昔、バナナは高価で運動会か学芸会ぐらいでしか食べられなかっ た。私たちの子ども時代では、間違いなく「憧れの食物」ナンバー1だ。私の家は貧しく、小学校5年生の時にもらって食べたのが最初だ。
ある日、大きな包みが父の仏壇に置かれた。父の友人が土産に持って来てくれたのだ。包み紙の形から果物屋で見たことのある光り輝く果実、グローブのような房が幾重にも重なったバナナだと思った。夢かと思った。
その日、母の仕事の帰りが遅かった。包みのすき間を何度ものぞいた。指で触れたりもした。すべすべした黄色い1本を取り出し妹と分けて食べた。次は一本づつ、これで終わりと一本、本当に最後と一本、次々と言い訳を探して食べ続けた。
帰ってきた母が、「家族三人、どんなものでも分けあって生きてきた。自分が何をしたか考えてごらん」と涙声で静かに言った。母には随分怒られ、デレッキで叩かれもした。しかし、叱られたという記憶はこれに尽きる。自分の幼さ、卑しさ、ふがいなさを嫌と言うほど見つめさせられた。
ほめられることは大事だ。しかし、叱られることはもっと大事だ。真剣に愛していなければ真剣に叱れはしない。叱ってくれる人がいなければ人は人になれないと思う。何歳になっても。 【平成23年2月26日/朝刊】
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新聞掲載用コラムは文書修行。550字は、書き始めは短か過ぎるように思うが、最後にはとても長く感じる。いつもそうだ。読み手にとってこの字数は慌ただしい朝に読む限界の字数だろう。バナナにまつわる話題は、「我らの時代」特有のものかもしれないが、それぞれの思い出に何か普遍的なものがあるように思う。
本日より本ブログ内の空き部屋を間借りすることになった、「一寸凡師(いっすんぼんし)」と申します。拙いコラムですがどうぞ皆様よろしくお願いします。
管理人さまからは「気軽な気持ちで、言葉を通じて、己を磨く修行の場。敷金礼金はいらないよ。」とのお声を頂きました。日頃より「人生は修行。修行は一生。」という言葉を信念に邁進する(姿に憧れを持っている)小生に取って、これはチャンスと捉え、このページの空(あ)いている「隙間」を間借りさせてもらうことになりました。空いている「隙間」は開(あ)いている「隙間」。この開かれた「隙間」から大きく飛躍し、直木賞を目指したいと思います.
さて、読者の皆様へ。この「隙間コラム」は、「性根が少なからず曲がっている」凡師が発信する為、内容も少なからず曲がっております。もし今後も読んでみようという方がいれば、最初から「少し変わっている人が発信するもの」として受け止めて頂けると、さほど腹も立たないと思われます。なお、間借りしている身ですので、管理人さまからの退去命令があった場合、家賃が払えなくなる等不測の事態が起きた場合につきましては、サッといなくなります。その為、もしかしたら第2号は無いかもしれません。「更新してたらラッキー」ぐらいの気持ちでお読み頂けるとありがたいです。 それではみなさん、アスタラビスタベイベー!
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講義が拙い不平は犬へ。図書館の方は学長に書面で「恐れながら御成敗」を願ったが取りあってくれない。講義の拙さは学生には気の毒だが、不平は図書館と学長に言ってくれ。自分の学力が足りないと思われては甚だ迷惑だと書く。その学長名は坪井だとちゃんと書いてある。そして変わり者は「変わり者」として新聞社で働くとしめくくる。いやはや…。