映画『パッチギ』の沢尻エリカは光っていた。朝ドラ『なつぞら』の広瀬すずもキラキラしている。両方とも美人だが、前者は「顔に『私は美人です』と書いてあるから美人とは思わない」とママヨさん。後者は美人とのこと。この仕分けルールというか基準が波風氏にはよくわからない。
少し前、前者が進行役のヘップバーンのドキュメント番組を観ていて、うわっと思った。ヘップバーンの残像が消えていない脳が、エリカ様の美人オーラを一気に蹴散らし白けさせた。中学時代、『ローマの休日』で生まれて初めて息を飲む美人に出会った衝撃が未だに続いていることにも驚いた。永遠の美人、世界の恋人には「私は美人です」の基準はどうでもよいこと、そんなことは宇宙の彼方的に超越している。
帰国子女のロシア語通訳者・米原万里が15歳で日本に戻った時、当代一の美人ともて囃されていた吉永小百合を、どこが美しいのかわからない、むしろ醜い、日本人の美的感覚を疑うと思い、日本の生活に慣れるに従って凄い美人と思うようになったとエッセーに。波風氏は吉永小百合を美人とは思わない。映画『キューポラのある街』に出てくる奇麗で健気なお姉さんの印象。けっこう主演作を観ているが、代表作が浮かばない。
ママヨさん?それはそれは美人(笑)。ママヨさんに、「俺でも会える身近な人間で美人と思う人は誰?」と尋ねたら、うーんと考えて一人の素敵な女性の名を挙げた。なるほど、ここら辺がママヨさんの基準でありママヨ的な人格なんだと思った。確かに美人、認める。そして、「姿形だけに目を奪われているようでは未だ未だ中学生」と波風氏は思うのだった。 ※客観的に書きたいような気持ちから役者名の敬称略。
今回の記事でカテゴリー「老人の主張」を追加。予定テーマ、表現者の人格と作品、孤独とのつきあい、愛とは何か・・・老人は主張したい(笑) 今日はブログと手紙書きと読書の日。午後、昔やった仕事について遠くから聞きに来る人。お菓子貰ったから真面目に答えなければ。