平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




元慶寺の竜宮造りの山門

華頂山元慶寺・天台宗延暦寺派
元慶寺を開いた僧正遍照(816~890年)は
桓武天皇の孫で、小野小町にまつわる「百夜通い」の伝説を持つ
深草少将のモデルともいわれています。
もと仁明天皇に近侍した良峯(よしみね)宗貞で、
天皇の死に伴って35才の時に出家し、
比叡山に上り名を遍照と改めました。
出家後は花山僧正とよばれ、六歌仙のひとりに数えられています。

遍照は陽成天皇の誕生に際し、寺造営を発願し、元慶寺は
天皇の母、藤原高子によって建立されたと伝えています。
一に「花山寺」とも呼ばれるのは、旧地が現在地の西北にあたる
花山山(かざんやま)にあったためです。

本堂には本尊薬師如来像や遍照自作と伝える木像や
花山法皇の宸影を安置しています。


五節の舞姫をみてよみける
♪天津風雲の通い路吹きとじよ 乙女の姿しばしとどめむ
(百人一首第12番・古今集第17、雑歌上)
はあまりにも有名です。
(大空を吹く風よ、天女が天と地を往来する時に通るという、
雲の中の通り道を吹き閉じてくれ。あの舞姫の姿をもうしばらく
ここに引き留めておきたいのだから。)


僧正遍昭の墓 山科区北花山中道町
西野山に至る大石街道の東側、

元慶寺から西南400㍍ほどの住宅街の中にあります


墓は1個の岩石からなり、傍には1本の老木があります。

元慶寺といえばもう一人忘れてならないのが、
花山法皇(968~1008年)です。
花山天皇は藤原氏の策動により、19才の若さで退位させられ、
この寺で出家して法皇になりました。
皇位を追われた法皇は熊野に向かい、那智の滝で修行を終えて
西国三十三ヶ所観音霊場の旅に出ました。
(花山法皇は衰退しかかっていた西国三十三ヶ所観音霊場の
中興の祖といわれています)
こんなことで元慶寺は西国三十三ヶ所観音霊場の番外に入っています。
熊野古道の中辺路(なかへじ)を歩いた時、箸折れ峠で、
牛と馬にまたがった花山法皇の旅姿を偲んで彫られたという
牛馬童子像に出会いました。
高さ50cmと想像していたものより、ずっと小さくて可愛いい像でした。
『アクセス』
「元慶寺」
京都市山科区北花山河原町 (JR東海道本線東山トンネル東入口近く)
御陵駅から三条通リを東南へ歩き、東山トンネルをくぐり南へ進むと、
車の往来が激しい道路に突き当たります。
この交差点を右折し、西に進むと元慶寺の案内標識があります。

地下鉄東西線御陵(みささぎ)駅下車徒歩約20分
地下鉄東西線・JR山科駅下車徒歩約30分
『参考資料』
「京都府の歴史散歩」(中)山川出版社
竹村俊則「昭和京都名所図会」(洛南)俊々堂




 



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