出張で現在札幌に滞在中。人の多さについついキョロキョロしてしまう。「暑い夏」に向けて気合をいれてきたが、さほど暑くない。これは、凡師の精神力の強さが気温を上回っているのか、はたまた単純に気温が低いのか。気温計がないので何とも言えないが、すれ違う人がどことなく肌寒そうにしているところを見ると、精神力とは無関係のようだ。クールビズばかり持ってきた着替えが寒そうにバッグの中で折り重なっている。
さて、7月も終盤。今年も夏の帰省計画を立てる時期がやってきた。今年度の帰省テーマは「温故知新」。アクティブかつアグレッシブかつフレキシブルに温故知新したい。
どうせならギラギラとした真夏の日差しの中で…などと強がりを言って見たりして・・・。
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(波風立男談)8月1日の今日、やっと更新できた。このブログ運営会社で大量のメールパスワードが盗まれそのとばっちりでブログも面倒なことに。「鍵を無くし家に入れず入れず途方に暮れる」状態だった1週間。何とかなるべと思いつつ、何ともならなかった1週間。さて、こんな時のサポートセンターだが電話はいつも「現在混み合っております。後でおかけ下さい」ばかり。ふと気づいたメールのお願いで合い鍵もらえた。いやはやいやはや。凡師コラムも日付通り更新。緊急避難の「波風食堂、準備中」の方は記念に残しておく。さてさて、家に入れただけでこんなに嬉しいとは…凡師さん(中学校・男・40歳)執筆の朝日新聞「先生のつぶやき」。先月のお題は、教員採用試験。7月末に1次試験結果の発表。2次が8月9日。がんばれ。
夢でうなされたのは 前に宝くじで3億円が当たった時だった。こういう文を非文という。説明の必要も無いが、3億円当たってうなされたのでなく、当たった夢でうなされただけだ。
悪夢だった、苦しかった。立男は、安っぽいミルクのみ人形のように飲んだら即オシッコ放出みたいな、心模様を隠せない精神構造。同僚にも、子どもたちにも、地域の皆さんにも間違いなくその空前絶後の幸運は露見し、もたもたしているうちに「言っていることとやっていることの落差がひどいね」、「そんな人だったんだね」という噂が世間に広がり、ママヨさんにも見放され…使う以前に換金もできず、人間不信になり、家からも出られず、世間からもママヨさんからも見放され、ついに人間辞めましたに陥る悲惨な映像、夜中に一人わあわあ言っていたらしい。
こんなことになったのは、組番号一致し下2桁だけ違う年末ジャンボ買ったからだ。有名な旭川堂前タバコ店で随分長い行列に入って買ったのだが、そこでその回1等が出た。「もう少しだった」感覚が、頭の片隅に残ったと思う。それから「もしかして今度は」と何回か買ったがカスリもしない。
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昨日、この夢のことをふと思い出し、「現職中だったからあんな夢見たんだ。久しぶりにサマージャンボ、買ってみるかな」と思って寝たら何だか変な夢を見た。密室で…これはちょっと書けない(笑)…「へーっ、こんなこと思っているんだ」と噂され、ママヨさんに「あんた」でなく「おまえ」と言われ、そして人間辞めました…になりそうだもの。へーっ、身体の片隅に、生きる業みたいなのが未だ残っているんだなあ、と可笑しく思った。
先週末、家の前の焼き肉の集まり。楽しかった。「こんなのを食べてみたいもんだ」というのが毎回の3回目。準備が、進行が、後片付けが凄い。中学卒業後30年、その子どもたちの子どもたちの成長を見るのも楽しい 随分暗い道を再確認しつつ、小さくとも確かな灯火みたいなのを感じた参議院選挙終わる。この国、未だ捨てたもんでない。
あんた、あんたっ!あんただったら!、「あんた、ちゃんと布団に寝なさい」の声。
「あんたって誰だ?」とキョトンとしていたら「あんただよ」と、空になった茶碗や皿が乗ったテーブルの向こう側で真っ直ぐな目つきのママヨさんが口を尖らしていた。口の周りの直線的な皺が妙にキュートで迫力満点。立男の確かな生活習慣になっている夕食後のうたた寝、その甘美な一時に浸っていた時だった。「あんたと呼ばれる筋合いはないぞ」と口にしたら、「40年間、『おまえ』と呼ばれて我慢していた私が、この年になって『あんた』と言って何が悪い」の一言、垂直に音を立てて降ってきた重たい言葉。効いた…うなった。
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長い年月の間に、こういう隠し球をいっぱい溜め込んだ気配濃厚だ。立男の足腰と口が未だ達者なうちはよいが、弱気になるとまずやられる、いや仕返しされる、いや痛いところを必ず突かれる、と想像する立男。花壇の杭打ちで腰痛再発した今を狙った、見事な逆襲だ。そうか、こんなふうにしかえししてくるんだ、と思ってママヨさんを見ると、一見モナリザみたいな微笑み。あのかすかな笑いには…そういう仕返しの気持ちが表現されているのか、なあんて他愛も無いことを考えている立男であった。そして、身体を、気力を、そして「おまえ」の変化を正しく捉える目を鍛えなければ、と真剣に考える「あんた」であった。
4月の発刊時、ニュースにもなった「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹著:文春)読む。今回も、残るもの特になし。読みやすかった分、余計に。この作家を好きな方に聞いてみたい…何が良いの?
学びの場。これは、勝手に向こうからやってくるものではない。自分で求め、動くことにより、気づきの場が生まれ、実践のチャンスが芽生える。過去に出会った「この人、すごいな・・・」と思える人は、みな「自ら動く人」だった。