(前号から続く)
加藤の明晰な言葉の全容、膨大な中身を理解するのは無理だ。還暦後、詩は分からないところは飛ばし、わかるところを楽しめればそれで良いと落ち着いた。これで詩や古典が楽になった。加藤周一も同じだ。だが評論だから飛ばしどころを間違えると全然わからなくなり、迂回どころや読みどころの指南、荒海を渡る案内役が必要だ。加藤周一の案内書を何冊か読んでいるが、この本にある2人の巻末解説が一番分かりやすいと思った。
昨日のブログに書いた小森陽一と成田龍一の巻末解説だ。どうでもよいことだが、加藤周一に合わせたように全員『一』の名前だね。小森陽一氏は「9条の会」事務局長で、一昨年当地に来ていただき話しを聞いた。明るく圧倒的な説得力、嬉しかった。昔、北大の友人から、大学に凄い奴が2人いると聞いたのがこの人と井上ユリ氏(故井上ひさし夫人、旧姓米原ユリ)。同時代の人が、この国のあり方の真っ当な案内人であることが嬉しい。姉があの故米原万里氏。11年前に亡くなった彼女のブログ(「米原万里公式サイト」)が亡くなってからスタートしていたことに驚く。この人のエッセーもこのブログもとても面白い。老後は、漱石・周一・ひさしを読むと退職前から決めている波風立男氏。小森氏は漱石研究の第一人者。時代も空間も超えてそれらの人々が波風氏と繋がっているような不思議さ。
さて、小森陽一著『コモリくん、ニホン語に出会う』。『言葉と~』と併読中。ウーム、教員生活時代に、いや、20年前の国語教師時代に読みたかった。(終わり)