CubとSRと

ただの日記

サマージャケットを着よう!

2019年08月13日 | バイク 車 ツーリング
 8月11日の日記
 
 金曜日はコペンで道の駅まで。
 土曜日はゆっくりしていると昼を過ぎてしまった。
 今日は特に目的があってというわけではないが、SRで、と思っていた。
 けど、出たのは9時を回ってからだった。
 8月に入ってからは、2時前から「カブに乗って往復60キロ」、が日課になって、何となく通勤ライダーに戻った気分。
 通勤ライダー時はSRかセローで、毎日それなりに旅気分があって、50半ば近くまで二十年余り続いた。
 それに比べて、カブで、それも昼をかなり過ぎてから「通勤」ライダー、というのはちょっと違うかもしれない。
 加えて毎日とは言いながら「雨が降らなければ」という前提でのこと。
 だから、緊急時用に雨具を常備してはいるが、この40日余りで使ったことは一度もない、単調で代り映えのしない往復の毎日。
 そうしていると、無性にSRに乗りたくなる。
 でも、目的がない。
 買い物ならカブの前かごの方がSRのタンクバッグ+サイドバッグより積載量は多いし、最悪の場合はリュックサックを背負ってというのも無理なくできる。
 SRはリュックを背負ったってカブに敵わない。
 でも、SRに乗りたい。積載量の問題じゃない。同じ二輪と言ったって、二つのバイクは乗用車と軽トラック以上に違う。
 
 とにかくSRに乗りたい。
 目的はなくとも、とにかく出ることに・・・・、あ、思いついた!
 今年は、まだサマージャケットを着てないんだった。
 カブに乗る時は違和感があり過ぎるから着ることは無いサマージャケット。
 7月の初めからカブばかりだったから、梅雨時が過ぎても着る機会がなかったんだった。これを着て出ることにしよう。
 夏は暑いから、と滅多に穿くことのない黒のジーンズも引っ張り出す。
 久し振りに風が気持ち良かった。
 いつもなら楽なはずのクルマは、夏の日射しの中では却って苦行だろう。
 カブは熱風の中を走るから、停まれば地獄だし、加速はお世辞にも「良い!」とは言えないし。
 
 でも、SRは!・・・・停まると煉獄くらいかな?速度は少し早めだから、熱風ではなくて温風くらい、だし。
 これ一つで「やっぱりSRはいいな」、となってしまう。
 
 「風にあたる気持ち良さ」だけ感じて、熱光線に灼かれながら足早に流れ去る夏の雲を眺め、持って行った麦茶を飲んで、本当なら小一時間でもそうやってコンクリート製の手摺りに腰を掛けていたかったけど、日曜日。
 藤棚の下のベンチはクルマ好きの声高で楽しそうな話声に占領されていた。
 早々に退散。山の中の県道をしばらく走って帰ることにした。
 昼前に帰ってシャワーを浴び、汗をかかないように、と扇風機にあたりながら、出発までの時間、ちょっと昼寝。
 さっき見た夏の雲を思い出しながらうたた寝をする。
 やっぱりSRは良い。


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高みの見物

2019年08月12日 | 重箱の隅
 「~のオレ、高みの見物」って言葉が、ネットニュースや記事のコメント欄にほど良い感じで書き込まれている。時にそれをもじって「~のおれ、低みの見物」ってのもある。
 読んでいて、それを書き込んだ奴のセンスの良さに感心する。
 以前は、こういう書き込み方って「何だ、傍観者を気取って」、と思わないでもなかったけど。
 この頃、そういう言い方ってのは実は自分をその場に思いっきり近付けていることを自身が知らずやっているのではないか、と思うようになった。
 余裕を持って、適当に距離を取って物を言っているようだけれど、具体的に何かを採り上げて論詰しているわけではない。論詰はしていないけど、同意はしてない。同意はしてないけど、寄り添っている。
 「貴方の意見に賛成はしないが、個々の意見だ、否定することはしない」。
 
 そうやって社会は成り立っている。
 対して。
 「こんなくだらないことを、わざわざブログに挙げなくても」
 、と、自分で思う。いや、それ以前に
 「くだらないから書くのをやめとこうか」
 、と、未然に決定してしまい、行動を起こさない。
 自分のことなんだから良いだろう、と思ってそうするんだけど、「思う自分」も、「行動を起こさないと決定する自分」も、同等に発言の権利はあるわけなんだから、まずは、最初っから「こんなのくだらないこと」と決めつけてしまう、ってのはどうなんだろう。
 思いついたら、考えてみる。
 考えたら、やってみる。
 やってみたら新たな疑問が生れてくる。
 やらなければ疑問が生れる筈もない。
 疑問が浮かんで改めて考えることを繰り返さなければ、進歩・発展はない。
 「女子高生の無駄づかい」というマンガで、バカというニックネームの主人公が「ねえ、今からすごいこと言っていい?」と言う。
 大抵の場合、想像通りちっともすごくない。
 けど、これがあるから、話が始まる。


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その「全く力のない援助」、があってこそ

2019年08月09日 | 重箱の隅
 去年の今頃は一体何を書いていたろう。
 そう思って日記を見直してみた。
 ライトノベル「スーパーカブ3」の終わり辺りを読んでいて、援助ということに付いて考えていた。
 援助とか応援とかいうものは、それに取り組んでいる人間が大きな困難を感じている時、或いは絶望を感じている時にはホントにはた迷惑な騒音、雑音でしかない。
 「無責任によく言うよ」、「頑張れ、言うな!頑張っとるんや!」
 と反発心ばかりが湧いて来る。
 でも、取り組んでいる本人が困難や絶望を前に途方に暮れている時、それでも取り組みを続けるべきか、すっぱりと諦めるべきか、と揺らぐ一瞬の隙間に、援助や応援の声が滑り込むことがある。
 「大人の分別」を選ぶか。それとも「未だ途半ば」として光を追い続けるか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ~8月8日の日記より~
 結局、カブで出たのは10時前。
 晴天ではあったが、あのじりじりと焦がされるような日射しではない。
 
 ダム湖のほとりの駐車場には車が数台。
 坊さんが藤棚の下のベンチで弁当を食べている。なんだかシュールだ。
 よく見ると駐車している車の中で、若い坊さんも弁当を食べている。
 坊さんが二人、思い思いの場所で弁当を食べている、となるとシュールさはなくなる。
 何故、別々に食べているんだろう。車の中で食べれば涼しかろうに。
 若い坊さんが外で食べている→いじめられている。
 年長の坊さんが外で食べている→シュール。
 でも、二人の坊さんは親子かもしれないんだし。
 8月8日。盆が近いから早めの檀家回り、だろうか。
 こんなやり取り。
 「藤棚の下の方が風が吹いて気持ちええで」
 「ふ~ん。座席の方が楽でええわ。エアコンあるし」
 「今日はあと二軒やったかな」
 ・・・などと。勝手に科白をつけてみた。
 本を読む時にいつもカブを停めるところへ、歩道を通って行こうと見ると、軽トラが歩道に半分ほど乗り上げて停まっている。中に人もいる。
 停め方が変わっている。わざわざ20センチほどの段差を、歩道に直角に乗り上げている。意図が分からない。
 坊さんのシュールさに対抗した???
 でも、カブは通れたから擦り抜けて、いつもの場所で「スーパーカブ」3巻の終わりの方を読み始める。
 小熊が緩んでいたシリンダーヘッドのボルトを誤って捩じ切ってしまい、腰上から分解しなければならないことを知って絶望するところ。
 小説では顔を腕で掩(おお)った、とだけ表現され、挿画では腕で掩った顔は悔し涙を流している。
 この後、小熊はカブとの人生の「楽しぃ夏」を終わらせ、大人の「味気ない秋」に踏み込まなければならない、とネガティブに「大人の分別」をしようとする。
 元の「何もない女の子」に戻るしかない、それがおとなになるということ、と初めて持ったカブに乗るという「意欲」を捨てようとする。何度読んでも苦しくなる、というか身につまされる。
 生長しよう、という気持ちを抑え込んで生きるのが大人なんだ、と社会が圧迫してくる。
 礼子も椎も何とか手助けをしたいと思うのだけれど、何もできない。
 結局、椎の祖父の「私は今も夏だ」という一言に、小熊自身が衝き動かされ、エンジンの解体修理に取り組む。
 小説だからと言ってしまえばそれまでだけど、周りの援助というものは全く力にならないのが普通。
 でも、逆に、その全く力のない援助があってこそ、当人でさえ信じられないほどの自身の力が発揮される。
 下世話な言い方では「豚も煽てりゃ木に登る」。
 でも、登ってしまえば、登ったもんの勝ちじゃないか。
 そして、豚も木に登れるのだ、と社会を反省させることになる。


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終わらせない

2019年08月08日 | 重箱の隅
 半年くらい前だったか、7月31日に所属するSNSが閉鎖される、と知った。
 開設されて数週間の頃に入会して十年。
 
 そしてその日が来た。
 当然翌日にはなくなっていると思っていた。
 「なくなっている」と思いはしても、「もしかして」という頼りない期待は、ある。
 一日に「おっ、まだある!」と喜び、二日には「あれ?」となり、三日目には「どういうこと?」
 「あれはデマだったのか?」なんてことは思いもしなかった。
 そして、こう思った。
 
 「書き込めるなら、それができる間中、書き込んでいたらいいじゃないか」
 「ここに書く日記は、ただ日常のことを書いているようで決してそうではない。ここで得た知識、考え方を用いて考えを深めるために書いてきたつもりだ」
 「だからここは、消えるまでは勉学の場だ」。
 7月31日から一週間余りが過ぎた。
 自身の確認のために、半年前の日記をもう一度。
 ~~~~~~~~~~~~
 いやあ、どうも。酔っ払いです。
 今年になってから、毎日飲んでいます。
 朝の御神酒、夕の晩酌、と、日に2回。
 それはさすがにどうかと思って、正月三が日(いや?5日間?)でやめたけど、以降、一日一回にしたから、と安心して毎日飲んでました。
 けど、「これではいかん」、と思って25日、一念発起して3日に一回、ということにしました。
 26、27と飲まず、28日は大手を振って飲む。
 29、30と飲まず、月末31日、踏ん反り返って飲む。
 一応、3日に一度、というパターンの2回目。
 その酔っぱらった頭、酔眼でこれを書いてるわけですが。
 寂しいですね、あと半年で所属しているSNSが終わる。
 ここのおかげでウツにならずに済んだ。
 田舎に帰るために仕事を辞めて、当然収入がなくなって、いつまで続くか分からない父との二人暮らし。
 四十年ぶりに帰った田舎で、知り合いもない。つまり話し相手もいない。
 家から気晴らしに遊びに出ることもできない。
 そんな中で、ホントに偶然、ここが開設されたんです。
 入会しようか、どうしようかと数日迷って、名前だけでもと決心した。
 日記を読むだけのつもりが、他の参加者の日記を見ると、みんな真直ぐで 
 「『何も知らないのだから』、ここで色々と知って、考えてみたい」。
 そういう「気」が横溢していた。 
 そんな参加者の考え方や、現在の社会の捉え方を少しずつ知っていくことができた。
 おかげで、家の中で起こる毎日の出来事を、ともすれば近視眼的に捉えてしまいそうになるのを冷静に見ようとすることができた。
 
 「客観的に、冷静に」、見ようとすることで、「本当におかしいのは何なのか」を考えようとする。修身斉家治国平天下、だ。ちっとも大袈裟なことじゃない。まずは「~しよう」という姿勢からだ。
 当初、そのSNSにはその姿勢があった。
 そのSNSが、あと半年で終わる。
 初期の目的は達成できたということだろうか。
 これからは個々人が外に出て、ということだろうか。
 「書を捨てよ。街に出よう」?
 優れた考え方を追い求める。
 どれが一番優れているのかと、汗牛充棟の書物を読む。
 優れた考え方は一つではない。いくつもある。
 考え方は多くの考えから見出された「方式」だ。
 方式の集合体は集合体でしかない。「一番優れている考え方」ではない。
 書は読むべきだが、終わりがない。
 だからどこかで一大決心して、得た「考え方」で「考え」なければならない。
 「考え」て行動しなければならない。
 それが
 「書を捨てよ。街に出よう」。
 目的は達成されたか。




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明日、地球が~

2019年08月03日 | 日々の暮らし
 「8月2日の日記」
 日に日に暑さが増してくる。
 歳を重ねたせいでか、とは思うのだが、テレビでは
 「昔は『暑い』と言っても31度どまり。今は日本全国どこへ行っても35度~36度、なんて日がありますからね~。今の人間が暑さに弱くなったわけじゃない。昔と同じじゃないんです。懐具合より命が大事です。エアコンをもっと使いましょう!」
 って。
 だ~か~ら~。
 「懐具合より命が大事」ったって、見えないものに金を注ぎ込む、て、歳を取ればとるほどピンと来なくなるんだから。
 なまじ体力があるから、少々頭がぼ~っとしたって、
 「まだ頑張れる!大人だもの」
 所ジョージはそれで熱中症になったんだよね、確か。
 
 今日、仮眠中の長距離トラックの中で亡くなってた運転手は、夜間、エンジンの掛けっ放しを禁止されている(条例で)場所なのでエアコン切って寝てたらしく、熱中症によるものらしい、と。
 こんな気温の中、それも一番暑い1時から5時の間、連日、カブで往復60キロ走っている。
 熱い風の中を走る。クルマの中よりはずっといい。
 走りながら見ていると、高級車はともかく国産の普通車は、意外に窓を開けて走っているのが多い。
 おそらく、エアコンと燃費を考えたら、乱れる風の中の方が変化があって安上がりで、という理由からなのだろう。
 いや、エアコンで神経が鈍麻するより、風の中に居て、出先の冷房の効いた部屋での商談、の優位を実感しているが故、か。
 
 有馬街道を上って、天王谷のトンネルを抜けたら、空気がいきなり爽やかになった。
 こんな気持ちの良い空気の中を走っている、なんてことは、どんな高級車に乗ってたって、気が付くことは無いだろう。勿論実感することもないだろう。
 ザマミロ!


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