波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

こめの学習帳17頁目【メモが景色になる前に】

2019年11月29日 | 【保管】こめの学習帳

私は忘れっぽい。色々と対策を講じるのだが、どれもあまり効果的とは言えない。それでもいくつか効果があるものはあって、私が常に心がけているのが「自分が忘れやすいことを自覚しておくこと」である。だから時間の決まっているものは、スマホのスケジュールアプリやリマインダアプリに「即座に」「その場で」登録することにしている。

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困るのは、締め切りがはっきりしないものや、長期的・継続的な目標などである。スマホに長期的に掲示するのは難しいし煩わしい。そうなると、いつでも目に見えるところに掲示しておくという選択を取ることになる。ドラマや漫画などで見るような「整理整頓」とか「禁煙」とか書いた紙を壁に貼っておくようなことである。パソコンを使った仕事が多いので、私はそれらをディスプレイの隅に貼っておくことが多い。しかしこれが曲者である。

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ディスプレイは毎日見ている。そのためというか、それゆえというか、その隅の掲示はいつしかただの景色に成り下がり、目標として掲げた時の気持ちとともに、その意味内容を失うことになるのである。場合によっては本当に文字自体が薄くなって消えている場合もある。目標達成失敗、である。やるべきことはメモが景色になってしまう前に。これもメモしておかなければ。


【波風立男氏談】コメさん久しぶりの投稿。前回が去年の12月4日。しばしばお会いしていたが、本ブログのことは互いに口にしないようにしていた(笑)。波風氏は彼が逆境に負けず努力する人であることを知っている。そんな気持ちも込め、仕事で疲れ雪降るでもぐっすり寝ている姿を描いてみた。課題を忘れてずーっと眠り惚けていたのではないか、という当てこすりではない😄。

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『軍馬と楕円球』を読む。

2019年11月28日 | 読書

 

人から依頼されて読んだ『軍馬と楕円球』(中野慶著:かもがわ出版)。楕円球(ラグビー)に没頭していた主人公の高校生が、あるきっかけから軍馬を通じた昭和史研究に触れ、今につながる平和と戦争の問題に正対する。思春期の瑞々しい成長の様子を家族や友人とのやりとりを挟んで読ませる。

馬の時代(戦時)のことを、今のラグビー・ワールドカップ日本大会開催(本書に出てくる)の時代に、庶民の側からの自主的な研究講座ですすめる話に少し驚いた。不思議な題名もそこにある。印象的なのは、当時の政権や軍部が加害者で、庶民が被害者というステレオタイプの図式に陥らないよう、登場人物の言葉を借りて繰り返し主張することだ。庶民が戦争を担い支持していた、という言葉は、今の時代の危険な兆候を正確に反映しているだろう。ロジェ カイヨワの『戦争論』の人間精神に戦争礼賛の信仰があるという下りを思い出す。「人生の正解」は一人一人の責任で見いださなければならないことにも気づく。ラグビボールは意図とまったく違う方向に転がりもするのだ。

和の追求を、軍馬を通して草の根の庶民の側から解き明かす実験的な手法は斬新。しかし、文体が古めかしい。主人公の高校生を含め皆が皆、研究者のような物言いは気になる。内容理解だけでない理由で読み切るのに時間がかかった。作者もそこらへんを意識してか、家庭での笑いあるやりとりに心がけるが息苦しい。大事なことを巧に追求しているのに、時代感覚にあわない文体で損をしていると持った。故井上ひさし氏の「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに」は簡単なことではない

本書に対する書評/松茸伸幸(かもがわ出版編集主幹)

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人生の正解

2019年11月27日 | 新聞感想

 

今朝の新聞投書欄(11/27朝日)、21歳大学生の投書を読む。

ず、人生の「正解」が教科書に書いてあり、先生が細かいことまで教えてくれたということに正直驚いた。さらに、良い大学へ行って、素敵なパートナーを見つけることが「正しいこと」だという価値観もだ。教科書や先生に対して絶対的な価値を信じて疑わない子ども、そう育てた教育や養育に不幸を感じた。

 

書後半の「大学や社会に出ると突然、正解の無い問題ばかり」は当然で、「自分で見極め」なければならないと気づいたことは、この大学生が不幸から転換する『自立』の始まりでラッキーだと思う。人生の意味を、人は皆自分で苦労しながら探し自分なりの人生を作っていく。この大学生に首をかしげるのは、この場に及んでも「どこに向かって歩けばいいのですか。私は人生のにおける「正解」が欲しいです」と甘ったれているところだ。

 

になる点が2つある。1つは、「幸せになることが人生の目標」の「目標」と「目的」をどうも混同させていること。2つめは、「人生の『正解』」を21歳ぐらいならわかっていたいと思っている点。今、椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』、筒井康隆『老人の美学』を読んでいるが、人生の正解を人生の後半であっても語るのはとても難しいことなんだなあと思いながら頁をめくってる。


この投書に対して4人の方(10代男、20代女、40代男、60代女)の投書も載せてある。どれも、「正解は存在するものでなく生み出すもの」の意味で共通している。そして、大学生に対してとても優しい(これにも唸る)。

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言葉のケイコ【その玖(きゅう)】

2019年11月26日 | 【保管】言葉のケイコ


  家の中ドラマ

この家庭にもささやかな問題というものはあるだろう。得てしてそれは、家庭外の人間にはよく理解できなかったりする。それゆえ相談する方もされる方も、いまいち落とし所がわからないままになる。だから結局は自分自身が家族と向き合うしかない。それを見事に描いている作品が、奥田英朗氏の『我が家の問題』だ。短編小説集で、「完璧すぎる妻のいる家に帰れない新婚男性」「夫がお荷物社員だと知ってしまった専業主婦」「結婚して初めての里帰り」など、実際にありそうな設定が並ぶ。

の中の一編『妻とマラソン』。突然マラソンにはまった妻の姿が、作家の夫の目を通して描かれる。何のために走るのか、どうしてそこまでマラソンに打ち込むのか、それを作家の夫が推測する場面があっても本人はそうは語らない。家族であっても真にその人を理解することは難しいかもしれないけれど、でもやっぱり家族には家族の役割がある。味方であること、応援すること。そして向き合うこと。当たり前のことなのにぐっと心に迫ってきた。ちなみにこの話、読んでいる間ずっと私は頭の中に波風先生とママヨさんが浮かんでいた。別にママヨさんはマラソンにはまっていないし、お二人と似ている、という訳ではない。けど、どうしても浮かんでくる。イメージ?雰囲気?なんとも不思議な感覚だけど、とにかくこの話が私は一番好きだ。


【波風氏談】読みながら、「こんなことあるなあ」と思った。仮面夫婦」ならぬ「工面夫婦」の波風家は(わかったようなわからないような表現だが・・・)  イラストは、図書館までの道で見る小さな鉄橋。カレンダーの2月用に描いた。1年前にママヨさんに運転してもらい写真を撮った。

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波風新聞『面白荘』6号の【2面 3面】

2019年11月25日 | 図工・調理

1面に、読書交流会『ほんのおつきあい』について、「こういう会は、ありそうで無いと参加者皆が言う。誰かに習ったり従ったりするのでなく、少しの勇気を出して今まで知らなかったどうしが集まり、自分の考えを安心して口に出せる機会があまりないからだろう。」と書いた。このことを、今年最後の昨日の会で「ほんとうにそうだなあ」と思った。

昨日は、本の紹介も楽しかったが、宿題の『(学生時代の)国語の授業の思い出』で笑った。詩を書く課題があり、忌野清志郎の『トランジスターラジオ』の歌詞を書いて出したら、RCサクセションを知らない先生が赤ペンで直してくれた(大笑)。
昨日は、楽しい国語の授業を思い出せない方ばかりだが、大人になった今は読んでいる。前述の1面の文章に、「漫画や雑誌を除く読書量が1ヶ月でゼロ(文化庁調査)が半数だと先週の新聞に。色々な理由があるのだろうが、楽しくない国語授業の失敗が一番の理由ではないか」と書いていた。

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