フィルムセンターへ行くと必ず見知ったお顔に出会う。
昨日ばったり会ったのは、若い頃から往年の名弁士松田春翠先生の追っかけをしていたという筋金入りの活弁ファン、無声映画の大先輩。都合の付く時には公演に来て下さっていろいろとアドバイスを下さるありがたい方で、昨日は久しぶりで話がはずんでしまった。
彼は、出会った当初から私に言う。
「同じ作品の公演に何度も足を運んでもらえる弁士になってほしいんだよね」と。
「この作品は一回観たからいいや、じゃなくて、生の語りなんだから、あなたの語りを聞きに何回も来てくれる人をいっぱい作らなきゃ」
彼は春翠先生の同じ作品の公演に何十回と足を運んだという。地方公演もかかさず。
「ちょっとしたところが、毎回変わるんだよ。客層見たり、その時のアドリブ入れてね。それが楽しくてさ」
まだまだ足元にも及ばないが、私の活弁で同じ作品をくり返し観てくれた方々も言う。
毎回、ちょっとづつ印象が違うのが面白いのだと。
活弁は生ものである。私のつくる台本も変わっていくし、たとえ台本が同じでも、セリフの表現の仕方や間の取り方で随分と印象は変わるものである。
そこが、芝居と映画の中間にある「活弁」の面白さで、まして即興要素の強い生演奏などがつけば、語りとの呼吸で、一つの作品が様々な表現の可能性を持つ。
ミュージカルのファンなどは、上演期間中、何度も同じ作品を観に行くのが当たり前である。
「活弁」も、もっと生の公演として楽しむ人が増えてくれるようにと思う。
今年は、5月にFEBO(ギターとキーボードのデュオ)と、同じ作品「結婚哲学」を3日間、
9月にmetro trip & オールスターズと、「ロイドの巨人征服」「子宝騒動」を2日間、公演した。
3日間とも、あるいは2日間とも来て下さった方々がその日その日の印象を送って下さる。
観る側も、だんだんと作品中の細かいところに目が行くようになったり、私の表現の違いを楽しんだり、本人の中で作品自体の解釈に違う可能性を見出したりしてまた面白くなったりするようで、そんな声は私にとってもとても嬉しかった。
とはいうものの、これだけのエンターテインメントがあふれている東京で、同じ作品の活弁に何度も足を運んでもらうなんて、自分が観客の立場で考えてもこれはかなり難しい。
まずは、「活弁」て何?一回くらい活弁に。
そして、面白いから今度は別の作品も。
それから、一度観た作品だけどとても良かったから今度は友人ともう一度。
こんな風に増えてくれるのが理想ですかねえ、大先輩。
大先輩、「俺、夏のフィルムセンターでのこども映画館、二日間とも観るつもりで予定空けててさ、来たんだよ。でも、入れてもらえなかった…」
こども映画館ですからね、こども連れじゃないと入れません。
夏の「こども映画館」では、低学年、高学年向けに二日間、目玉のまっちゃんの「豪傑児雷也」やグリフィスの「ドリ-の冒険」、小津の「生れてはみたけれど」などの活弁上映を務めさせていただいた。生演奏はFEBO。フィルムセンター初の試みだった。
「こども向けにあの作品を、あなたがどう語るか聞きたくてさ。それから子どもたちの反応が見たくてさ」
そうですねぇ。「豪傑児雷也」は、ある程度わかる表現にして飽きさせずに見せる工夫、たいへんでしたね。やはり2回目の方が、1回目の反応を踏まえてより楽しんでもらえたかんじです。「ドリ-の冒険」は、誘拐犯のジプシー男を怖い声にしすぎて、泣き出してしまった子もいたし…。
「いや~、せっかくフィルムセンターまで来たのに観られなくて、残念だったよ」
先輩、そういえば、自分に子どもがいないので、他人の子を連れてきた方もいました。
「そうか、その手があったか…」
でも、こどもはこわい風貌のおじさんにはついて行かないことになっています。
フィルムセンター発行のNFCニューズレター第63号(生誕百年特集 成瀬巳喜男/斎藤寅二郎/野村浩将)のトピックス覧に記載されていました。
ー装いも新たに、盛況の「こども映画館」
未来の観客を育てる”映画教育”への足がかりとして。
たくさんの子どもたちに、子どものうちに一度活弁体験してほしいものです。
昨日ばったり会ったのは、若い頃から往年の名弁士松田春翠先生の追っかけをしていたという筋金入りの活弁ファン、無声映画の大先輩。都合の付く時には公演に来て下さっていろいろとアドバイスを下さるありがたい方で、昨日は久しぶりで話がはずんでしまった。
彼は、出会った当初から私に言う。
「同じ作品の公演に何度も足を運んでもらえる弁士になってほしいんだよね」と。
「この作品は一回観たからいいや、じゃなくて、生の語りなんだから、あなたの語りを聞きに何回も来てくれる人をいっぱい作らなきゃ」
彼は春翠先生の同じ作品の公演に何十回と足を運んだという。地方公演もかかさず。
「ちょっとしたところが、毎回変わるんだよ。客層見たり、その時のアドリブ入れてね。それが楽しくてさ」
まだまだ足元にも及ばないが、私の活弁で同じ作品をくり返し観てくれた方々も言う。
毎回、ちょっとづつ印象が違うのが面白いのだと。
活弁は生ものである。私のつくる台本も変わっていくし、たとえ台本が同じでも、セリフの表現の仕方や間の取り方で随分と印象は変わるものである。
そこが、芝居と映画の中間にある「活弁」の面白さで、まして即興要素の強い生演奏などがつけば、語りとの呼吸で、一つの作品が様々な表現の可能性を持つ。
ミュージカルのファンなどは、上演期間中、何度も同じ作品を観に行くのが当たり前である。
「活弁」も、もっと生の公演として楽しむ人が増えてくれるようにと思う。
今年は、5月にFEBO(ギターとキーボードのデュオ)と、同じ作品「結婚哲学」を3日間、
9月にmetro trip & オールスターズと、「ロイドの巨人征服」「子宝騒動」を2日間、公演した。
3日間とも、あるいは2日間とも来て下さった方々がその日その日の印象を送って下さる。
観る側も、だんだんと作品中の細かいところに目が行くようになったり、私の表現の違いを楽しんだり、本人の中で作品自体の解釈に違う可能性を見出したりしてまた面白くなったりするようで、そんな声は私にとってもとても嬉しかった。
とはいうものの、これだけのエンターテインメントがあふれている東京で、同じ作品の活弁に何度も足を運んでもらうなんて、自分が観客の立場で考えてもこれはかなり難しい。
まずは、「活弁」て何?一回くらい活弁に。
そして、面白いから今度は別の作品も。
それから、一度観た作品だけどとても良かったから今度は友人ともう一度。
こんな風に増えてくれるのが理想ですかねえ、大先輩。
大先輩、「俺、夏のフィルムセンターでのこども映画館、二日間とも観るつもりで予定空けててさ、来たんだよ。でも、入れてもらえなかった…」
こども映画館ですからね、こども連れじゃないと入れません。
夏の「こども映画館」では、低学年、高学年向けに二日間、目玉のまっちゃんの「豪傑児雷也」やグリフィスの「ドリ-の冒険」、小津の「生れてはみたけれど」などの活弁上映を務めさせていただいた。生演奏はFEBO。フィルムセンター初の試みだった。
「こども向けにあの作品を、あなたがどう語るか聞きたくてさ。それから子どもたちの反応が見たくてさ」
そうですねぇ。「豪傑児雷也」は、ある程度わかる表現にして飽きさせずに見せる工夫、たいへんでしたね。やはり2回目の方が、1回目の反応を踏まえてより楽しんでもらえたかんじです。「ドリ-の冒険」は、誘拐犯のジプシー男を怖い声にしすぎて、泣き出してしまった子もいたし…。
「いや~、せっかくフィルムセンターまで来たのに観られなくて、残念だったよ」
先輩、そういえば、自分に子どもがいないので、他人の子を連れてきた方もいました。
「そうか、その手があったか…」
でも、こどもはこわい風貌のおじさんにはついて行かないことになっています。
フィルムセンター発行のNFCニューズレター第63号(生誕百年特集 成瀬巳喜男/斎藤寅二郎/野村浩将)のトピックス覧に記載されていました。
ー装いも新たに、盛況の「こども映画館」
未来の観客を育てる”映画教育”への足がかりとして。
たくさんの子どもたちに、子どものうちに一度活弁体験してほしいものです。