2012.09/21 (Fri)
何を今更ですが、もう一度。「屠殺と虐殺」の確認。
まずはWikiの転載です。
「南京大虐殺紀念館」
中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺紀念館と呼ばれるが、本来の意味は異なる。抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。
「建設の経緯」
日本からの要請と寄付 [編集]
日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された[3]。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
蛇足ですが「南京大虐殺」と言っていますが、彼の国では「南京大屠殺」と言っています。
語感、というものは情に訴えかけるものです。「屠殺」と「虐殺」、どっちが酷く聞こえますか?
日本人なら意外に「屠殺」の方が酷いように聞こえませんか。
「人間を家畜のように『屠(ほふ)る』、だなんて!」
と思った方、ありませんか?
でも、「屠る」、というのは、ただ命を断ってしまうことで、「虐」は「虐(しいた)げる、虐(いじ)める」、です。ということは、「虐殺」の方が酷い、ということになります。
( 何故、「文の国」が「南京大虐殺」と言わないで、「大屠殺」と言うのか。 2月25日の日記より )
Wikiでさえ「日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて~」などと書かれています。
しかし、私の日記に書いたように「屠殺と虐殺」は同意ではありません。
また、並べて見れば初めて見た人だって、決して「同意」とはとらないでしょう。
却って「屠殺の方がひどい殺し方だ」と採る可能性大です。
何故なら「屠殺」は牛馬や豚等の家畜(畜生)を殺す場合にのみ使う言葉という先入観があるからです。人間としての応対をしていない、と。
「人間を畜生のように殺すなんて。」というわけです。
それに比べれば、「虐殺」は「虐め殺す」のだから、まだ人間としての扱いだ。
何を今更ですが、もう一度。「屠殺と虐殺」の確認。
まずはWikiの転載です。
「南京大虐殺紀念館」
中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺紀念館と呼ばれるが、本来の意味は異なる。抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。
「建設の経緯」
日本からの要請と寄付 [編集]
日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された[3]。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。
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蛇足ですが「南京大虐殺」と言っていますが、彼の国では「南京大屠殺」と言っています。
語感、というものは情に訴えかけるものです。「屠殺」と「虐殺」、どっちが酷く聞こえますか?
日本人なら意外に「屠殺」の方が酷いように聞こえませんか。
「人間を家畜のように『屠(ほふ)る』、だなんて!」
と思った方、ありませんか?
でも、「屠る」、というのは、ただ命を断ってしまうことで、「虐」は「虐(しいた)げる、虐(いじ)める」、です。ということは、「虐殺」の方が酷い、ということになります。
( 何故、「文の国」が「南京大虐殺」と言わないで、「大屠殺」と言うのか。 2月25日の日記より )
Wikiでさえ「日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて~」などと書かれています。
しかし、私の日記に書いたように「屠殺と虐殺」は同意ではありません。
また、並べて見れば初めて見た人だって、決して「同意」とはとらないでしょう。
却って「屠殺の方がひどい殺し方だ」と採る可能性大です。
何故なら「屠殺」は牛馬や豚等の家畜(畜生)を殺す場合にのみ使う言葉という先入観があるからです。人間としての応対をしていない、と。
「人間を畜生のように殺すなんて。」というわけです。
それに比べれば、「虐殺」は「虐め殺す」のだから、まだ人間としての扱いだ。
だから、
「酷い言い方ではあるけれど、虐殺の方がまだ良かろう。」
この期に及んで、まだそんなことを考えている。お人好しにもほどがある。
彼の国は「殺すのは同じ」ということだから何でもかんでも「屠殺」です。そこには「人間として云々」の発想はない。
そして前後しますが、「虐殺紀念館」を建設するように言ったのは、社会党議員です。
「金がない」と、建設に消極的な中国共産党に3000万の金まで渡して。
870万で建設し、残り2130万は共産党幹部が分け合う。
何ですか?これは。ただの献金じゃないですか。「朝貢」と言ってもいいくらいだ。
挙句に「紀念館」の設計は日本がした。
今はなき社会党。「何でも反対党」だった頃です。
「嘘も百回吐けば真実になる」
「嘘で塗り固める」
わざわざ日本人(記者)が嘘をでっち上げ、野党国会議員がそれに大金を注ぎ込んで型枠を造り、仕上げに与党自民党の有力議員がセメントを流し込んだ。
「だから、民主党は言うまでもないけれど、社会党も自民党も駄目だ」
と言ってしまって、何か好転するのでしょうか。今度は維新の会ですか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
仮に、ここまで書いたことをニュースの原稿として、アナウンサーが読んだとします。視聴者(聴取者)にはどんな記憶、映像が脳裏に浮かぶでしょうか。
単純に
「そうか。日本が独自に『虐殺』と言い換えてたのか。殺すことは何でも『屠殺』なのか。そう言われてみれば、『屠殺』の方が『虐殺』よりマシな表現ということになるなぁ。でも、何だか違和感あるなあ。人間と牛や豚、一緒じゃなあ。何か酷いよなあ。国民性かなあ。」
聞き流してしまう人は別にして、ちゃんと聞けばこんな感想になるんじゃないでしょうか。
でも、そこまででしょうね。
「屠殺」とは「屠(ほふ)る」。「殺した後、解体する」という意味を言外に持つ。
牛や豚を屠るのは「贄(にえ)」(供物)とし、続けて解体し、食用とするためです。一度に全部は食べきれないから、残った肉は干し肉にして、保存食とする。
ということは、屠殺は社会に必要なことであり、それは当然のこととして行われる「事務的な処理法」だ、と言うことになる。
だから、却って彼らは
「人が人を虐殺する、だなんて。刑罰でもないのに酷過ぎる」
と思っているかもしれない。
でも、我々日本人からすると
「だって、屠殺だろ?当然そのあとは解体して・・・・」
ひえ~~~っ。
日本人は人肉食べないよ~~。今は浅えむ丸だって呑まないよ~~っ。
「酷い言い方ではあるけれど、虐殺の方がまだ良かろう。」
この期に及んで、まだそんなことを考えている。お人好しにもほどがある。
彼の国は「殺すのは同じ」ということだから何でもかんでも「屠殺」です。そこには「人間として云々」の発想はない。
そして前後しますが、「虐殺紀念館」を建設するように言ったのは、社会党議員です。
「金がない」と、建設に消極的な中国共産党に3000万の金まで渡して。
870万で建設し、残り2130万は共産党幹部が分け合う。
何ですか?これは。ただの献金じゃないですか。「朝貢」と言ってもいいくらいだ。
挙句に「紀念館」の設計は日本がした。
今はなき社会党。「何でも反対党」だった頃です。
「嘘も百回吐けば真実になる」
「嘘で塗り固める」
わざわざ日本人(記者)が嘘をでっち上げ、野党国会議員がそれに大金を注ぎ込んで型枠を造り、仕上げに与党自民党の有力議員がセメントを流し込んだ。
「だから、民主党は言うまでもないけれど、社会党も自民党も駄目だ」
と言ってしまって、何か好転するのでしょうか。今度は維新の会ですか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
仮に、ここまで書いたことをニュースの原稿として、アナウンサーが読んだとします。視聴者(聴取者)にはどんな記憶、映像が脳裏に浮かぶでしょうか。
単純に
「そうか。日本が独自に『虐殺』と言い換えてたのか。殺すことは何でも『屠殺』なのか。そう言われてみれば、『屠殺』の方が『虐殺』よりマシな表現ということになるなぁ。でも、何だか違和感あるなあ。人間と牛や豚、一緒じゃなあ。何か酷いよなあ。国民性かなあ。」
聞き流してしまう人は別にして、ちゃんと聞けばこんな感想になるんじゃないでしょうか。
でも、そこまででしょうね。
「屠殺」とは「屠(ほふ)る」。「殺した後、解体する」という意味を言外に持つ。
牛や豚を屠るのは「贄(にえ)」(供物)とし、続けて解体し、食用とするためです。一度に全部は食べきれないから、残った肉は干し肉にして、保存食とする。
ということは、屠殺は社会に必要なことであり、それは当然のこととして行われる「事務的な処理法」だ、と言うことになる。
だから、却って彼らは
「人が人を虐殺する、だなんて。刑罰でもないのに酷過ぎる」
と思っているかもしれない。
でも、我々日本人からすると
「だって、屠殺だろ?当然そのあとは解体して・・・・」
ひえ~~~っ。
日本人は人肉食べないよ~~。今は浅えむ丸だって呑まないよ~~っ。
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