今月、1日。大阪の高槻の画廊での版画個展の翌日、京都東山の古寺巡礼に出かけた。高槻のホテルで朝食を済ませるとJR線に乗って京都駅に向かった。途中車窓から見える東大阪から京都にかけての風景はサントリーの山崎工場がある辺りで自然環境が良い。
京都駅でJR奈良線に乗り換える。秋の日曜日の京都ということもあり、電車の中は観光客で混んでいる。外国人の姿も多い。一駅で目的の「東福寺」駅に到着。ここからは徒歩で泉涌寺道(せんにゅうじどう)へと向かう。最初の古寺は真言宗泉涌寺派の総本山「泉涌寺・せんにゅうじ」。文学者の永井路子さんや瀬戸内寂聴さんのエッセーを読んで憧れていた名刹である。地元京都の人は代々、皇室の菩提所として崇敬されているこの寺院を「御寺・みてら」と呼んでいる。永井さんの文章によると「厳しさと静寂と…いまの日本でしだいに失われつつあるそれを求めるとしたら、京都の泉涌寺を措いてほかにはない、と私は思う」とまで言い切っている。楽しみだなぁ。
街の中を進み泉涌寺道に入ってさらに進むと駅から10分ほどで総門に到着。ここで地図を広げて見ると本坊に至るまでのアプローチに塔頭という小さな寺院がいくつも建っている。まず総門の脇に建つ「即成院・そくじょういん」から拝観させてもらう。比較的明るい本堂に入ると本尊の「阿弥陀如来坐像(重文)」と笛や太鼓などの楽器を奏でる「二十五菩薩像(重文)」が安置されていた。周囲の菩薩像は左右に階段状に構成されていて見上げるようにしなければ全体像を観ることができない。一体一体はとても精緻に彫られているが全体としては来迎の様子が迫力を持って表現されていた。お参りをすませて次に向かった塔頭は「戒光寺・かいこうじ」。ここのご本尊は運慶父子合作の「釈迦如来立像(重文)」像高5,4m・光背を含めると総高約10mの大きな像。せっかくなので本堂正面に入って像の真下からご尊顔を仰いでみると…大きいっ!! 頭部を少し下に向けているのだが、運慶作の鎌倉リアリズム彫刻である。両目が玉眼で、まるで生きているブッダに見下ろされているようである。この旅から帰宅するとTVの「ぶっちゃけ寺」でちょうどこの寺院のこの釈迦如来像が登場し紹介されていた。その解説によるとインドではブッダの巨人伝説が伝えられていて、経典に身長が約5mあったと書かれているのだそうだ。そういえばブッダ入滅を描いた「涅槃図」の身長もとても大きい。あまりにも吸い込まれるような眼力だったので、しばらくこの像の下を離れられなかった。昼食は境内で作業をする寺男の人に断わり、境内のベンチで京都駅で買ってきた弁当を食べた。境内では2日後に執り行われるという「斉燈護摩・さいとうごま」という野外の護摩の準備に追われていた。
三番目に向かった塔頭寺院は「今熊野観音寺・いまくまのかんのんじ」。こちらは西国15番札所となっている寺院。本尊は弘法大師・空海作の「十一面観音像(秘仏)」。周囲の環境が良く、山がすぐ後ろまで迫っていて本堂は鬱蒼とした木々に囲まれている。紅葉の名所でもあるようだが、まだ盛りには早いようで、ようやく始まったところだった。地元の人の話では京都の紅葉は11月中旬以降がベストらしい。ということは今頃、真っ赤に色づいていることだろうなぁ。塔頭をゆっくり回っているうちに予定より時間が押してきてしまった。ここから真っ直ぐに本坊のある伽藍へと向かう。
中心伽藍に到着。まず、最初に眼に入った大きな建築の仏殿・舎利殿(重文)をお参りする。何とも言えない深淵で静寂な空間。入口には皇室の菩提寺ということで菊の御紋の大きな垂れ幕がかかっていた。ご本尊は「三世仏・さんぜぶつ」。広く薄暗い講堂のような空間の中央に静かに佇んでいた。ここから本坊、御座所などを順番に見学し、最後に楊貴妃観音堂にまつられている、とても有名な「楊貴妃観音像(重文)」をお参りする。比較的小こじんまりした御堂に入るとその名のとおりとても美しいご尊顔の聖観音坐像が迎えてくれた。唐の玄宗皇帝が楊貴妃をしのんで造らせたと伝わり、寛喜2年(1230年)に湛海律師によって招来されたという聖観音像である。楊貴妃にあやかろうと良縁・美人祈願に訪れる女性が多いという。この日も関西のおばちゃん、失礼、麗しい女性たちがたくさん訪れ口々に「これで美人になれるかしら…」と言い合っていた。ここでお名残惜しいが先を急ぐので泉涌寺の境内を出ることにする。
永井路子さんのエッセーどおり厳しさと静寂さが共存する古寺であった懐中時計を見ると午後一時を過ぎている。ここまでもかなり充実した内容の古寺巡礼なのだが、ここからさらに徒歩で禅宗の名刹東福寺へと向かった。画像はトップが泉涌寺仏殿の菊の御紋の垂れ幕。下が向かって左から塔頭、戒光寺の境内の斉藤護摩壇、今熊観音寺の紅葉とその本堂、本坊庭の紅葉、泉涌寺仏殿。