5月11日火曜日、ラジオ関西、Playlist of Harborland「ジュリーにチェックイン!」
番組の冒頭に、メッセージ『「ジュリーがライバル」曲名のジュリーは、俳優のジュリアーノ・ジェンマだと聞いたことがあるんですが。』田名部さんが、ヒットスタジオで石野真子さんとやりあっているカメラワークのイメージがあるので、はなからジュリーだと思っていました。ご存じの方教えてください。
「ジュリーにチェックイン!」コーナー
メッセージ「ジュリーは素敵ですよね、全部歌えるんです、忘れていません」という姫路市の方からのメール。
田名部さんが、気になるのはコンサートがどうなるかで、毎日オフィシャルを覗きに行ってしまいますが、今のところ実施されるんだろうな。祈るような気持ちです。
TBSのDVDが心をなぐさめてくれています。
今日はディスク1に収録されている、昭和54年、28枚目のシングル「ロンリーウルフ」第10回歌謡大賞、放送音楽賞受賞。
42枚目のシングル 「渡り鳥はぐれ鳥」は、作詞、三浦徳子さん、作曲の新田一郎さんが昭和59年にリリースされた曲のカバー曲。
めっちゃ踊りますよね、DVDをみてビックリ!実際のコンサートでもこんなパワフルに踊られるんでしょうか。ライブではバラードということですから、歌っていただけると嬉しいです。
『「ジュリーがライバル」曲名のジュリーは、俳優のジュリアーノ・ジェンマだと聞いたことがあるんですが。』
ジュリアーノ・ジェンマ、絶対にそれはないです。間違いなくライバルはジュリーです!いったい、どこからそんなお話が(-_-;) きっと番組の放送時間内に「ジェンマではないです」という、メールが読まれるだろう、と思ったら、どなたも反論メールをされなかったようで。否定もされずに番組が終わってしまいました。あらら・・ 来週にこの問題は持ち越しですか。
ジュリアーノ・ジェンマといえば、マカロニ・ウエスタンで世界的な大人気スターになり、日本でも大いに人気がありました。ジェンマという、バイクも売ってましたね~(^^) もはや、アラ還世代以上でないとご存じないのでは。今はどうしているのかと調べてみたら、2013年に事故死していました。知らなんだ・・
かかった2曲はシブい「ロンリーウルフ」1979年
ラジオ関西の「Playlist of Harborland」の次の番組は午後4時からの長寿番組「歌声は風に乗って」です。ジュリーの曲がよくかかったので、70年代頃は毎日聴いていました。当時は土曜日には歌謡曲の新譜を紹介していました。音楽評論家が新曲である 「ロンリーウルフ」を、ジュリーがすごく自信を持って歌っている。と評していました。
その言葉どうり、この曲は前作「OH!GAL」が好きではなかったと言っていたジュリーが、
次は化粧もせず、衣装もシックに、ジックリと歌を聴かせたいと思って挑んだ曲であったに違いない。
ところが、ジュリーにしてはあまりに地味すぎたのか、売れ行きは伸びませんでした。この当時のジュリー自身のラジオ番組で、「売れていないということで、緊急に呼び出しがあり、加瀬さんらと話し合った。」という風な事を、率直に至極真面目に話していました。そこまで内輪の話をしなくても・・とラジオを聴きながら、その沈んだ声に危機感がにじんでいました。そしてこの次の曲は、ド派手なパラシュート演出の「TOKIO」になりました。
お次は「渡り鳥はぐれ鳥」1984年
田名部さんが「めっちゃ踊りますよね、DVDをみてビックリ!実際のコンサートでもこんなパワフルに踊られるんでしょうか。」と言われていましたが、正直言って 当時TVで見たのは数回のみ。コンサートでも、昔はともかく近年はほぼ歌っていないはずでは? ジュリーがコミカルに歌い踊っていた記憶だけは有りましたが、今回見て、ほんとによく動いてました。
こんな格好もフリも、井上バンドならやらない。
動き過ぎて写メが綺麗に撮れず(^^; 一曲歌うごとに、大変お疲れになったでしょう。
この曲もジュリーが後になって「好きじゃなかった」と話していた、切ない曲(-_-;)
じゃあ、なんでこれを出したの?とは今更言いますまい。当ブログでも、先日のコメ欄で話題に上がりました。ジュリーが当時、この曲の宣伝でラジオ出演した時に、パーソナリティから「ジュリーのような大人の歌手が歌う曲がヒットして欲しいです。」と言われて、ジュリーが真面目に受け答えしていたのが印象に残っています。1984年はタノキンに聖子ちゃん、明菜ちゃん、若いアイドルが全盛の時代でした。
DHSC-1は、すでに何度も見返しましたが、1973年の「危険なふたり」の若いジュリーがけっこう顔が丸くて、意外に垢ぬけていないような(^^; 早川さんのこの黒い衣装は、ずっと白バージョンの衣装が続いていたので、当時はドキっとするほど新鮮に思えました。そして48年ぶりに気がついた、B地区が透けて見えてました~
危険なふたりから、どんどんジュリーがスターの輝きを強くして、より美しくより洗練されていく。 70年代から80年代へ、絶頂期を迎えようとするジュリーから、ナベプロ時代の最後までをDISC-1は観ることができました。
「ジュリーがライバル」はジュリーであるという、その証のYOUTUBE