私は14日のブログのその場凌ぎの政治から抜け出すために(3)で日本が抱える重要な事項に関して長期的かつ包括的な視野で研究する「シンクタンク設置の必要性」を提案し、その研究の対象の一つとして、「少子化、外国人労働者の受け入れ」を挙げた。
そしてその理由として、少子化問題はたださえ難しい経済問題、年金、健康保険問題や労働力の確保などに暗い影を落としている、しかもそれらの問題と少子化問題の解決の見込みのないどころか一層進みそうなことが、国民に閉塞感を与える遠因となっている。
その一方で思いつきのような1000万人労働者の受けいれの提案がでて物議を醸しだしている。と書いた。
これに対して「蟹工船好き」さんから貴重なコメントを頂いた。(*注記)
そのコメントを見て、またいつものように私の悪文、舌足らずの表現から私の真意が届いてないのに気がついた。
それで私のブログの何時もの悪いパターンの一つだが、改めてこの少子化の問題に絞ってまた書く事にした。
[少子化の問題点]
・日本政府の基本方針は経済成長を前提とし、その一つの対策として内需の拡大への転換を目指しているが、少子化のよる人口減少で却って経済が縮小するのではないか。
・年金、保健問題では高齢者を支える青年層の減少で、それを維持するための厳しい財政から国費負担余儀なくされ、先進国で飛び抜けて多くしかも唯一止まらない債務残高が一層増える、そしてそのための経済成長促進のための先行投資ができない。
・少子化→子供社会の縮小、喪失→社会訓練の出来ていない無い子供→社会訓練の出来ていない無い青年→(勿論他の要因も多くあるが)数々の事件の発生。
・少子化がどの程度進むか、それがどの時点で収斂するか、その時の社会はどうあるべきかの研究がなされていない。
経済財政諮問会議の専門調査会が策定を進めてきた「21世紀版前川リポート」によれば、このまま放置すれば、今後10年間で出生率が1.0%近くになるそうだが、素人考えでは、二人の間に一人しか生れない状態が続けば、日本人はいつかはゼロになるような気がするのだが。
・少子化の対策として、外国人労働者の受け入れを言われているが、社会としての受け入れ体制がどうあるべきか。
中川秀直さんグループが1000万人の外国人労働者の導入を提案しているが、それに伴うマイナス面について明らかになっていない。
私は今までの政府の方針のように、優秀な人達の導入には賛成だが、無制限に単純労働者を導入すれば、日本人と外国人の能力や価値観の違いからくる、格差社会を当然とする欧米諸国で見られるような、人種による社会格差の発生と拡大は避けられないと思うが、日本人の考え方から見てそれを良しとするか、否かについては議論されたことはない。
それともう一つの問題は優秀な人しか受け入れない政府は言わないが、その本音は単純労働者の増大→日本の平均的知的水準の低下→日本の競争力を保つために、唯一頼りにしている人的資源の質の低下だ。
この様な人種差別的と取られかねないことは表立って言えぬが大きな問題だ。
・なお人的資源の問題で言えば、優秀な人材を導入しなければ、大学全入時代が象徴するように、今まで日本を支えてきた、知能、技術を支えてきた人材の少子化に伴う量的低下は日本にとって深刻な問題となるだろう。
識者はこの問題について、人的資源の質の向上について言っても、日本の技術を支えるためには優秀な人材の質×量が必要なことを何故言わないのだろう。
[シンクタンクで研究すべきこと]
[少子化の問題点]で気がついたことを書いたが、まだそれ以外にも大きな問題があると思うが私が思いついた範囲で書けば、
・少子化→国内消費の減少-経済成長の停滞-内需の拡大-労働者導入の拡大の関係を如何に調和させるか
・少子化を放置したときのどの時点で収斂し平行するか、それで良いのか、もしいけないとすればどうあるべきか。
・少子化傾向を留める必要があるとすればためどうすればよいのか。
ここで一番の問題点は直接の当事者である若い人達をその気にさせるにはどうしたら良いか。
・少子化に伴う年金、保健に対する悪影響を如何に処理するか。
バランスしてくるまでどうして凌いで行くか-少子化が何時どのように収斂するか(上記)
・少子化→子供社会の縮小または消滅→社会訓練の出来ない子供や青年の増加(少子化の進行で益々その傾向は大きくなる)に対して教育、社会の関わりはどうあるべきか
・外国人労働者の導入に伴う、諸外国の諸問題の研究、社会の受け入れ体制、社会格差の発生、日本に住む人達の平均的知的水準の低下、国際競争力の低下の危険性に如何に対処するか。
以上のように思いつきを挙げただけでも、シンクタンクに関わる人は経済、社会科学、財政、教育、哲学などの多くの分野の人達による、多方面からの基本的な研究が必要になるだろう。
しかしこの問題の解決がややこしいと言って放置しておけば、日本の将来に対して大きく深刻な問題が発生するのは間違いないし避けて通れない問題だ。
いつも書く事だか、日本人は長期的な視野で基本的な問題を研究するのは不得手な人種だから尚更この種の研究機関の設立が大切と思う。
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*注記:蟹工船好きさんのコメント
少子化等の人口問題は日本一国だけで思考するべきではない。
地球全体では人口急増していて、このペースであれば2050年には95億人になってしまう。
またBRICsなどの経済発展も同時に進むのでエネルギーや食料が不足することは明らかなのである。
人口急増は地球温暖化問題にも当然影響がある。
人口問題はエネルギーと食糧の奪い合いのための火種になることは明らかだ。
ゆえに人口減少国は人口急増国より移民というかたちで人口を受け入れていくべきだ。
統計によると先進国に移住した移民は移住しないで残った人々に比較すれば出生率が低下しているからである。
またドイツへ移住したトルコ移民は代償も大きかったがドイツの経済発展に大きく貢献したことは明らかであり、EU全体でも移民受け入れ賛成派が多数派である。
移民による日本の伝統文化の破壊などいうセンメンタルなナショナリズムは過去のものであると考えていかなければ日本がというより、地球が持たなくなるからである。
これが今の地球の姿である。
エネルギーと食糧高騰はインドなどの人口急増とは関係が少なくないことは明らかだ。確かにドル安と株安が投機マネーの原油と穀物価格を急騰させた最大の原因であることは周知の事実である。しかし、これは所詮バブルであり、バブルである以上はいつかは下がる。
しかし人口増加による需要の増加という要素に対してはそれに見合った供給量を維持できなければ、価格急騰を抑制させることはできない。
またトウモロコシなどを食糧や家畜飼料からバイオマスに転換させることによる穀物高騰問題も複雑だ。
原油バブルがはじけて原油価格が多少下がっても、地球温暖化の原因が二酸化炭素でないと認められない限り、バイオマス転換は減らないだろう。洞爺湖サミットで日本が提案した第二世代バイオマスもブラジルやアメリカの現状から考えればあまり現実的ではない。
では地球人口の定員は一体何人なのか?
これには食糧増産が限界であるという立場とまだ増産は十分に可能であるという立場では答えは違っている。
8億5000万人の人が既に飢餓状態であると言われていることは事実であるが、アメリカをはじめとした食べ残しなどの飽食状態の人も多くいることもまた事実。食べ残しをやめて、地球上の人間に平等に食料が行き渡れば、現在の食糧だけでも十分に足りているだろう。
また、肉食が菜食よりも多くの穀物を必要としているから肉食も減らして菜食を増やせばいいという意見も間違ってはいない。すべての人間が菜食主義者になれば、現在の穀物でも100億人分の食糧が供給できると言われているからだ。
しかし、そんなことは机上の空論であって、不可能であることは誰の目にも明らかである。つまりは現在の約65億人という人口がほぼ定員であるという悲観的な見方を受け入れざるを得ないのである。
ではどうすればいいのか。
地球の全人口をコントロールさせるしか方法はない。発展途上国かつ人口急増国であるインドやパキスタンは中国のような一人っ子政策を実施させること、そして先進国かつ少子化国である日本やEUは積極的な移民を実施すること、これ以外にはないというのが結論だ。