akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

「活弁シネマLIVE@OTEMACHI CAFE」

2005-11-07 | 活弁
「丸の内元気プロジェクト」「OTEMACHI CAFE」のホームページにも情報がUPされています。
ぜひ見てみてくださいね。

http://www.marunouchi.com/bunka/index.html
http://www.o-cafe.com/

※大手町カフェも「Marunouchi スタイル」に紹介されています。ランチもおすすめです。

かわいいフライヤーも、大手町、有楽町、丸の内のビルを中心に置いてあるようです。
ちょっと文字は小さいけど、彼のデザインは若者を中心に人気があります。
公演が終わったら栞にして下さい。
http://www.slowcinema.com/
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美しき倉敷の

2005-11-06 | 活弁
町と瀬戸内の風景を堪能して帰りました。

今回の公演の旅は、倉敷市児島の矢吹ご夫妻を始めとするたくさんの方々の力によって実現しました。児島での活弁上映会は、数十年ぶりだと思います。戦前に体験した数人以外は、年輩の方々も初めての体験だったはず。上演後、いろんな方が声をかけて下さり、嬉しそうにお話して下さいました。
大正生まれのおばあちゃんは、ちょうど「生れてはみたけれど」の作品中の子役たちと同じくらいの世代。映像の風景の懐かしさだけでなく、活弁上映の昔の思い出が蘇ったようで
「子どもの頃、学校の体育館で、何度か無声映画を観たんじゃよ。毎回、学校の男の先生が説明してくれるんじゃ。楽しかったんじゃよ。活弁、いうとその先生の口調が思い出されてなあ。佐々木さんいう活動弁士が来る、いうから、男の人だと思うとったんじゃが。びっくりしたわい。いやあ、でも本当に楽しかった。いいもん見せてもろうたなあ」

水先案内人として乗ったピースボートでのご縁で実現した公演ですが、そのクルーズの時のパッセンジャーや、ワークショップ参加の方々も、東京や名古屋、広島、福山などから駆け付けて下さり、とてもにぎやかで楽しい旅となりました。感謝、感激です。

下津井の港、瀬戸大橋、鷲羽山、王子が岳、大原美術館、アイビースクエア、染体験、いがらしゆみこ美術館等々、昨日は晴天、今日は雨、どちらの表情も素敵でした。

倉敷美観地区は本当に美しいところ。
倉敷川のほとりの路上に、晴れた日のみ、お店を広げているアクセサリー屋さんがたくさんおります。ふと足を止め、私がそこで買ったアクセサリー二つ(写真)。

これは、壊れてしまった古い時計の部品を分解し、組み合わせて作られています。
左が、明治時代の懐中時計をカットしたもの。真鍮も使われています。
右は、柱時計の歯車の一つ(後ろにAs Time Goes Byと彫られています)に、小さな腕時計の文字盤と、懐中時計の部品(古いものなので、本物のルビーが使われています)をつけたもの。
二つ並べると、月と太陽みたいでしょ。
「時」を刻む道具が、その寿命を終えて、また別の「時」を伝え始める。
見ているだけで、かなりロマンを感じます。映写機の部品のミニチュアにも見えたりして。

時計を分解しては丁寧にアクセサリーにしているおじさんは、とても優しい目をしていて
商売っけもなく、とにかく時計の部品を愛おしそうに作業しておりました。
「これは1930年代のスイスの時計、これは…」と頬を紅潮させ訥々と説明してくれ、どの作品もとても興味深く素敵だったので、思わず話し込んでしまいました。

そして選んだ二つですが、聞けば、そのおじさん、映写機を回したり、分解したり(修理を頼まれて)、同時録音の頃の録音機を分解したこともあるそうで。
しかも。
「うちのおじいちゃんは、無声映画のバイオリン弾きだったんですよ」
活動写真の楽士である!
「倉敷の大きい映画館では何人もの楽団で弾いて、田舎の小さな劇場ではバイオリン一人で演奏したと言ってました」
児島の地域だけでも十を超える映画館があったというから、倉敷はもっと盛んだっただろう。
「トーキーの時代になって、失業したそうですけどね。祖父は30年前に亡くなりましたが、当時使っていた鈴木製のバイオリンが、今でも家にありますよ」
そのうちに、笑顔のおじさんはお客さんに囲まれて、私たちはそこを後にしました。

地方公演の楽しさは、その土地に生きてきた方々のお話を聞けること、土地の空気、文化に触れられること。これは何にも変えがたい喜びです。
楽しく、感動をたくさんいただいた旅でした。

たくさんの出会いと学びを下さった矢吹御夫妻に感謝。



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岡山県倉敷市児島での公演

2005-11-05 | 活弁
架橋記念館ホール(素敵なホールでした)での公演を終え、打ち上げ後、宿泊。
昨夜の小津安二郎監督「生れてはみたけれど」公演は、会場いっぱいのお客さまの笑い声に包まれ盛況でしたね。
縁と、主催の倉敷市児島文化協会の方々のご尽力に心より感謝いたします。
今日は倉敷観光。

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小澤基弘個展「景色の裏側」

2005-11-03 | 映画・芸術・エンターテインメント
銀座のあかね画廊へ行った。大学時代の恩師の個展。
在学時代から卒業後も何度か個展に出向いているが、イギリス、パリ在住などを経て、10数年の間に作風がどんどん変化していくのが面白い。

「景色の裏側」。
今回も独特の抽象画だが、柔らかい色彩の花や野菜、女性の身体などを、紫と緑が混じりあった黒に近い色がだんだんと覆っていく。
遠くから観ると、生身のものから毒や無機質な気が立ちのぼっているようにも見えるし、
最初から表と裏が一体で完全だったような気もするし、
黒いタイルの中に塗り込められてしまったものを覗きたい、剥ぎ取りたいという欲求にもかられる。
大きなパネルの数々から静かに流れ出るエロティシズム。

彼の作品は、初めにキャンパスに描かれた(貼られた)具象をいかに覆っていくか。
あるいは壊していくか。
そして、流し込まれた、塗られた、重ねられた色によって、
そのモノが違うモノとしてキャンバス上に調和し、一つの風景を作る。
意味が観るものに委ねられ、もともとのモノそのものは一つの意味を伝えることを放棄する。


私は違う学部にも関わらず、悪友の一人と一緒に彼の講義を受け、美術館でのイベントやデッサンのモデル(裸婦画ではありません)など、いろいろと楽しい経験をさせてもらった。

大学時代は教授たちと飲んでばかりいた…が(エピソードは尽きません)、
さすがに、新婚ほやほやの先生の自宅に友人と押し掛け、泊めていただいたというのは、小澤先生だけである。
先生に言われて思い出しました。

5月に観て下さった「結婚哲学」をいたく気に入って下さって、ひとしきり感心した後
「いやあ、あなた活動弁士、いいねえ。あなたやっぱりねえ、アナウンサーじゃ、おさまりきらなかったんでしょう」
いえ、枠が違っただけだと思います…
「社会的にも文化的にも、あなたがやっていく価値があるよ」
恐れ多いです…。まだまだ若輩者。微力ですが、私にできること、やります。


今日は、勝手に恩師の芸術を私見で語りました。先生、スミマセン

※銀座あかね画廊の小澤基弘個展は11月6日まで。
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御射山の感想

2005-11-02 | 活弁
「御射山神戸までお越し頂き、体験した事のない無声映画と弁士
の絶妙な(一人芝居の様な)間合い、声色、生の声の温かみのある
舞台にすっかり虜になっていました」

長野の小林さんからメールが届き、彼女のサイトを拝見したら、
先日の公演に来て下さった方の感想などが載せてあり、感激してしまった。

小林さんを中心に、地元有志の方々が行っているステップアップゼミ。
毎回、都内から大学の先生や学生さんたちが来て地域研究をしたり、朗読会や講演を行ったり
積極的な活動をなさっていて、すごいなあと感心する。
先日の活弁公演の様子(というか、その後の囲炉裏を囲んでの飲み会の様子)が載っているページ。
http://homepage3.nifty.com/slowlife/stepup7.htm

小林さん宅の新築の別棟、ロッジ風の御射人庵(みさとあん)を作るのは、かねがね、ご主人の夢だったのだとか。
地域の方々が気軽に集い、ワイワイ囲炉裏を囲んで飲める場所を、と考えたご主人をサポートし、友人の大工さんたちが作ってくれた。
杉、檜、桜、椚、その素材は、ほとんど小林さんの山の木である。

そして、その思惑どおり、新築開業(といっても、お店ではありません)以来、毎晩のように客足が絶えず、庵は連日、地域の方々で夜遅くまでにぎわっているらしい。
さすがに、毎日、とは本人たちも誤算だったらしいが、みんながそこで、人の悪口や愚痴をいうのではなく、御射山の地域のこれからや、自分の夢を熱く語り、おいしいお酒を飲んでいるのが、何より嬉しいという。

寄り合いはけっこう愚痴や悪口が出てきやすいものだが、住みやすい地域はそうではないらしい。
「人は宝」。
現在は、退職をした方々が、積極的に楽しんで地域活動に参加し、自分の知識や技術を生かして地域貢献できることに喜びを感じている様がよくわかった。

自分の庵が欲しい!と思って、作るのは、言ってみれば誰でもできる。
そこを皆さんに開放するのはなかなか難しいし、
開放した場所を、お互いに気持ちよく使えるというのは、もっと難しい。

御射山の人々が集う「御射人庵(みさとあん)」。
先日のある日、たくさんの炭が、年期の入った炭箱ごと庵の前に置いてあった。
「囲炉裏に使ってほしい」と地域の人がだまって置いていったものらしい。
小林さん夫婦は「お地蔵さんでも来て置いていったのかと思ったわよ」と笑って言った。
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新生酒田市

2005-11-01 | 酒田・庄内・山形
故郷酒田市が、本日、市町村合併により、大きくなりました。

隣接する八幡町、平田町、松山町と合併し、人口も若干、増えました。

ちょっぴり複雑な思いもありますが、各町の良さを吸収し、生かす形で、新しい市政に望んでほしいと思います。


そして私はgooblogを始めて一ヶ月。ぼちぼち始めた割には1500を超えるアクセス、ありがとうございます。
私の気まぐれぶりを知る方々からは、続けて下さいとの声が…。がんばります
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