人生の心残りは今のところ無い。会っておきたい人や知りたいことはある。そうかといって果たさなければ死んでも死にきれないというものでもない。家族が健康で楽しく暮らして欲しいという願いはあるが、もう大人なんだからなるようになるだろう。
後に残る家族が困らないよう少しづつ片付け始めているが、途中で逝ってしまったらそれは仕方ないことなので家族に甘える。
そう考えても、残された時間をどう使うかが、やっぱり一番の問題。変な本を読んだり、どうでも良いような情報に惑わされたり、無駄な人間関係で浪費するのはごめんだ。
これからの暮らし方というのは、これまで使ってきた時間の続きだから、良くも悪くも今とそう変わらないはずだ。身長171㎝、体重68.5㎏の身体を盛んに振っても気の利いたものは一つも出てこない。もしかしたら今が人生上で一番保守的かもしれない。夢も希望も無いのではなく、むしろ夢や希望がはっきりしてきて安心したという感じに近い。老人って、みんながこんなものなのかなあ。
還暦になって決めたのは、周りの評価・評判を気にしない、自分のしたいことしかしない、機嫌良く愉快に遊んで「変なオジサン」になることだった。5年前、健康年齢(自分の手足使って一通りのことが出来る)は短かければ75歳ぐらいまでだろうと予測し再就職も止め、『積極的引きこもり生活』と自称して「変なオジサン」化を加速させた。外で働くとか周りと上手くつきあうというのは意外にストレスが多いことを実感する10年だった。
愉快な暮らしというのは、自分に有益な時間の使い方という意味で、それは身体がちゃんと正直に計ってくれる。快眠・快食、快便なわけでそれ以上に正しい良い暮らしの判断基準はあり得ないと思うなあ。
昨日から流木を使って庭で使う椅子を作る。チェンソ-(電動)は恐いが「作りたい」が勝る『堤清二 罪と業』(児玉博著:文藝春秋社)、実業家で詩人・小説家で元共産党で三島由紀夫と親交のあった堤清二氏からの聞き取り。環境と時間と才能を思う。「堤さんの小説も詩も読みたいとは思わない」と先に読んだママヨさん【参考】公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」から『積極的 引きこもり生活』(2019.2.25)