毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

W杯予選敗退、残念。だがこれを糧に明日へ。

2014-06-25 19:29:41 | 日記

朝4時半に起きてテレビのスイッチを入れました。決勝トーナメントに進めるか否か、剣が峰にあるW杯1次リーグ、コロンビアとの最終戦です。前半戦終了間際に岡崎選手のヘッディングでリードされていたコロンビアに追いついたときは、大いに期待したところですが、最後は力の差でしょうか、後半戦に大量の得点を許し大敗。1次リーグは1勝もできず決勝トーナメント進出は夢と化しました。残念。でも選手はよく頑張りました。これを糧にして4年後のロシヤ大会での大活躍を祈っています。しっかりと応援しますよ。

ところが、私自信は今年7月に傘寿を迎えます。

平均寿命は延びたというもののこれからの人生は、指折り数えることができるのではないでしょうか。、4年後はどうなっていることやら。

“うちの奥さま”と食事の度に、残り少ないこれからの人生1日1日を大切にしようねと話しています。先輩知人の訃報が届くのがだんだんと多くなりました。訃報を受けるたびに、明日はわが身と少し寂しくなってきます。

これからの毎日を大切に、そのためには夫婦そろっての健康が第一。毎朝の散歩とラジオ体操。欠かさず続けようと思います。最近、“我が家の奥さま”も散歩に一緒に出かけてくれるようになりました。ほんの少しの時間ですが会話の機会が多くなりました。

朝の散歩は驚きの連続です。町の風景が1日ごとに変わっていることに気付きました。散歩の途中の「お早うございます」のご挨拶は、思わぬ知人を誘(いざな)いました。

明日も良い日でありますように。老人夫婦、充実した毎日を心掛けて行きます。

 


沖縄慰霊の日・平和を願う子どもたち

2014-06-24 09:47:47 | 日記

沖縄はきのう、慰霊の日を迎えた。

慰霊の日は「本土防衛の捨石」となって亡くなられた20万人に及ぶ方々を悼み、その沖縄の悲劇を後世に伝え、平和を誓う日。

沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁の丘で開かれた追悼式で、安倍総理は米軍基地の負担軽減にふれ「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、できることはすべて行う」と約束された。

戦後69年もたった今も、その苦痛と痛みの記憶をかかえる県民の方々にとって「安倍総理の進める外交・安全保障政策」は、沖縄の方々の気持ちに寄り添うものと言えるだろうか。むしろ不安をかき立てているとしか言いようがない。言葉と裏腹のとおり一遍の追悼式のことばには空しさが伴うばかり。

それに対して追悼式における子ども代表の追悼のことば(詩)には自然に頭が下った。昨日ブログに、昨年の子ども代表の詩「へいわってすてきだね」が絵本になったと書いた。

今年の追悼式では、石垣市の小学3年生の増田健琉くんが「そらはつながっている」と題した詩を読み上げた。聞いているうちにしだいに瞼が熱くなってきた。

<遠くの空の下では/いまでもせんそうをしている国があるんだって>

<空はつながっているのに/どうしてかな/どこまでが平和で/どこからがせんそうなんだろう>

<せかい中の子どもたちみんなが/学校に行けますように/友だちとあそべますように/にこにこわらって/家族でごはんが食べれますように>

<きっとせかいは手をつなぎ合える/青い空の下で話し合える/えがおとえがおでわかり合える/おもいやりの心でつうじ合える/わけ合う心でいたわり合える/平和をねがう心で地球はうるおえる/

これこそ平和。平和こそ宝と信ずる子どもたちがいるのです。もろ手ををあげて応援したい。

今総理は立憲主義に抗いながら、7月初めには集団的自衛権やさらには集団安全保障の今までの憲法解釈を、閣議決定で変更しようとと焦っている。なぜ急ぐのですか。平和を愛してやまない子どもらを戦争へ向かわせるかもしれないのですよ。どうしても必要と仰るならば、閣議決定など姑息な手段でなく正々堂々と、憲法改正を国民に問いかけるべきだと思うがいかがでしょう。

 

 


「へいわってすてきだね」の絵本が出版された。「沖縄慰霊の日」。

2014-06-23 15:13:42 | 日記

沖縄は今日、69年前の太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなられた方々を悼む「慰霊の日」を迎える。

会場となる摩文仁の丘に平和を願って建立された「平和の礎」には、国籍を問わず戦争の犠牲となられた方々の名が刻まれている。その数2009年(平成21年)6月21日時点で24万856人。沖縄戦の日本側死亡者は18万8136人、その中には一般住民3万8754人(推定)が含まれているという。

多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期の熾烈な沖縄戦は、沖縄の人々に大きな痛みと苦しみを与えた。

沖縄には今もなお日本にある米軍基地の74%が集中している。宜野湾市の町の中心部には飛行場があり輸送機やヘリ、オスプレイ等が配置され、1日中離着陸を繰り返しその騒音はまったくひどい。基地周辺では米軍人による様々な悲惨な事件が発生している。

今も消えることなく面々と続いている沖縄の苦しみや悲しみそれに加えての怒りを少しでも和らげることはできないものだろうか。なにも出来ない自分にいらだちを感じる。せめて「慰霊の日」に、沖縄の方々と一緒に黙とうし、平和を願うこととしよう。

基地の県外移設や米軍の訓練受け入れに他県の人達はすごく冷淡だ。基地の負担を沖縄ばかりに押し付けるでなく一緒になってその痛みや苦しみを分かち合うことが大切だろう。

安倍総理、昨年の「慰霊の日」の式典に参列され挨拶を述べられた。その挨拶、本当に平和を願っておられたのだろうか。通り一遍の何とも空虚な挨拶だった記憶がある。

今年も、総理は出席されるという。平和を願う席で、今進めようとしている憲法解釈の変更、それも閣議決定で変更しようと意図する総理、集団的自衛権、さらには集団安全保障まで枠を拡げ、平和を願う沖縄の方々に何と説明されるのですか。

昨年6月23日の戦没者を悼む式典で子ども代表として、日本の一番西にある与那国島の当時6歳の小学校1年生の安里有生くんが作った詩、「へいわってすてきだね」と呼びかけた言葉にはとても感動させられた。総理の空虚な通り一遍のあいさつを正に凌駕するものだった。

《ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいてる。けんかしてもすぐなかなおり。ちょうめいそうがたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。》

《やさしいこころがにじになる。へいわっていいね。へいわってうれしいね。みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。》

《ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。このへいわが、ずっとつづいてほしい。みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。》

この詩が絵本になった。絵をつけたのは、絵本作家の長谷川義史さん。テーマは一貫して「生まれてきて、生きているだけでありがたい」。

与那国島も訪れ、恥ずかしがり屋の安里君とは二言三言しか言葉は交わさなかったそうだ。でも、平和であってほしいという願いは「話さずとも感じ合えた」と長谷川さんは言う。

「平和のために戦いに行くなんて、そんなことから平和は生まれへんねん。優しい心からじゃなきゃ。それを安里君が教えてくれている」と。

絵本「へいわってすてきだね」は、沖縄の「慰霊の日」にあわせ、全国で順次、ブロンズ新社から発売される。

 

 


全国高校野球の地区予選が始まった。

2014-06-22 19:05:45 | 日記

第96回全国高校野球選手権大会の地方予選が21日、全国のトップを切って南北北海道と沖縄で開幕した。熊本県大会も県内65校が参加し7月4日から熱戦が繰り広げられ、23日には県代表が決まることとなっている。

毎日が日曜日の老人夫婦は高校野球の大ファン。この日の来るのを心待ちにしていた。

応援したい特定の学校はあるものの、高校野球の醍醐味は高校球児の溌剌としたプレー。参加すル全部の学校を応援したいが、残念なことにすべての試合を応援することは不可能。

3年前までは正に野球音痴だった“我が家の奥さま”。孫が高校野球の選手になったのを契機に、ずいぶんと高校野球に詳しくなった。今は自称評論家。応援に行くのを随分と楽しみにしている。

6月16日の朝日新聞に西日本各地区予選の展望が出ていた。熊本地区は多良木、熊本工、秀岳館、鎮西、文徳の5強の実力が伯仲しているとある。どこを応援しようかと、迷いが先に立つ。

熊本の代表は熊本市内か八代市内の学校が定番となっていた。ところが今回は市内から遠く離れた球磨地区の多良木高校が優勝に絡んできた。

先般行われたNHK選抜熊本大会では、好投手善君を擁した多良木が見事優勝。地区代表決定戦の台風の眼となるであろう。また、善投手の最速149キロには注目が集まることだろう。

“うちの奥さま”と組み合わせを見ながら、どの試合で応援しようかと夫婦2人の家族会議。多良木の試合は見逃せない。孫の出身校も応援したい。それに決勝戦もと夢が膨らむ。

県大会の主会場となる藤崎台球場。午前中はどうにか暑さを忍べるものの、午後になると真夏の直射日光が遠慮なく襲ってくる。球場全体を覆う夏の太陽を避けることは不可能なこと。

午後の応援は老人夫婦にとってはとても過酷。そうすれば応援出来るのは午前中の少し涼しい時間のみ。応援する試合にも制限される。

まだ、少し時間がある。体調も考えながらゆっくりと考えることとしようかな。

 

 


父の日と娘の誕生祝いが一緒になってやってきた

2014-06-21 14:25:08 | 日記

娘家族は離散家族、子どもは京都の大学へ、夫は人吉へ単身赴任。娘だけが熊本に1人残っていた。木曜日になると娘が我が家へやってきて、定例になった夕食会が始まる。

その定例夕食会、4月に娘が薩摩川内へ、娘婿が人吉から熊本へ転勤になったことからやむなく中止となってしまった。

その後の我が家は老人夫婦二人、楽しい夕食会が途絶えてがっくり。夫婦の会話もずいぶんと少なくなったようだ。

数日前のこと、娘から思わぬメールが入った。

「遅くなったが父の日のお祝と私の誕生祝い。今度の金曜日はいかがでしょう。」とのご招待メール。間をおかず「よろしく」と返事した。

その日午後6時、市内中心部にある小さなお寿司やさんに、娘婿を含めた総勢4人が集まった。定例夕食会より1人多くなった。それだけで気持ちが軽く、嬉しくなった。

まず、父の日のお祝と娘からバラの花が贈られた。嬉しいことこの上なし、でもしょうしょう照れくさい。小さな声で有り難うとつぶやくように言った。嬉しかった。

ワインで乾杯、その後は日本酒で、楽しい場は盛り上がった。愉快な時間は話も尽きず9時過ぎまで続き、今度は何時にしようかねと言いつつ楽しい祝賀会を終えた。

至福の時間をありがとう。

戴いたバラは家に帰って机の上の白い花瓶に挿し、すぐにPCの前に座った。

京都にいる孫に楽しかった今夜の出来事をメールした。バラの花も写真に撮ってメールに入れた。今度は全員集合のお食事会だよと。