懐の深さを作品は持っています。その懐の深さが作品の芸術作品としての価値なのではないかと思う今日この頃です。
人間は、有史以前より表現することを、暮らしの営みの中で連綿と続けてきました。最初は祭祀だったかもしれません。宗教的な教えを説くためのツールだった時もあるでしょう。でも、時を越え、現在に至るまで、長い年月の中で淘汰され、残ってきたもの(作品)には、残されるに値する何かがあったのだと、この鑑賞活動を実践するにつけ、強く感じざるを得ません。残るべくして残ってきたのだと、その作品の素晴らしさに改めて頭の下がる思いがします。そしてその作品が素晴らしければ素晴らしいほど、作品の本質に、幼稚園の園児でさえも迫ることができるその凄さに、この鑑賞活動の意義深さを、実践するたびに感じている今日この頃であり、志を同じくした、会員の金谷もその魅力にはまってしまった一人でしょう・・・。
引き続き、第2弾として、小学校6年生の実践アンケートの結果をUPしたいと思います。