前回のコラムで登場したキングカズこと三浦知良選手 。復興支援チャリティーマッチでゴールを決めた。ニュースで見て、思わず凡師もカズダンスを踊るところだった。凡師の徒歩通勤は間違っていなかったのである。最近では徒歩通勤にも余裕が出てきて、腕に「万歩計」をつけるようにまでなった。(以前は、万歩計の重さにさえ体が悲鳴を上げていた。) 子どもの頃から「計器」に目がない凡師。(子どもの頃は自転車にスピードメーターを付けていた。好きな漫画はもちろん銀河鉄道999。) おもしろい事に、万歩計をつけることで、また別の「徒歩通勤」の世界が広がるのだ。きっと「万歩計」を付けている多くの方々は、「やった! 今日は1万歩も歩いたぞ。」とか「あれ、今日少なかったなぁ。」等の目安として利用されていることだろう。
しかし、凡師の場合はひと味違う。
「朝の出勤は○○○○歩で行こう」と目標を定め、万歩計を見ずに職場まで歩き、職場の玄関に一歩目が入った時に「万歩計」を見るのだ。最初は、「今日の占い代わり」といった軽い気持ちだったが、回を重ねる毎に、「なぜ目標通りの歩数で通勤できないのだろう」と自問自答するようになった。単なる徒歩通勤のはずなのに、「カーブは少し内側を歩こう」とか「歩幅を少し広げよう」、「上り坂で少し前屈みになってしまうから、歩幅がずれるんだ」等といった、おおよそ「どうでもいいこと」に頭が働くのである。
凡師はこのように「手段」と「目的」を見失うことが多々ある。やっているうちに楽しくなってくると、当初の「目的」からどんどん離れてしまうのである。
過去、目標歩数と実際の歩数が同じだったことは1度もない。生まれつきストイックな凡師は「いいか、300歩ぐらい違っても」等と安易に妥協したりしないのである。自称「楽しみを見つける達人」としては一歩たりとも譲ることはできないのだ。
「なるべく腕を振らないように歩いてみよう」とか、「そうだ、途中まで車で行けばいいんじゃないか?」等、ますます大きくなる「目的とのズレ」さえも愛おしいのだ。
日差しが柔らかくなってきた。今まで季節の移り変わりには無頓着だったが、最近、肌で感じるようになった。
徒歩で通勤するようになって一ヶ月余り。
凡師がなぜ徒歩通勤を始めたかというと、ズバリ、体力と判断力の衰えを感じたからである。例えば、道で誰かとすれ違うとき、同じ方向に避けてしまう、避けるタイミングが遅れてしまい相手にとってフェイントになる、2度目の方向転換で足がもつれる、などといった場面が多くなった。挙げ句の果てには、人とすれ違う時は常に手刀を切って『スイマセン、スイマセン』といった始末。Jリーグ元年、TVでカズのフェイントを見て、人知れず練習した経験を持つ凡師としては、このまま現状に甘んじるわけにはいかなかったのである。
歩くことは、体にとってだけでなく、心にも優しい。目に映る景色、肌で感じる温度、風のにおい…。近頃は、「挨拶する人が減ってきた。大人だって…」等と言われるが、凡師が通勤途中にすれ違う人は、皆挨拶を交わしてくれる。徒歩での通勤は、朝のひとときに深みを与えてくれている。
カズ並のフェイントを手に入れたくて始めた徒歩通勤。カミソリのような切れ味のフェイントはまだできないが、凡師にとっては得る事がたくさんあった。「別にフェイントなんかできなくてもいいか」とさえ思える。(実際、本当にフェイントしたい訳でもないし…)犬の散歩をしてるおじさんと交わす挨拶、凍った坂道を何度も転びそうになりながらの小走り、側溝に足を取られ捻挫した足首(軽傷)、ふくらはぎに感じる疲労感(慢性)、靴擦れした踵に貼るカットバン(100均)・・・とにかく全てが爽快なのだ。
日差しが柔らかくなってきた。春は近づいている。
言葉が気になる。原発の報道だ。混乱する電気会社の説明、 素人には極めてわかりずらい解説…自然災害に制御不能の人災が加わる大災害のザワザワ感、意味不明な言葉が不安をドンドン拡げる…だいぶ前、乳製品会社、餡餅の菓子屋、女将さんと息子さんの高級懐石料理店の謝罪会見で感じた違和感ある言葉に似て…。そんな中、放水作業従事の東京消防庁の方々の言葉に救われる。命がけの電源復旧工事されている現場人の言葉も知りたい、感謝したい。それにしても、最先端の科学の火の沈静化に、東京から消防車が?、ヘリが水を上から?…こ、こんなんで大丈夫か?
インフルエンザで先週寝ていた。家庭的には、立男は「大丈夫?」の世界。周囲の何人かが立男にうつされたと言っているそうだが嘘だ。あんなにアクの強い奴らだ…俺がうつされたはずだと立男は思っている。それにしても薬の多いこと、前からの胃薬とあわせ、朝昼晩毎に10粒。ママヨさんが気の毒そうに水を…。
……読書感想…………………………………………………………………………………
「教養の再生のために-危機の時代の想像力-」(加藤周一、ノーマ・フィルド、徐京植:影書房)車を例に、スピードや燃費はテクノロジー、それでどこへ行くかが教養の問題…を考えていたら大津波。今回の人災を考える上でも★★
「滑稽な巨人-坪内逍遙の夢-」(津野海太郎著:平凡社)TVの寅さん登場の大作家が「坪内散歩」先生。逍遙のパロディ、昔から気になってた人。もしかしたら遠い親戚かもと…。考え、生き方、実績の概観を知る。これほど破天荒で、何とも言えない大文豪とは…。著作を読みたいとは全然思わないが。★★ ※5段階評価 最高★★★~最低☆☆。
「心にのこるつぶやき」~栃木県の避難所にいる20歳の学生によって作られた このサイト(http://prayforjapan.jp/tweet.html 関連http://twitter.com/prayforjapan_jp)一人でも希望を持ってもらえたらと思い、国内で投稿された心に残るつぶやきや、海外から寄せられた応援メッセージがまとめられている。読んでいて胸が熱くなった。今、何ができるのか。今、何をするべきなのか。1人1人が考えて行動しなければならない時なんだと改めて感じた。
●バイト中に地震があってほぼ満席の状態からお客さんに外に避難してもらいました。食い逃げ半端ないだろうな、と思っていたがほとんどのお客さんが戻ってきて会計してくれました。ほんの少しの戻られなかったお客さんは今日わざわざ店に足を運んでくださいました。日本ていい国。
●子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた、ありがとうございます、という声が震えてました。
●大事な人が,自衛隊として現地にいます。24時間で3時間の休憩。メールで「大丈夫?」と聞いた私に「そのために訓練してるからな。俺には"無力じゃない"って信じさせてくれる人がいるから,気持ちも大丈夫。」そう言ってました。どうか彼らに,もっと強い感謝の意を。
●自衛隊、14日までに1万5900人救助。
●千葉の友達から。避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ。
●NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。
●停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧してるわけじゃない。俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。
●物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。
東北地方太平洋沖地震におきまして、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。