井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

純粋な子どもの心を傷付けた?

2010-10-16 22:28:36 | Weblog
 またかという気持ちで、教員の不適切発言に関する記事を読んだ。今回は、鳥取県米子市立中学の理科担当の男性講師が今月上旬に1年生の授業で、「がけの上に立っている人に力を加えるとどうなるか」などと、殺人を想像させる問題を出したそうで、不適切な表現であると保護者に指摘されて、自身で理科の授業を担当する中学生に謝罪したらしい。

 先月辺りから、不適切発言等が話題になっているが、昨日の朝日新聞「天声人語」がコンパクトにまとまっているので、以下に引用する。

  ***** ここから引用  *****

 運動会も終わり、さあ学びの秋と意気込む先生も多かろう。授業や教材に工夫を凝らし、子どもの心をつかむ。その一助に新聞を活用していただくのはうれしいが、残念な使われ方があった▼山梨の小学校。5年の担任が道徳の授業で「脅迫状」を作らせたそうだ。児童はグループごと、ひと昔前の誘拐犯よろしく新聞を切り張りし、黒板の例文を再現したという。この「不徳」について教師いわく。「共同作業の大切さを学ばせたかった」▼愛知では、小3の担任が出した割り算の問題がとがめられた。〈子どもが18人います。1日に3人ずつ殺したら何日で……〉。片や横浜の中学教師は、生物の時間に男子の口と鼻をふさいで失神させた。どれほど呼吸が大切かを教えるつもりだったという▼これらの先生は40、50代。悪意なく盛り上げようとしたにせよ、教室を笑わせるには寄席とは違った用心深さが要る。超えてはならない一線もあろう。授業中ではないが、大阪の高校教師は不用意にも、女生徒にゴキブリ駆除剤を食べさせてしまった。「私の特製クッキーよ」と▼無論、悪ふざけに傷つく子ばかりではない。とはいえ、脅迫状の代わりに招待状、「殺す」ではなく「遊ぶ」でも出題の狙いは達成されよう。それも穏やかに、親からの苦情もなく▼手作り、オンリーワンの授業だから良いとは限らない。効果のほどは、すぐれて「ワン」の中身による。面白くてためになる工夫なら、教師の研修を通じて津々浦々に広まり、技を欠いた思いつきは、コラム書きの糧となる。

  ***** 引用終わり  *****

 冒頭の理科講師は何と年齢が70歳。「講師」と書かれていたので、正式採用されていない20代前半くらいの先生を思い浮かべたのだけれど、新聞各社のサイトを読んでいくと、中学校の校長や町の教育長などを歴任して再任用で現在の中学校で教えているようだ。理科の時間に子どもたちにとって分かりづらい「力点」「作用点」などの用語を教えるための説明の中で「殺人を想像させる問題」を出してしてしまったらしい。でも、彼は中学生の興味を引きつけ、力の掛かり方というものを考えやすいようにたとえ話をしただけである。多くの宗教家はたとえ話をよく使い、しかも上手だ。信者を自分の世界に引き付けるために、分かりやすく、かつ、誰でも納得できるたとえ話を用いる。だからこそ、沢山の信者を集め、宗教として成り立たせているのである。もちろん、件の理科講師も他のたとえ話もできるのであろうが、その時の話の流れから選んだネタであろう。「他の質問ができなかったのか。」は、授業の詳細な内容を知らず、外野の安全圏にいる無責任な物言いである。

「天声人語」にあった「脅迫状」は「担任を誘拐したから返して欲しければ現金を持ってこい」といった内容だったようで、子どもたちは担任を思う気持ちで、グループ全員で協力して新聞紙から文字を切り抜いたのかも知れない。だったら、稚拙でも「道徳」の授業にはなっていたはずだ。「殺人割り算」はこれらの中では一番大々的に報道された。私も殺人抜きの別なシチュエーションでも良かったとは思うが、多くの報道でなされていた「純粋な子どもの心を傷付けた。」という紋切り型のコメントには疑問を感じる。この「殺人割り算」で具体的にどのくらいの数の小学三年生が心に傷を負ったのであろうか。このニュースが報道された時期は、連日テレビや新聞で児童虐待や消えた高齢者が報じられていて、小学生だってそんなニュースを目にしていたはずだ。それに、殺人事件がよく起きる「名探偵コナン」などを夕飯を摂りながら家族揃って見ていたり、子ども自身がテレビゲーム等で敵キャラクターをばしばし倒すゲームで楽しんでいたりするのに、「殺人割り算」だけを採り上げて「子どもの心が云々」などと言っているのが噴飯ものである。親たちだって、日常的に2時間サスペンスを「楽しんで」いるはずだ。

「呼吸」の先生は、前もって生徒に「苦しくなったら合図をしなさい。」と言っていたらしい。格闘技でのタップのようなものだ。しかし、予想外に早い時間で失神したので、先生自身も驚いたであろう。それに全国版で叩かれたし…。「ゴキブリ駆除剤」はいわゆる「ホウ酸ダンゴ」で、これは先生の目を盗んでつまみ食いした女子高生にも責任があるはずだ。

 このようなことで不適切発言などと大々的に報道されているが、本当に殺人を犯したとか万引きをしたとかわいせつ行為をしたとかとは質が全く違う。私が危惧するのはちょっと冒険した発言や行動をすると保護者やマスコミに叩かれると、教員が萎縮して四角四面というか石部金吉な可も不可もないつまらない授業を行うようになることだ。これは児童生徒にとっても不幸な事である。一例として、小学1・2年でプールで力を抜いて浮く「クラゲ浮き」というのがあり、そこでは子どもにイメージさせるために「死んだ人になりなさい。」と指示をするそうだ。これは子どもにとって非常に分かりやすいと思うのだが、先のような記事を読むと指示がはばかられるのではないだろうか。

 それに、「死」や「命」が恣意的に扱われていることにも疑問を感じる。私が小学生、中学生の頃にはニワトリの卵を孵化する学習やカエル・フナを解剖する授業があったのだが、保護者たちから「気持ち悪くて子どもが卵を食べなくなった。」とか「授業で生き物を殺していいのか。」とかの苦情が文部省(当時)に多く届くようになり、次第にその学習は消えてしまった。つまりは、身近なもので生物の発生や生き物の内臓などを教えるいい機会を義務教育から奪ってしまったのだ。我々人間は周りにある植物、周りにいる動物の命をもらって、食べなければ生きていけないのに…。そして、近年は「命の授業」がもてはやされている。難病等で余命数ヶ月の人をゲストティーチャーとして学校に呼んで小中学生の前で講演をしてもらうことが結構行われている。これは、教師にも保護者にも割と評判がいいらしい。でも、私は言いたい! 小中学生は60年以上も先の自分の終末を考え、自分の死におびえる必要はない。今だけを一生懸命生きなさいと。



追記

 10月19日の新聞報道によると、「ホウ酸ダンゴ先生」が知らないうちに女子高校生がつまみ食いしたとされていたが、調査の結果、「ホウ酸ダンゴ先生」が「私の特製クッキーよ。」と女子高生に手渡したとのことだ。それだったら、「ホウ酸ダンゴ先生」の冗談がきつかったことになる。まともな高校生なら、食べ物ではないと感じた時点で吐き出すので、中毒症状までにはならないはずだが、「ホウ酸ダンゴ先生」が家庭科担当なのであれば、毒性があるということはしっかりと知っておいて欲しかった…。
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