エンゲル係数
我が家のエンゲル係数が、ガンガン上昇している。その原因は、食事をつくる時間・体力・気持ちのゆとりがないためである。離乳食だけはつくっているが、「大人の分も」となると、食いしん坊の我が家としては空腹をこらえてもう一食つくる気力はなく、買い食いにならざるを得ない。以前はお弁当も作っていたのだが、今では洗い物が増えるという理由も追加され、専ら食堂である。
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そんなとき、「エンゲル係数 急上昇 食品値上げ 賃金追いつかず」の記事が目に入った。そこでは円安・消費税増税による食品の値上がりに賃金が追いつかないことが説明されていたが、それだけではないだろうと思う。格差と貧困の広がりの中で、共働き世帯が増えていることはよく指摘されていること。さらに、核家族化、片親世帯の増加も含めて考えると、エンゲル係数が上昇するのは当たり前だ。子どもの貧困対策として「子ども食堂」の取り組みが広がっているが、貧困対策というか子育て世帯支援として、「家族食堂」みたいなものができるとありがたいのだが。
東京都知事の公私混同。驚き、次々と出てくる「けち」の事実に笑う。庶民も随分なめられたものだ。元も前も、金に汚ない知事というのも酷い話だ、揃って「オリンピック開催」を叫んでいるのが興味深い。昨日のTVワイドショ―で、知事を「せこい」と言っていた。立男氏もそう感じたが少し違う気もする。一度辞書にあたっておこう。何気なく使っている言葉は、意外に油断がならない。
「せこい」は「世古い」で、もとになった『せこ【世古】』の[「故」は「こと」の意]冠婚葬祭などつきあいの俗事を適当にこなし、裏面の事情を承知の上で世渡りしていく、社会人としての要領。「-にたける[=世間知が身につく]」(新明解国語辞典:三省堂)とあった。別に悪い意味でなく、社会的な常識とも言える。度を超えると「せこい」になり、倹約は「けち」になるのと同じだろう。笑って許せる「せこい」は今回の場合は適当でない。当然だが「けち」もだ。庶民がやると実に辞書の意味にぴったりなのだが。
「みみっちい」が、【比較的最近になって「けちくさい」意で使われ出した新しい俗語。 「下手だ」という意味では明治時代の芸人の俗語にあり、「芸が-」のように用いたという。「みみっちい」という意味合いで使うのは近年の新しい俗語。→ けち・けちくさい・しみったれる・みみっちい(日本語 語感の辞典:岩波書店)】とあった。「せこい」よりもっと「けち」な感じだ。今回の場合に適当ではないが、語感的にはまあまあ納得。東京を舞台に専門のセイジという芸ごとでお金を貯める都民を食い物にして恥じないみみっちい専門家、という感じ。ここまでせこさ・けちさ・みみっちさが暴露されても恥じないことに感嘆。芸の道というのは門外漢にはわからないことだらけだ。
愛用の新明解に、【当人の人格を疑いたくなるほど、けちくさいと感じられる様子だ。[口頭語的表現]「賽銭を盗むとは-ことをしたものだ/-根性」】とあった。これだね。
評価基準
「なんかうまくいかなかった」とブツブツ話す腹ペコに、「それって自己満足のための評価?」と相方さんの鋭いツッコミ。なるほど、確かに「なんか」とは非常に曖昧な表現。要するに体調が悪くて思うようにいかなかった「言い訳のための評価」だった。
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この単元で学ばせたいことは何なのか、理解してほしいこと、1番外しちゃいけないポイントは何なのか。ついそれを忘れて、印象で評価してしまう。この「印象評価」で一番怖いのは、うまくいかない理由を子どもに求めてしまいかねないことだ。「実態に合わせて」という言葉の怖さも、たぶんそんなところにあるのだと思う。
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「うまくいく」あるいは「成功した」とは、誰にとっての、どんな状態のことを指すのか。授業をするたびに毎回反省ばかりだが、評価基準を明確にしておかないと、その反省はただの自己満足になってしまう。次につながる具体的な評価を心がけたいのだが、それが時々難しい。
「貧乏とは、少ししか持っていないことでなく、限りなく多くを必要とし、もっともっとと欲しがること」(『世界で一番貧しい大統領』の国際会議スピーチから)。お金に汚い某国都知事は高レベル貧乏だったのだ【この一言欄は波風立男氏談】