東北・太平洋地震と大津波の被害に遭われ方達に心からお見舞い申し上げます。
私の属するクラブの人から「角谷ケンイチさんの自伝」を借りて読みました。
お婆さんとの貧乏な暮し、大事故での緊急の脳の手術、醜い手術の傷跡、友達の苛め、脳梗塞の危険、片方の目の失明のハンデを背負っての頑張り、信じた同志の裏切りで2回の倒産と兵庫の大地震、その都度支援してた、指導者と彼が培ってきた彼のお客、と言う、まるで小説のような大奮闘の記録です。
その中で一つ気になった子ども時代の話しがありました。
彼が二年のときに六年生から酷い苛めにあった。お婆さんから「仕返しをしておいで」と渡された、棒きれを持って相手の家に上がり込んで彼の頭を殴った。
その後遊んで家に帰ると、頭に包帯を巻いた6年生の子がその母親が家に来ていた。
お婆さんは「お前がやったのか」とケンイチさんの尻をバンバン打った。
それを見ていた六年生の母親が「小さな子をイジメルるなんと卑怯者のすることよ」と子どもを叱り、二人の子どもに仲直りの握手をさせた。
二人が帰ったあとお婆さんのケンイチさんを「良くやったね」褒めた。
著者は 当時は原則として子どもの喧嘩には親が出ない時代でした。今のようにちょっとしたことで、親同志が目くじらをたてるようなせちがらいことはなかったのでしょう。と書いています。
その頃はまだ長島茂雄さんが現役で活躍していたそうですが、私のような戦前派から見て「小さな子をイジメルなど卑怯者だ」と言う考え方が私が生まれ育った北九州地域から遠く離れた丹波の地域でまだ長島さんの頃まで残っているとは思いませんでした。
昭和初期の私の住んでいた地域では、弱いものや一人の子を集団でイジメるなどはそれこそ卑怯者だと言う考え方が残っていました。
当時の著者の育った地域と違うのは、子どもの喧嘩は何故か知りませんが、取っ組み合いの喧嘩に限られ、平手打ちはOKでしたが拳固で殴ったり、足蹴にすることは避けられていましたので、子どもの喧嘩で大きな事故が起こることはありませんでした。
まして木切れや刃物を持ち出すのも卑怯者のすることだしされていました。
もっとも今の高校生位になると(今では死語になりかけていますが)硬派の人達の勢力争いでチェーンや木刀など使っていたようです。
然しそんな彼らも自校の生徒達に絶対に手を出すことはありませんでした。
彼らはそれなりのブライドを持っていたのでしょう。
然し今から考えるとまことに長閑な時代で、気が弱くて喧嘩に慣れていない私がたまの喧嘩で相手を押さえ付けたのは良いが、その後どうしてけりを付けて良いか判らず当惑したことを今でも覚えています。
しかし「弱い子をイジメたり、集団で一人の子をイジメるなど卑怯者のすることだ」と言う考え方がいつ消えたのでしょう。
イジメに就いて今学校で取られている対策をネットで調べて見ました。
まずイジメありきの対策 結果は早い内にイジメの芽を摘み取る、起こったときの拡大の防止、父兄との共同または対応策などが中心で子どもに対する教育としては次のような、大人でも直ぐには理解できないことばかりで子どもが直ぐに納得できるでしょうか。
だから何時まで経ってもイジメが無くならないと思います。
中には大人のイジメをなくすのが先決だという議論もあるようです。
・イジメが原因で自殺が起きたとき、生命の尊厳→イジメた生徒は死んだ子が何故生命を大切にしないかと批判
・人権侵害→権利重視それに伴う義務・責任の軽視で教育されている子ども達、それが親になったモンスター・ペアレンツの子どもが自分達の権利ばかり考え、他人の権利など考えない
権利が万能でなくて国民は他人の権利を護ると言う強い義務や責任が伴うものだと言う教育が必要
・いじめられた子どもの立場に立つ思いやり→これを聞いたときは判っていても、子ども顔や名前などおかしなことについてからかうなど、極端に言えば残酷性を持つのは事実
・いじめとはどんなものを教える→上記と同じ反応
・親のシツケが大切→親自身がおかしくなっている人も多い
それに比べると「弱い子を一人の子を大勢でイジメるなどは卑怯者だ」と言う教育、その実例を挙げての教育は子ども達にもっと説得できるような気がするのですが。
この卑怯者の考え方が消えたのは、先の義務や責任と言えば直ぐに軍国主義に結びつける戦後以来の教育と同じ考えが妨げていると思います。
卑怯の対極の勇気 (イジメに関して言えばイジメを止める勇気)の教育もされているのでしょうか。
勿論、上記の様な現行の教育も必要、著者が紹介したようにコミュニティーの再生、大きい子から小さい子まで混じって遊ぶ子ども社会の形成による、違った子ども達との共存などの社会訓練も必要だと思います。
それに加えて昔ながらの「弱い子を一人の子を大勢でイジメるなどは卑怯者だ」の教育や弱いものイジメに加わらない勇気の教育も欠かせないと思うのですが。
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私の属するクラブの人から「角谷ケンイチさんの自伝」を借りて読みました。
お婆さんとの貧乏な暮し、大事故での緊急の脳の手術、醜い手術の傷跡、友達の苛め、脳梗塞の危険、片方の目の失明のハンデを背負っての頑張り、信じた同志の裏切りで2回の倒産と兵庫の大地震、その都度支援してた、指導者と彼が培ってきた彼のお客、と言う、まるで小説のような大奮闘の記録です。
その中で一つ気になった子ども時代の話しがありました。
彼が二年のときに六年生から酷い苛めにあった。お婆さんから「仕返しをしておいで」と渡された、棒きれを持って相手の家に上がり込んで彼の頭を殴った。
その後遊んで家に帰ると、頭に包帯を巻いた6年生の子がその母親が家に来ていた。
お婆さんは「お前がやったのか」とケンイチさんの尻をバンバン打った。
それを見ていた六年生の母親が「小さな子をイジメルるなんと卑怯者のすることよ」と子どもを叱り、二人の子どもに仲直りの握手をさせた。
二人が帰ったあとお婆さんのケンイチさんを「良くやったね」褒めた。
著者は 当時は原則として子どもの喧嘩には親が出ない時代でした。今のようにちょっとしたことで、親同志が目くじらをたてるようなせちがらいことはなかったのでしょう。と書いています。
その頃はまだ長島茂雄さんが現役で活躍していたそうですが、私のような戦前派から見て「小さな子をイジメルなど卑怯者だ」と言う考え方が私が生まれ育った北九州地域から遠く離れた丹波の地域でまだ長島さんの頃まで残っているとは思いませんでした。
昭和初期の私の住んでいた地域では、弱いものや一人の子を集団でイジメるなどはそれこそ卑怯者だと言う考え方が残っていました。
当時の著者の育った地域と違うのは、子どもの喧嘩は何故か知りませんが、取っ組み合いの喧嘩に限られ、平手打ちはOKでしたが拳固で殴ったり、足蹴にすることは避けられていましたので、子どもの喧嘩で大きな事故が起こることはありませんでした。
まして木切れや刃物を持ち出すのも卑怯者のすることだしされていました。
もっとも今の高校生位になると(今では死語になりかけていますが)硬派の人達の勢力争いでチェーンや木刀など使っていたようです。
然しそんな彼らも自校の生徒達に絶対に手を出すことはありませんでした。
彼らはそれなりのブライドを持っていたのでしょう。
然し今から考えるとまことに長閑な時代で、気が弱くて喧嘩に慣れていない私がたまの喧嘩で相手を押さえ付けたのは良いが、その後どうしてけりを付けて良いか判らず当惑したことを今でも覚えています。
しかし「弱い子をイジメたり、集団で一人の子をイジメるなど卑怯者のすることだ」と言う考え方がいつ消えたのでしょう。
イジメに就いて今学校で取られている対策をネットで調べて見ました。
まずイジメありきの対策 結果は早い内にイジメの芽を摘み取る、起こったときの拡大の防止、父兄との共同または対応策などが中心で子どもに対する教育としては次のような、大人でも直ぐには理解できないことばかりで子どもが直ぐに納得できるでしょうか。
だから何時まで経ってもイジメが無くならないと思います。
中には大人のイジメをなくすのが先決だという議論もあるようです。
・イジメが原因で自殺が起きたとき、生命の尊厳→イジメた生徒は死んだ子が何故生命を大切にしないかと批判
・人権侵害→権利重視それに伴う義務・責任の軽視で教育されている子ども達、それが親になったモンスター・ペアレンツの子どもが自分達の権利ばかり考え、他人の権利など考えない
権利が万能でなくて国民は他人の権利を護ると言う強い義務や責任が伴うものだと言う教育が必要
・いじめられた子どもの立場に立つ思いやり→これを聞いたときは判っていても、子ども顔や名前などおかしなことについてからかうなど、極端に言えば残酷性を持つのは事実
・いじめとはどんなものを教える→上記と同じ反応
・親のシツケが大切→親自身がおかしくなっている人も多い
それに比べると「弱い子を一人の子を大勢でイジメるなどは卑怯者だ」と言う教育、その実例を挙げての教育は子ども達にもっと説得できるような気がするのですが。
この卑怯者の考え方が消えたのは、先の義務や責任と言えば直ぐに軍国主義に結びつける戦後以来の教育と同じ考えが妨げていると思います。
卑怯の対極の勇気 (イジメに関して言えばイジメを止める勇気)の教育もされているのでしょうか。
勿論、上記の様な現行の教育も必要、著者が紹介したようにコミュニティーの再生、大きい子から小さい子まで混じって遊ぶ子ども社会の形成による、違った子ども達との共存などの社会訓練も必要だと思います。
それに加えて昔ながらの「弱い子を一人の子を大勢でイジメるなどは卑怯者だ」の教育や弱いものイジメに加わらない勇気の教育も欠かせないと思うのですが。
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●2004/03/29 「TVタックル」安全保障スペシャル
ハマコー
「日本はテロあると思う。みんな信用しないが。あること前提に国家政策の中で努力する。イラク撤兵はできない。日本はアメリカなくして生存できない。58年間日本が安全だったのは安保があったから。日本はアメリカに言うこと言っても、守るべきものは守る。テロがあったら東京だと思う」
森永
「アメリカについていけば、テロのリスクがある。同盟弱めると日本に三発目の原爆が落ちると、この前おっしゃいましたね?冷酷な国家」
●米軍OSS機密文書「地震を使った対日心理戦争計画」(1944)、地震・津波兵器はホンマやった
http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/822.html
●ソ連「地震兵器」開発目前 地殻変動利用? 核爆発で誘発-陸軍少将語る
http://www.pana-wave.com/4/4_c_22.html
被災されたみなさん!みなさん!みなさん!
何とか踏ん張ってください!どうか!どうか!どうか!
何時からこの「卑怯」と言う言葉の意味が軽んぜられ、なおかつ正確な意味が理解されなくなったのでしょうか?
私が今一つ理解が出来ないことの一つは、「クレヨンしんちゃん」と並んで、子供たちに悪影響を与えている(私の個人的な見方です)代表的な漫画「チビ丸子ちゃん」がどうして子ども達に任期があるのかです。この漫画の中に「卑怯者」と称される人物が出てきています。これが現在の風潮を代表しているものの一例ではないでしょうか。
今回のコメントに当てらないかも知れませんが、述べても見ました。