冒頭の「誰の言葉だったか、死は当人にはすべての終わりだが、周囲にはその人抜きの新しい世界の始まりだ」で思い出した。ある会合で主賓が自分の経歴を臆面も無く長々と話していた。通夜に葬儀委員長がやる経歴紹介みたいだった。自分に対する説明は警察か裁判所ぐらいにして、自分のいない時に人にやってもらうに限ると思った。
あとがきで筆者は、自分の小説や脚本は「嘘の話」で占められるが、私生活を素材にしたこの1回4千字、9年間分の季刊誌の掲載エッセーは、「自慢話は聞き苦しい」と言われるがそう感じたとしても私をどうか見限らないで欲しいと書く。こういうのに笑いつつ、こんなブログやってる自分にドキッとする。
●■●●
さて、立男にとって老境は未知の世界で、この頃勉強をはじめたばかりだ。周囲の方々の言動とものの本から我が身を振り返るのが多くなった。「月日の残像」(山田太一著:新潮社)は、老境の域ではどんなことが関心ごとになるのかを教えてくれる。当代一流の作家だが、その底流に生きる喜びと悲しみの詩が静かに響いているからどうしようもない欲望扱っても嫌みが無い。若い日の環境と記憶は後日こんなふうに繋がるのかと何度も思った。「生きる悲しみ」にはそれがもっと濃厚だ。
●●●■
わっと思ったのは、「異性を見ると、反射神経のように性欲で分別」するのは「不随意筋みたいなもので、いけないといったってどうなるものでもない。それは女性だって同じだろう」の下りだ。そして「この減退(「体の芯の変化」)が新鮮、別の世界へ足を踏み入れたという興奮」であり、「せっかく七十代に入ったのだから、七十代だからこその変化を進んで意識し、たとえばその容赦のない無常の体験を面白がってしまうくらいの姿勢」が大事だと書く。 おいおい、七十代でこれかよ。何だかおっとり温厚な感じだけれど、芸術家というのはやっぱり特別な体質の方々だと思った。傑作「飛ぶ夢をしばらく見ない」の人だと思った。
冬季オリンピックの日本人選手に拍手送るが、メダル獲得競争にはあんまり興味無い。「強い国ニッポン」に引っ張り込む風潮に「体の芯」が拒否する自画自賛で思い出したのが落語「寝床」。その筋では自慢する方を「あいつ、寝床だよ」って仲間内で葬るらしい。何だか粋だね。