1972(昭和47年)
連続テレビ・ドラマ「光る海」主題歌
ア ド ロ/
フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラ
この曲は1967年の終り頃から南米で大ヒットしている実に美しい曲です。日本では、熱心なラテン・ミュージック・ファンの間で人気があり、隠れたるヒット云われていましたが、1972年10月から、フジ・テレビをキーステションとして日本全国で放映されている話題の連続テレビ・ドラマ「光る海」の主題曲として、このプゥルセルの「アドロ」がとりあげられるや、その美しいメロディーとラヴ・サウンドが忽ち若い人たちの心をつかみ、評判となったわけです(私もその一人というわけですね)。
ドラマで主演された沖 雅也さんは昭和58年6月28日に永眠なされています。
後、紹介出来ますシングル盤は2枚となりましたが、カセットテープ・CDをわずかですが紹介しますので今後もお楽しみに(LPもありますがスキャナーしにくいものですから )。
先月の6日にエキサイト・ドガログに会員登録をいたしました。本日あらためて2本の動画を投稿しました。このブログは記事・写真と記事ですが、私は動画ブログ(ドウガブログ)からの青い文字でドガログだと想像するのですが動画ですからデジカメや携帯・ビデオからの映像を投稿するものです。記事はコメントやタイトルぐらいです。
右上はビデオを再生するのにいきなり映像ではと思いオープニングの意味で静止画をつないで制作しました(私自身のCM)。音声には「エマニエル婦人」のテーマー音楽を使いたいと考えましたが映画をご存知の方には・・・・・・と止めました 。
中へ静止画にタイトルを入れます。
右下の写真は2002年7月に新潟から宮城へ社員旅行に行ったおりのビデオです。
PCには編集され55分位の動画で保存されていますが更に5分位にカットし編集しました。写真 : 映像の内容です。
青い文字 : タイトル。
ID : 昔の名前で出ています・いやmokuson2は登 録済み
ということでmokuson21です。mokuson21をクリックしていただくと私のページというか私の投稿した映像の写真がみれます。
赤い数字 : 再生時間。
黒い数字 : 投稿した日時です。
下手な汚い映像を5分もみていただくのは申し訳ありませんが、笑って一度観てください。再生されるのに重くて(映像がストップ)いらいらなさるでしょうが再生が終わりリプレイをクリックされると観やすくなるようです。
http://dogalog.excite.co.jp/ でした。
Aコープへお米を買いに行かねばという事だったので、以前からミニバイクを修理に出したいと思っていたので昼食後バイクを引きながら自転車屋さんへ。軽トラに載せれば簡単なことだったが。私の町内では軽トラを所有してない家はわずかしかない、殆んどの家庭には自動車が3台以上あるだろう。昨年の暮れにマイカーを手放したが妻と長男・次男で現在でも3台はある。バイクを引きながら空を眺めたら旅客機ではないと思うのだが自衛隊の航空機みたいなのが雲の中へ。空には直線の白煙がきれいだった。ふと思い出したのは地球温暖化、CO2排出量はマイカーが元凶のように言われるが航空機はどうなんだろうと
。あれだけきれいに見えるということはかなりのCO2排出量ではと。福井の空を航空機が飛ぶ量とマイカーの排出ガスの量の問題だろうか。
農道の横には菊を栽培している農家もあるようだった。いろんな野菜も栽培されていた。住宅地の近くではきれいな花もいろんな種類が見れた。住宅街では当然花壇やガーデンの花木が見れた。りっぱな門の家もあったが戸が古いモノを使用して、2本がバラバラなのでアンバランスに感じた家も。
50分ぐらいで〇〇サイクルオートさんに着いた。惜しいことだが修理は価格的にしないほうが得だろうとのこと。15年ほど前に長男のロードサイクル車を購入したことがあるのだが、顔を見るなり「引いて来たのか・・・・自動車貸したのに・・・・」「送ってあげる・・・」とか親切な言葉を頂いた。
で妻に電話したが家を出た後で妻の
に「迎えに来い(お願いします)」、やがて来た妻に相談してやむをえず中古のミニバイクを購入することに、それからAコープでお米を。
マイカーならば気にしない、出来ないところも徒歩ではいろいろ見れ新しい発見が、天気は良かったが風があったので適度の汗も出てよい運動ができた一日だった。

農道の横には菊を栽培している農家もあるようだった。いろんな野菜も栽培されていた。住宅地の近くではきれいな花もいろんな種類が見れた。住宅街では当然花壇やガーデンの花木が見れた。りっぱな門の家もあったが戸が古いモノを使用して、2本がバラバラなのでアンバランスに感じた家も。
50分ぐらいで〇〇サイクルオートさんに着いた。惜しいことだが修理は価格的にしないほうが得だろうとのこと。15年ほど前に長男のロードサイクル車を購入したことがあるのだが、顔を見るなり「引いて来たのか・・・・自動車貸したのに・・・・」「送ってあげる・・・」とか親切な言葉を頂いた。


マイカーならば気にしない、出来ないところも徒歩ではいろいろ見れ新しい発見が、天気は良かったが風があったので適度の汗も出てよい運動ができた一日だった。

<BS2> 2007年6月29日(金)午後7時45分~8時45分30秒
第24話 「危機迫る」

チェ尚宮(サングン)に指示され、チャングムの帳簿を盗み出したヨンノ。その中にはチャングムの母ミョンイの日誌もあったが、チェ尚宮(サングン)はそれと気付かず返却させる。ヨンノは料理の秘訣が書かれた日誌と知り、盗み見しているところをハン最高尚宮(チェゴサングン)に取り上げられる。その日誌を見たハン最高尚宮(チェゴサングン)は一目で親友ミョンイの日誌と知る。
一方、ヨンノはハン最高尚宮(チェゴサングン)に見つかったことをチェ尚宮(サングン)に報告。その様子から、チェ尚宮(サングン)もその日誌を書いた人物に思い当たり、さらにそれを持っていたチャングムの素性を悟ることに。衝撃に震えるチェ尚宮(サングン)をクミョンが支える。
一方、宮中物資の横流しは司憲府(サホンブ)を通じて中宗に報告される。危機感を募らせたオ・ギョモらは、自分たちを脅かす人物がチョンホであることを突き止め、チョンホ追放を画策。それを知ったクミョンは密かにチョンホを呼び出す。
次週は24/54ということだがら、やがて中盤になろうとしている。完全版ということで字幕を読まなければセリフがわからない、画面に釘づけである。
福井県も昨年とは11日遅いそうだが梅雨入りしたようである、朝からの雨で川の水量が増加していた。夕方、小雨ではあったが町内のお通夜にいったが、明日は晴れそうだからお手伝いなどされる方には良いだろう。5月が3度今月が2度目である特別つきあいが多い訳でもないと思えるが。やはり淋しい気持ちになる、まだ私は・・・・・・・と思っていてもそれだけは誰もわからないことだ
。 
第24話 「危機迫る」

チェ尚宮(サングン)に指示され、チャングムの帳簿を盗み出したヨンノ。その中にはチャングムの母ミョンイの日誌もあったが、チェ尚宮(サングン)はそれと気付かず返却させる。ヨンノは料理の秘訣が書かれた日誌と知り、盗み見しているところをハン最高尚宮(チェゴサングン)に取り上げられる。その日誌を見たハン最高尚宮(チェゴサングン)は一目で親友ミョンイの日誌と知る。
一方、ヨンノはハン最高尚宮(チェゴサングン)に見つかったことをチェ尚宮(サングン)に報告。その様子から、チェ尚宮(サングン)もその日誌を書いた人物に思い当たり、さらにそれを持っていたチャングムの素性を悟ることに。衝撃に震えるチェ尚宮(サングン)をクミョンが支える。
一方、宮中物資の横流しは司憲府(サホンブ)を通じて中宗に報告される。危機感を募らせたオ・ギョモらは、自分たちを脅かす人物がチョンホであることを突き止め、チョンホ追放を画策。それを知ったクミョンは密かにチョンホを呼び出す。
次週は24/54ということだがら、やがて中盤になろうとしている。完全版ということで字幕を読まなければセリフがわからない、画面に釘づけである。
福井県も昨年とは11日遅いそうだが梅雨入りしたようである、朝からの雨で川の水量が増加していた。夕方、小雨ではあったが町内のお通夜にいったが、明日は晴れそうだからお手伝いなどされる方には良いだろう。5月が3度今月が2度目である特別つきあいが多い訳でもないと思えるが。やはり淋しい気持ちになる、まだ私は・・・・・・・と思っていてもそれだけは誰もわからないことだ



1970 TOYOTA 7 です。
書店で購入しましたがこのメーカーは3車種買いました(私が知らない外車などがある為)。創刊号の為に1,000円以下でしたが、途中で倒産しました。私はTOYOTA 7の記憶はありませんでした

昨日は、責任者でもある為に妻と二人で出掛けましたが、講師の話は判り易く勉強になりました。が虫の居所が悪かったのか不愉快なおもいで帰宅しました。「一日一話」など紹介していますが、新興宗教ではなくて財団法人「モラロジー研究所」となっています。私達夫婦はそこの維持員ですが(一般の団体では会員とかですね)話を聞くことを勉強するといいます、頭・心に入れる事と実行することは別です。思いやりの心が大事なのですが私にはその心が欠ける為、色々な日常生活の中で問題がおこります。葉書の案内には8時からと書きましたが、司会の方の進行で勉強会が始まったにも関わらず雑談が絶えません。私は何の為に会場へ来たのだと言いたい位でした。10分位前には着席して5分前では静にするべきではないでしょうか、人様の幸を願うとか、思いやりの心などと言う団体ならば当然のことです。葉書の案内の為に頂いた住所録は18年4月現在ですが私なりに姓名の文字の間違いや住所の変更された方は訂正しました。団体のそれぞれの責任者が名簿などは年一回は見直すべきです、その新しい名簿により案内をするべきものが私宛の住所は訂正されたもの旧のままのものがあります。私は19年で作り直さねばいけないと言ったのですが聞き入れて貰えませんでした。私の品性が向上しないだけの話ですが、もう月一回の責任者だけで他のことにはお手伝い遠慮させていただきます。
