波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

「月日の残像」(山田太一著)

2014年02月11日 | 読書

Tukihinozannzou
  冒頭の「誰の言葉だったか、死は当人にはすべての終わりだが、周囲にはその人抜きの新しい世界の始まりだ」で思い出した。ある会合で主賓が自分の経歴を臆面も無く長々と話していた。通夜に葬儀委員長がやる経歴紹介みたいだった。自分に対する説明は警察か裁判所ぐらいにして、自分のいない時に人にやってもらうに限ると思った。
 あとがきで筆者は、自分の小説や脚本は「嘘の話」で占められるが、私生活を素材にしたこの1回4千字、9年間分の季刊誌の掲載エッセーは、「自慢話は聞き苦しい」と言われるがそう感じたとしても私をどうか見限らないで欲しいと書く。こういうのに笑いつつ、こんなブログやってる自分にドキッとする。

               ●●

 さて、立男にとって老境は未知の世界で、この頃勉強をはじめたばかりだ。周囲の方々の言動とものの本から我が身を振り返るのが多くなった。「月日の残像」(山田太一著:新潮社)は、老境の域ではどんなことが関心ごとになるのかを教えてくれる。当代一流の作家だが、その底流に生きる喜びと悲しみの詩が静かに響いているからどうしようもない欲望扱っても嫌みが無い。若い日の環境と記憶は後日こんなふうに繋がるのかと何度も思った。「生きる悲しみ」にはそれがもっと濃厚だ。

                         ●●●

 わっと思ったのは、「異性を見ると、反射神経のように性欲で分別」するのは「不随意筋みたいなもので、いけないといったってどうなるものでもない。それは女性だって同じだろう」の下りだ。そして「この減退(「体の芯の変化」)が新鮮、別の世界へ足を踏み入れたという興奮」であり、「せっかく七十代に入ったのだから、七十代だからこその変化を進んで意識し、たとえばその容赦のない無常の体験を面白がってしまうくらいの姿勢」が大事だと書く。 おいおい、七十代でこれかよ。何だかおっとり温厚な感じだけれど、芸術家というのはやっぱり特別な体質の方々だと思った。傑作「飛ぶ夢をしばらく見ない」の人だと思った。

冬季オリンピックの日本人選手に拍手送るが、メダル獲得競争にはあんまり興味無い。「強い国ニッポン」に引っ張り込む風潮に「体の芯」が拒否する自画自賛で思い出したのが落語「寝床」。その筋では自慢する方を「あいつ、寝床だよ」って仲間内で葬るらしい。何だか粋だね。

コメント

【その149】 カロリー

2014年02月09日 | 【保管】一寸凡師コラム
Photo
 ダイエットの成果か、乾燥している肌のせいか、腕時計(金属製バンド)がクルクル回るようになった。平日は仕事の忙しさと相まって、夜ご飯は
少なめ。「平日に抑圧された食欲を土日に!」きっと消費カロリーを計算すれば、きっとまだまだ食べ過ぎなのだろう。健康と食欲のバランスを上手に取りた
い。
 さて、昨日。雪像作りの最終日。仕事が終わってから合流しお手伝いを。先週削らせてもらった雪像の頭頂部分は、「凡師が削った時の思い」がほ のかに残っている程度で、ほぼ別物に仕上がっていた。昨日は胴体に文字を入れる作業を行ったが、雪像コンクール開催当日は、また別物に仕上がっているのだ ろうか。楽しみ。
 昨日は雪像作りでカロリーを消費したので、土日はしっかりと食欲を満たしたい…。そんなことを頭に今、センベイを食べながらコラムを書いている。

バレンタインデー」(2/8朝日新聞、道内版「先生のつぶやき」)のトップコラムは凡師さんのではないだろうか。本欄のコメントに一言お返事いただければ嬉しいのですが。
コメント (1)

安岡章太郎著「歴史の温もり」

2014年02月04日 | 読書

  歴史はつまらない。授業の下手な教師のせいもあるけれど、いったい記憶力のPhoto_2
訓練して何の役に立つのよと物覚え悪い波風立男君は長く思っていた。が、それは勘違いだった…かもしれない。歴史に残る戦争も被災も当事者には一括りの共通体験ではなくあくまで個人的体験として見つめ直す…こういうのなら意味ある歴史だと思った。 教科書の「サーカスの馬」で人間的共感の授業時間が楽しかったが、歴史にも「温もり」の視点があったのだ。時代が変わっても揺るがない真実があって、それは優れた主観性に支えられると思った。芸術の意味はそこにあるのだろう。禍々しい客観性臭さが一番危ないとも思った。

                              ■ 

 本書「歴史の温もり」は、1974~1988年の歴史エッセイ収録。昭和の自分を、飛び交っていた当時の言葉を思い出していた。筆者は、昨年1月92歳でご逝去。存命しておられたら、理性を感じる「平和と民主主義を守るべき大切なものとしての日本国憲法」という昨年12月23日のお言葉、理性にも知性にも道理にも遠い安倍さんという方の言葉…こんなのをどう表現されたことだろう。 
  自分の血筋を辿ってみようかと思った。歳のせいだろうが、やっと歴史を勉強する気になってきた。ママヨさんと愛媛を歩いてみるか。

私利私欲も唖然とするぐらいむき出しなら、勇気ある発言と受け取る人もいるんだなあ。悪いのは自分以外、のさばった方が勝ちの歴史観が安倍さんと同類の関西在住の橋下さん。この方のおかげで今日のブログ更新。

コメント

鬼遣(おにやらい)

2014年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_6  今日2月3日は立春の前日【節分】、真冬日の最中だが冬と春の境目。「鬼」は「隠」(おん)が語源、隠れて人に悪さする怪物、節分の夜に鬼追い払い春を迎える儀式が鬼遣(おにやらい)とものの本に。「鬼は外」と叫びながら、今まで見て見ないふりしてきた邪悪なものに正対することで福を迎え入れる庶民の知恵とも書いてあった。

                  ◆◆◆

 自分を苦しめている本質を直視せず、上っ面に怯えているのでは迷うばかりだ。「なるほど、これはやっかいだな」と思っても覚悟を決めると、重たい事態でも案外明るくなれる。こんな境目迎えるためには勇気というか、覚悟というか、落ち着いて考えてみる機会が必要なんだろう。居直りもその一つだ。

          ●●●

 【鬼遣】は、豆をまいたり、鰯の頭や柊の枝を戸口に挿して鬼を追いはらうとある。「鰯の頭も信心から」というが、とげとげしい柊の葉は刃みたいだから鬼が嫌うのだろうか。豆はなんだ?と思いつつクレパス握り絵描いて遊ぶ。昨日と一昨日、朝から夕方まで千客万来だった。皆さん、境目にすっくと立っておられる感じがした。我が家で少し気が楽にでもなってくれれば嬉しい限りだ。前に自分が辛かった時、そうしてもらった方々だ。ママヨ作のカレーパン食べたり土産にしたりして。今晩は海苔巻き。

Photo_9公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」更新しました。入り口ご存知の方はその入り口から、知らない方は何とか調べて辿りついて下さい。簡単に入れると面白みもありません。お早い到着祈っております。

コメント

【その148】 雪像

2014年02月02日 | 【保管】一寸凡師コラム
Photo
 市内で行われる雪像コンテストに同僚が参加表明。なにやら一週間かけて制作するとか。昨日、差し入れを持って陣中見舞いに。雪を固めたブロック?がたくさん作られており、他にも作業をしている人達がいた。全く面識のない方々ばかりだったが、同じ目的で同じ場所に集まり、同じ作業をしているだけで、仲間意識や一体感を感じる。日が沈み、ライトで照らされた空間に、雪のみで削る「スリッ、スリッ」という音が静かに響き、これがまたなんとも心地いい。見学だけと思っていたが、凡師もお手伝いすることに。長身を活かし、雪像のてっぺんを削らせてもらえることになった。普段持てあまし気味の身長(183cm)を、人の役に立つことに利用できてとても良かった。イベントの盛り上がりが、市全体の元気につながればと思う。
コメント