5月3日は憲法記念日である。例年、集会が開かれたり、新聞で記事になったりしたのは、戦争放棄を謳った憲法9条についてが中心であったはずだ。しかし、今年は、国民に最低限の生活を保障した憲法25条も争点となっている。突然の不況から派遣切り・内定取り消し等が起こり、仕事や住居を失った人々の生活をどう保障しようかというものだ。
高度成長以来、多くの国民が裕福な暮らしをしていると信じられ、憲法25条はそれほど人々の話題にも上らなかったので、この条文の急浮上は驚きであった。学生の時の専門課程で、朝日訴訟を材料に、国が国民の最低限の生活を保障することは「プログラム規定(スローガン的な努力目標)」的なものか、それとも「具体的に権利として保障」したものなのかということを習ったことなどを思い出した。でも、この当時でさえ、朝日訴訟は私が生まれる前の、岡山県の結核療養所入所者の話で、遠い世界の話に感じていた。
それだけに、25条が今年のマスコミを賑わせているのには非常に驚いた。それに、昨年夏からの世界同時不況のずっと前から日本の年間自殺者数は3万人を超えているという。国内の年間交通事故死亡者が6千人を割っているのだから、3万人を超えるというのが異常な数だというのが分かる。かつてプログラム規定の意味合いが強いと解釈された憲法25条の曖昧さを個々の法律でカバーし、社会全体でセーフティネットを作っていくのが急務であろう。
高度成長以来、多くの国民が裕福な暮らしをしていると信じられ、憲法25条はそれほど人々の話題にも上らなかったので、この条文の急浮上は驚きであった。学生の時の専門課程で、朝日訴訟を材料に、国が国民の最低限の生活を保障することは「プログラム規定(スローガン的な努力目標)」的なものか、それとも「具体的に権利として保障」したものなのかということを習ったことなどを思い出した。でも、この当時でさえ、朝日訴訟は私が生まれる前の、岡山県の結核療養所入所者の話で、遠い世界の話に感じていた。
それだけに、25条が今年のマスコミを賑わせているのには非常に驚いた。それに、昨年夏からの世界同時不況のずっと前から日本の年間自殺者数は3万人を超えているという。国内の年間交通事故死亡者が6千人を割っているのだから、3万人を超えるというのが異常な数だというのが分かる。かつてプログラム規定の意味合いが強いと解釈された憲法25条の曖昧さを個々の法律でカバーし、社会全体でセーフティネットを作っていくのが急務であろう。