akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

アトリエ・別荘で活弁談義

2006-05-04 | 活弁
3日、GWの大渋滞の中、大学時代の教授のアトリエへ。赤城山の梺、空気がおいしい高台の、見晴しのいい素敵なアトリエ! 絵画、音楽、映画、哲学、文学…様々な分野の先生たちとワインを傾けながら楽しい時間を過ごす。専門以外にも、芸術、文化、教育全般に広く関心と知識があり、それでいて気取りがない方々というのはとても素敵だ。

ウィットに富んだ会話が飛び交う。「無声映画」と「活弁」の話にも花が咲いた。「活弁」というと、やはりイメージは「べべんべんべん」という講談調の時代劇映画説明らしい。
今は「無声映画」「活弁」が映画全体の一部だし、古いものとして一つのイメージが抱かれがちだが、無声映画と一口にいっても、本当は幅広く、様々である。邦画の中でも、時代劇、現代劇では全然違うし、洋画も、アメリカ映画、ドイツ映画、フランス映画、イタリア映画…と、作られた国で、また年代によって、喜劇、悲劇で、全くテイストが違う。語り口も違って当然である。
無声映画時代には、洋画館、邦画館がだいたい別だったし、弁士も皆、洋画専門、時代劇専門、邦画現代劇と分かれていた。今はどれにでも挑戦でき、それぞれの作品に合わせて弁士の語り口を変えられるので、作品の個性とのつき合いが活弁の非常に面白いところだと思っている。
例えて言えば、私にとって活弁の作業は、たくさんの生徒たち一人一人と会話をして、個性を見い出しいいところを引き出して、たくさんの人に伝えてあげるーというかんじ。だから、名作か否かや、好みはあるにせよ、どの作品も関われば関わるほど愛情と愛着が湧いてくる。
ある人は、私の日本ものの語りが好きだといい、ある人は洋画の語りが好きだという。「コメディの活弁がみんなで笑えていいよね!」と言っていた子が、悲劇を観て「ぼろぼろ泣けたよ、悲劇がいいよ」という。だから、一つだけを観て(あるいは観ずに)こういうものと思わずにいろいろ観てほしい(全く興味を持たれないような語りではしょうがないが)。
活弁も多種多様で、それぞれの嗜好である。

活弁は映画だけを観るものではありません。だからといって、映像からの想像力を妨げるものではありません。むしろ、今日、先生方がおっしゃって下さったように、「言葉と声による情報が加わることによって、より作品が立体的になり、生き生きとした世界が現出する、声優の吹き替えともただの解説とも違う映画の楽しみ方」です。
励ましに感謝し、いい意味で、偏見を壊し、期待を裏切れる語りを磨いていきたいものです。
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