「年年歳歳花相似たり 年年歳歳人同じからず」
確かにいくら頑張ったって若返ることは出来ないし、永遠に生きることだってできない。
「そんなことはない。故人の偉業は一流の芸術作品として永遠に残る!」
なんてことを言う人はいるが、それは生ものの人間じゃないから。良いところだけが「象徴」または「記号」のように認識されているに過ぎない。
大体、八百比丘尼の話のように不老不死となった人間は、最初は「いつまでも若くって良いねェ」なんて言われて羨ましがられ、本人もまんざらではない気持ちになっていられるけど(たとえば三十歳くらいの時に二十歳そこそこに見える等)、十数年の間のことならともかく、三四十年が過ぎて六七十歳になっても心身ともに二十歳そこそこにしか見えない、となるとそれはもう妬みも羨望も生まない。よくて驚異、大概は恐怖されるか化け物を見るような目で見られることになる。
半世紀経って八十歳になった者が相も変わらず二十歳そこそこにしか見えない、なんてことがあったら・・・・。
それでも「不老」ではあっても「不死」ではない話。
当然昔の人だって「不老不死」なんてあり得ない話、ということで「不老不死」ではなく「不老長生」という言葉を使ったりする。
勿論それだって曖昧な言いかえであることは言うまでもない。「長生」の年齢がいくつなのか、ということは相変わらずモヤっとしたままだ。
昔読んだ実在する朝鮮の仙人に聞き取った話を書いた本に、師となる仙人の使いとしてきた童子は自分の年齢を「修行が足りないからまだ五百歳くらいだったかな」と言ったとか。
・・・ん? 不整脈と何の関係があるんだ?
次回は気を取り直して。
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