売っているものは作れる~稚内の暮らしを振り返る【下】~
祖父は作る人だった。動物が好きで、犬・鳩・チャボ等飼っていたが、その小屋は祖父の手作りだった。祖母はいつも木目込み人形を作っていた。作品は今でも実家の玄関を飾ることがある。父から定年間際に、近所に売ってないからネットで買ってくれと頼まれたのは木工に関する本だった。その後、実家に帰るたびに椅子やベンチなどの作品が増えた。母は編み物の資格を持っており、仲間と展示会をして販売もしていた。そういえば、姉は家庭料理を習いに、極短期間だが単身イタリアに渡っていた。今は高校で歴史を教えている。
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タイトルは私の言葉ではない。稚内で聞いた言葉だ。納得しつつ困惑するような、しかしとても魅力的なことだと思った。売っている物は誰かが作った物なのだから、自分でも作れると思った方が楽しいはずだ。出来合いのものを消費するのもいいのだが、自分で作ることも魅力あることだと感じた。自分も何か作ってみたいと考えた時に、冒頭の家族のことが思い出された。それまでに家族が何かを作っていることに意識的でなかった。
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4歳になる息子も、よく何かを作っている。通っている幼稚園の影響も多大だが、テレビや図鑑で見た恐竜を描いたり作ったりしているのを見ると、自分が見た物を再現するということが彼にとって心地よいなことなのかもしれないと思う。子どもが夢中でやっていると、何か人間の根源的な欲求に基づくものなのかもしれないと感じる。必要だから作らざるを得ないこともあるだろうが、作ることで心の安定や安心感も得ているのではないかと思う。作るって素敵だ。自分はこの先、何を作りたいと思うのだろう。長期にわたる短いこのコラムヒントを得られたような気がする。
【波風氏談】コメさんから「ママヨさんの言葉(「売っているものは作れる」)をお借りしました」、「ケイコさんからの学びもあって『身構えないけど向き合う』ような書く姿勢を得られ・・・・・・「文章を作る」ことを自分のブログでもやっていきたい」と本記事送信時にコメント。長い間のご協力、ありがとうございました。