最近、転た寝しない。オリンピックで寝るのが遅くなったからだが、加えて、布団に入りタダで貰ったタブレットで映画見るからだ。そういう生活リズムを反省し7時に起きて生ゴミと一般ゴミを捨てに行く公式裏ブログの方を8日ぶりに「ジーンズのツギ」で更新。背中で「そんなもの出すんじゃありません」とママヨさん。
今朝の朝日「折々のことば」は、このブログにもある「生きるかなしみ」(山田太一編:ちくま文庫)から。先週、病気見舞いで渡した本のひとつ。この言葉の後に、「重病にかかった人の記録は、私たちがただ外を歩いているというだけのことが、どれほど大きなことかを教えてくれる」、「自他への不満をかかえ、追い立てられる様に生きるのもいじめである。心して『生きるかなしみ』に思いをいたしたい。」と続く。
迷ったが、他に「いのちの対話 死に方上手」(鎌田實他:岩波ブックレット)、「蕊」(杣田美野里著:北海道新聞)を手渡す。死から目をそらさないことで余計な不安に苛まれず、今生きている有り難さを直視し、命のエネルギーを増幅して欲しいと選んだ3冊。自分用にあらためて発注し、あえてメモ書きのある既読の方を渡す。ママヨさん作のヨーグルト・スコーン、立男作のスモークチーズ、是非食べさせたい「甘平」(愛媛からいただいた美味しい蜜柑)も入れた『お見舞いセット』を持って出かける。
北海道縦断の鉄路往復。車中、故伊丹十三氏の随筆集(「女たちよ!」「再び女たちよ!」)読む。笑い声を押し殺し、70年代にこんな洒落男いたのかと驚く。64歳の突然の死に方、ますます信じられなくなる。文庫本に疲れ、どこも多雪の車窓に目を移す時、大杉漣氏と金子兜太氏の死が浮かぶ。家に帰ったら、「波風食堂」予定地の雪を少し片付けておこう。疲れているのに妙に頭は冴えている感じ。
男と女がいて、蟹をとり、市場で売り、米を買って子どもに食わせ、年老いて自分の親たちのように静かに湖に沈んでいく、その繰り返しが、生きることであり、命の意味なのかと思った。いや、感じた。40年前の夏、日焼けした畳に寝そべりながら、借りた古い岩波文庫で読んだ詩の記憶。それ以来、再び目にすることは無かったが、心の底に重くあり続けていた。画像は、昨日の夜に10枚書いた最初の一枚、「どんな言葉とリズムが刺激し続けてきたのだろう」とペンにインクをつけながら書いた。もっと硬くて、細くてガリガリした線で書きたいと願った。
この詩は、『蟹を食う人もあるのだ』という言葉1つで鮮烈なイメージを持続してきた記憶。作者も題も知らない。ふと思い立ち、「詩 蟹を食う人」でパソコン検索したら一発で出た。からくり不明な不思議。これからの老後生活、今までの思い出は次々に忘れ去るだろう。だが、こんな欠片から思い出が再生できる時代。記憶とは言葉。言葉が思い出の実体だ。こんなことなら、他人に自分の記憶や思い出をらくらくと操作される危険性だってある。言葉は自分で管理するに限る。もっと強い線で、ガリガリと刻み込まなくちゃ。
『二人の銀座』 和泉雅子 山内賢
テケテケテケのベンチャーズが66年に日本で発売。これに故永六輔氏が作詞し、若い和泉雅子・山内賢(11年逝去、享年67歳)のデュエット曲に。粋で、洒落てて、古く感じない。映画スターにつき歌はもう一つだが何とも初ういしい。和泉雅子氏(71歳)は、泰明小学校の卒業生。