院生になりたての頃、論文検討会の場で後輩をひどく怒ったことがある。そのときは「怒ってあげなきゃいけない」と、「後輩のため」のつもりで結構な剣幕で怒ってしまった。今にして思えば、その後輩にどうなってほしかったのかを考えるべきだった。自分もそうだが、研究的なアドバイスは一度言われても理解できない。本当にわかってほしいと思うなら、怒ってもしかたがなかった。「なんでできていないんだ」と怒っても、できるようにはならないだろう。
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こんな風に、未だに「激励」の仕方を間違えるときがある。怒らなければいけないときも、きっとある。でも、そうじゃないときも、もちろんある。一方で、「できなくても仕方ない」と手伝うことが、本人の成長の機会を奪うことにもなるだろう。どういう風にがんばってほしいのか、どういう風になってほしいのか。そんなことを考えて励ましの言葉をかけることができるようになりたいと、親になってみて改めて思う今日この頃。
施設で育った准看護師の弥生を変えた師長の別れの言葉。「みなさんは看護師です。看護師は、ひとたび病院に入ったら、看護師という仮面をかぶらなくてはなりません。その仮面が自然に出るようになれば、プロの看護師です。そして、看護師は患者のためにいます。それだけは、みなさん、忘れないで、迷ったら患者のためになるかどうか、それだけを考えて、そうすれば、答えは出ます」。病院を学校に、患者を子どもに置き換えて読む。通院時に待合室で読んだ「わたしをみつけて」(中脇初枝著:ポプラ文庫)だ。病院で病院舞台の小説読み、プロ専用「仮面」のことなど考える。
施設体験が繰り返し語られる。「優しくしてもらってやっと痛みが分かるようになった」、「なぐられた人はなぐられることをなによりおそれる。なぐられないためならなんでもする」…児相一時保護で登校できず九九がわからない。虐待を扱った「きみはいい子」を思い出す。両方とも読んで良かったなあと思う小説。
前はあんなにあった時間、だんだん少なくなってきた。無駄な読書なんかできない(するけれど)。読書のメインとサブを意識して読む。今の小説のメインは「坊ちゃん」と「ブンとフン」だが、何とも荒唐無稽。それに対し何て鋭く温かい「わたしをみつけて」。
獲れたてピンピンのサンマもらう。初物だし、テーマ「終わる夏」にふさわしく、形も色も面白いから、食べる前に描いておこう。ママヨさんが察して具合のいい皿に載せてくれた。あんまり考えず水性ボールペンでえいやっと。それをPCに取り込んで色を注す感じ。気分は染色家。クレパスや木炭の重厚感とは違う面白さ。花壇の方で無く、可憐なのに強靱な雑草の花をこんな感じで描いてみようかな。昨日は全一日快晴だが最高気温21℃というまことに秋日和。本当に終わったんだね、今年の夏。 公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」さっき更新しました。