昨日は、第22回「ふれあい酒田」総会・懇親会。北区王子の北とぴあは、エントランス前広場の特設ステージ、特産物販売も13階の飛鳥ホールも大盛会。私は司会を務めました。
アニメ界を牽引してきたお一人、(株)ぴえろの創業者で最高顧問、布川郁司氏のトークショーでもインタビューをさせて頂き、30分ではありますが、興味深い話を伺うことができました。
布川さんは酒田市中町生まれ。酒田商業高校出身。高校時代は、淀川長治さんが「世界一の映画館」と謳った「グリーンハウス」で親の目を盗んでたくさん映画をご覧になったそう。
絵を描くことが好きで、グラフィックデザイナーを目指してデザインスクールに学び、一度はデザイン事務所に就職するものの、その後アニメの世界へ。
まだ「アニメーション」という言葉も普及しておらず、「漫画映画」と言った時代。「絵の好きな方募集」という新聞広告につられて渋谷のアニメ制作会社へ行ったところ、ドアを開けたとたん「ようこそ。この世界へ!」と言わんばかりのスタッフたちの歓迎ぶり(そう思えた)。最初にアニメーターとして携わった作品は『宇宙少年ソラン』。
虫プロ、スタジオジャックなどを経て、竜の子プロに入社し、1971年に演出家に、その後プロデューサーになります。
なぜ?と問うと、「自分より早くて絵の上手い人はたくさんいて、それよりは演出するほうが面白そうだったから」。そして、ご存じ『いなかっぺ大将』『てんとう虫の歌』『タイムボカン』『ヤッターマン』『みつばちマーヤ』など多数の作品を担当します。
私もこどもの頃、テレビにかじりついて拝見してた作品たちです。
79年に、29歳で独立。株式会社スタジオぴえろ(現:株式会社ぴえろ)を設立し、NHKの『ニルスの不思議な冒険』を制作しますが、100の予算で120の制作費をかけ、経営者としての苦労を知ります。たくさんの苦労を重ね、その後『魔法の天使 クリィミーマミ』で、著作権を取得し様々なグッズの版元となることで、経営を安定させていきました。
株式会社ぴえろという名の由来は、こどもの頃、酒田の日和山公園で見て大好きだったサーカス。主役は猛獣使いや空中ブランコなどで、ぴえろは脇役だけれど、ぴえろがいなかったらサーカスはつまらない。アニメーションをそんな存在にしたいという思いからでした。
今年で創立40周年。私たちが親しんだヒットアニメの数々を世に送り出してきました。
『うる星やつら』『太陽の子エステバン』『まいっちんぐマチコ先生』『天才バカボン』『幽☆遊☆白書』『NARUTO』などなど…。あれもこれも、布川さんが関わった作品だったんだ!と驚き。戦後の『のらくろくん』も手掛けていました。
ご自身の一番思い入れのある作品は『おそ松さん』。いろいろとお世話になった大好きな赤塚不二夫先生の漫画『おそ松くん』を原作にテレビアニメ化、最高に嬉しい作品だったと言います。
アニメ制作の醍醐味は、やはり自分たちが制作した作品を多くの人が喜んで観てくれること。ただ、影響の大きさに、教育的責任も感じている、と。
現在、日本のアニメは世界中の人々に愛されています。
中国も以前は、著作権無視のアニメキャラ無断使用やまがいものビジネスが横行しており、それなりの痛手を被ったそうでが、最近は国際社会の批判もあり、著作権を尊重するようになっているとのこと。
『NARUTO』も世界各国で大人気、昨年上海にオープンした「NARUTO一楽ラーメン」も賑わっているそう。アニメから日本に興味を持ち、留学する若者もたくさんいます。
布川さんは世界への発信、ビジネス展開と同時に、アニメ演出家を育成するため2013年にNUNOANI塾立ち上げ、塾長を務めています。
18年度に文化庁長官表彰、19年度藍綬褒章を受けていらっしゃいます。
これからやりたいことを問うと「だいたいやりたい企画はやりつくして、今は後進の育成に力を注いでいます。いいアニメーターや演出家を育てたい」と。
最後に酒田への思いを「72歳になって、親も亡くなった今、酒田に帰省することは少なくなったけれども、育んでくれた故郷への思いは逆に募っている。これから何か恩返しができれば」と結んでくださいました。
もう一人、『タイムボカン』『ヤッターマン』シリーズの録音ディレクター鳥海俊材氏も酒田出身(私の活弁もたくさん観にいらして下さっています)。共同で制作されていたお二人は、久しぶりの再会で話に花を咲かせておりました。
昨日は、日頃からお世話になっている同郷の皆様にたくさんお会いでき、とても嬉しい一日でした。