東日本大震災の福島市での震度は最近修正されて「6弱」となりました。近所を見渡しても、屋根瓦の修理が間に合わず(屋根瓦が落ちた家屋が多いのに、現在は瓦職人が不足しているそうです。)、ブルーシートを掛けただけの家もかなりあります。コンクリートの基礎部分が歪んでしまって、すっかり建て替える家も3軒先にあります。
また、今日、菅総理大臣が民主党全国幹事長・選挙責任者会議で原発事故処理には最終的には数十年単位掛かるだろうと発言したそうです。東京都の食肉処理工場の検査で、福島県南相馬市内の畜産家が出荷した黒毛和牛1頭の首部の肉から、国の基準(1キログラムあたり500ベクレル)の4.6倍にあたる2300ベクレルの放射性セシウムを検出したという話もありました。まだまだ震災は尾を引いています。
今朝、書店で手にしたのが、佐野眞一さんの「津波と原発」です。佐野眞一さんはルポライターで多くの本を世に出しています。私が読んだのは「遠い『山びこ』」(←無着成恭の「山びこ学校」の教え子たちを追ったもの)、「東電OL殺人事件」とその続編と言える「東電OL症候群」くらいですが、現場に行ってその土地の臭いを感じ、その時代の空気や風俗と上手く混ぜて書く手法は秀逸です。「東電OL~」でOL殺しの容疑者ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの故郷ネパールを訪ねるくだりはルポルタージュの鑑です。
さて、この「津波と原発」。本当は今の時期って、担当しているお客さんにレポートを作成しなければならない時期なのですが、目が本へ行ってしまいます。全体的にはまだ読んでいませんが、この本も現場を歩いた跡が窺えるし、福島県における原発の歴史を地元紙や町史などから丹念に拾い集めて文章を紡いでいると感じさせました。それも全く感情的ではなく、淡々とした文章で。震災以降、特に5月以降、週刊誌で「放射線特集」みたいなものにページが割かれています。「週刊ポスト」や「週刊現代」は非常にセンセーショナルに「福島市には人は住めない」とか「首都圏にもホットスポットが数多く存在する」とか「50年前のほうが空間放射線量は遥かに高かった」とかを書いています。「週刊文春」も現場取材の記事を前述の誌と比べてやや控えめに載せていますが、地元民からすると信じられない間違いがあったりします。【例:「原発収束の作業員は原発からずっと南にある小名浜(茨城県)の旅館に寝泊まりしている。…」 ← おいおい、小名浜は福島県です!】
週刊誌がこうなので、佐野さんの取材力とそのきめ細かさに頭の下がる思いです。第2部第3章「なぜフクシマに原発は建設されたか」は過去をひもといて丹念に調べないと書けない内容です。ここだけでも、現在の原発問題を考えるときの出発点になる話です。個人的には第2部第1章の「誤解を恐れずに言えば、大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。それが、福島の被災者が三陸の被災者のような物語をもてない理由のように思われた。放射能の本当の恐ろしさとは、内面まで汚染して、人をまったく別人のように変えてしまうことなのかもしれない。」という一節が心にガツンと来ました。そう、我々は見えないものの影に怯えているのです。
また、今日、菅総理大臣が民主党全国幹事長・選挙責任者会議で原発事故処理には最終的には数十年単位掛かるだろうと発言したそうです。東京都の食肉処理工場の検査で、福島県南相馬市内の畜産家が出荷した黒毛和牛1頭の首部の肉から、国の基準(1キログラムあたり500ベクレル)の4.6倍にあたる2300ベクレルの放射性セシウムを検出したという話もありました。まだまだ震災は尾を引いています。
今朝、書店で手にしたのが、佐野眞一さんの「津波と原発」です。佐野眞一さんはルポライターで多くの本を世に出しています。私が読んだのは「遠い『山びこ』」(←無着成恭の「山びこ学校」の教え子たちを追ったもの)、「東電OL殺人事件」とその続編と言える「東電OL症候群」くらいですが、現場に行ってその土地の臭いを感じ、その時代の空気や風俗と上手く混ぜて書く手法は秀逸です。「東電OL~」でOL殺しの容疑者ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの故郷ネパールを訪ねるくだりはルポルタージュの鑑です。
さて、この「津波と原発」。本当は今の時期って、担当しているお客さんにレポートを作成しなければならない時期なのですが、目が本へ行ってしまいます。全体的にはまだ読んでいませんが、この本も現場を歩いた跡が窺えるし、福島県における原発の歴史を地元紙や町史などから丹念に拾い集めて文章を紡いでいると感じさせました。それも全く感情的ではなく、淡々とした文章で。震災以降、特に5月以降、週刊誌で「放射線特集」みたいなものにページが割かれています。「週刊ポスト」や「週刊現代」は非常にセンセーショナルに「福島市には人は住めない」とか「首都圏にもホットスポットが数多く存在する」とか「50年前のほうが空間放射線量は遥かに高かった」とかを書いています。「週刊文春」も現場取材の記事を前述の誌と比べてやや控えめに載せていますが、地元民からすると信じられない間違いがあったりします。【例:「原発収束の作業員は原発からずっと南にある小名浜(茨城県)の旅館に寝泊まりしている。…」 ← おいおい、小名浜は福島県です!】
週刊誌がこうなので、佐野さんの取材力とそのきめ細かさに頭の下がる思いです。第2部第3章「なぜフクシマに原発は建設されたか」は過去をひもといて丹念に調べないと書けない内容です。ここだけでも、現在の原発問題を考えるときの出発点になる話です。個人的には第2部第1章の「誤解を恐れずに言えば、大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。それが、福島の被災者が三陸の被災者のような物語をもてない理由のように思われた。放射能の本当の恐ろしさとは、内面まで汚染して、人をまったく別人のように変えてしまうことなのかもしれない。」という一節が心にガツンと来ました。そう、我々は見えないものの影に怯えているのです。