大晦日の午後、仕事もせず本を読む。97歳の詩人(杉山平一さん)が東日本大震災後にまとめた詩集『希望』。あの花森安治さんが聞き書きして庶民の暮らしぶりを伝える『花森安治選集』(「ある日本人の暮らし」「日本紀行」収録)。詩集あと書きに、詩人が高校時代を旧姓松江高校で過ごし、花森安治氏に文芸を吹き込まれたとあった。2冊の本で、「しあわせ」という言葉で立ち止まっていたから訳もなく嬉しい気持ちになった。
台所仕事の手を休めてスマホ見ていたママヨさんが、東京が1300人越えたと言っている。
待つ
杉山 平一
待って
待っても
待つものは来ず
禍福はあざなえる縄というのに
不幸のつぎは
また不幸の一撃
ふたたび一発
わざわいは重なるものとも
知らず
もう疲れきって
どうでもいいと
ぼんやりしていた
それが
しあわせだったと気づかず
*詩集『希望』から
しあわせのうた
しあわせは
おいらのねがい
仕事はとっても苦しいが
流れる汗に未来をこめて
1956年5月の『暮らしの手帖』に収録された港区の親子4人タクシー運転手一家の話。冒頭に『しあわせのうた』の冒頭部分。青森の農家5男に生まれ16歳で東京に出て働く。色々失敗し満鉄で働き結婚。「こういう人がいっぱいいた。戦後を作ったのはこういう大人だったんだな」と思った。妻は勉強が好きだが家が貧しかった。引き揚げてから夫に叱られながらも本を読み周りから慕われ明るく家庭を支える。筆も立ち新聞投書に、いこじで騙され狡い人間に見られ損な性質だが「割れ鍋に綴じ蓋」で私には一番似合いの夫とあり、ホロリとさせられる。最後に、しあわせのうたで終わる。この歌は、忙しく働く父親が週に数回夕食時に食卓にいる時にみんなで歌うとあり笑顔の写真も。
しあわせは
あたしのねがい
あまいおもいや夢でなく
いまの今をより美しく
つらぬき通して生きること
みんなと歌おう
しあわせのうたを
ひびくこだまを追ってゆこう
今年一年を思い出すと、そこにはいつも「今は 幸せなんだろうなあ きっとそうだよな」という問いと答えがひとつになった感情がいつもあった。詩は、不幸を何でそうなのよと思うその時こそが実は「しあわせ」で、『しあわせのうた』の歌詞は「まだ幸せでないから」歌うはずで、『しあわせ』というのは、自分で決めれば良いこと、何かとか誰かと比較するものでは全く無いんだなとつくづく思う。手書き題字は花森氏作。
黒豆が煮えたようだからこの辺で今年のブログは終わりとしよう。