平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




山木兼隆は治承4年(1180)8月の頼朝挙兵の際、
北条時政率いる軍勢に真っ先に館を攻撃され討死しました。
父信兼との争いがもとで、伊豆に流されていた兼隆は、
宇治川合戦で敗死した伊豆国知行国主源頼政に代わり、新たに国主となった
平時忠(清盛の妻時子の兄)の目代に任命されたのです。

北条時政は娘政子と頼朝との仲を裂くため、平氏一門の山木兼隆に
縁づけようとしましたが、政子はこれを嫌い伊豆山神社(走湯山権現)で
待つ頼朝のもとに走ったという話が伝えられています。

景雲山建長寺派香山寺(臨済宗)は、八牧判官平兼隆開基、

開山は『仏乗禅師伝』によると、
建武2年(1335)3月に亡くなった天岸慧広(仏乗禅師)です。

アーチ型の石造りの山門は、もと韮山県庁の門でした。




中興開基は北条早雲、再中興開基は韮山城主の内藤信成、
寺は幾多の荒廃と再興を繰り返しながら今に至るまで維持され、
境内には、山木兼隆供養塔や兼隆室の念持仏だった
薬師如来坐像が残されています。





山木村の山木判官を祀る兼隆神社は、嘉永六年(1853)の
山木大火で
堂社を焼失し、皇大(こうたい)神社に合祀されました。









山木兼隆館跡・香山寺   
『アクセス』
 「香山寺」 静岡県伊豆の国市韮山町山木868-1 電話: 055-949-2905
 「韮山駅」下車徒歩約35分
『参考資料』
「静岡県の地名」平凡社、2000年
「源頼朝のすべて」新人物往来社、1995年





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